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突然態度が変わった友人の対処

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今、この後二人の友人関係をどうするか決めかねている女性がいます。

発端は頻繁に連絡を取り、よく遊んでいる友人が突然音信普通になったことでした。連絡を取りたくないときもあるだろうとしばらくそのままにしておいたのですが、部屋で倒れているのかという心配と、以前約束していた日が近づいたため連絡したところ、ただ単に「連絡をこまめにとるのが嫌になった」とのことでした。
私のことが嫌いになったのかと思ったのですがそれは否定し、とにかく自分が連絡したいときにする、遊ぶ(誘われたら行く)などのことはしたいとのことでした。しかしさすがに連絡を取ってもらわないといつもこちらからの連絡でしかもギリギリでは困ると言ったのですが、このやり方を直すかどうかはわからないそうです。

そして連絡を取る際の条件を言われまして、「夜〇時まで」「仕事中などはメール等送らない(返事を急かされているように感じるから)」です。仕事の帰りはかなり遅い上にいつ帰ってくるかわからないので、厳しい条件なのではないかと思いました。正直私がそこまで気を使うべきなのか…

そして、上記の件とともに今まで私も(恐らく相手も)親友だと思っていたのですが、相手は「他の付き合いを多くするために、あなたとの関係を下げて、ライトにツイッターで話すくらいにしたい」と言われ、理解できずショックでした。でも完全に縁を切りたいわけではないらしいです。

根本は、「優先順位が変わった」んだそうで、婚活、飲み、他の友達を優先したくなったそうです。まあ、わかるんですが…

知り合った当初からこのようなことを言っているのだったら仲良くなっていないのですが、この数か月程度で人が変わったようにいきなりこうなったのでショックと戸惑いが大きく、とても悩んでいます。無茶なことばかり言われて何度も縁を切ろうと思ったのですが、なぜか楽しかった思い出が溢れ来て泣いてばかりです。たぶんまだ昔みたいに楽しく過ごせるんじゃないかと期待しているくせに、やはりこのようなことを言った友人が許せないという思いもあります。

相手がそう望むのなら…とも思うのですが、今は相手の考えが理解できなくてそこまで至っていません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

みんな自分のルールがある

たまさん、こんにちは。
お友達ならばこそ相手の事情やご都合を考慮してあげましょう。
私にも仕事の事情でほとんど連絡が取れなくなってしまっている方もいます。
あなたにはあなたの都合というものがあります。
相手にも相手の都合というものがあります。
あなたはあなたを生きている。
友達も友達の人生を生きている。
生きていく中で様々な仕事の事情や、あらたな人間関係が生じます。
園かかでも24時間は平等です。
あなたは彼女と深く長く関わっていたい。
彼女は現在の事情からライトに広く関わっていたい。
どんなに親友と言っても、一生ベッタリ付き合う訳でもありませんから、これを失いとせずに軌道修正としてみましょう。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

一旦距離を置いてみたらどうでしょうか

お互いにご自分の主張をし合っていてもいいことはありません。
いまは、お友達が距離を置きたいと思っているのでしょう。
それにあわせてあげて、そっと見守るのもいいと思いますよ。いつでも連絡してね、私はいつでもOKです。とだけ伝えておいたらいいのではないでしょうか。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

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