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❀ 空の芸術 ❀

回答数回答 4
有り難し有り難し 36

お忙しいところ、恐れ入ります。

誰にも お話できない内容なので
思わず、こちらへ書き込みました。
※長文 失礼いたします。

頭では、弱肉強食の競争社会ゆえ
人を人と思わぬ むごい蹴落とし合いを
当然のように日々くり返し
己のイスをしっかり確保して
安泰な経済活動になるように
皆様 勤しんでおられると理解して
許しの慈悲修行を独り行って
今日まで耐え続けてきましたが
やりきれない瞬間が増えてきました。

やられても やり返さない私のような者は
ベーシックインカムにでもならない限り
経済活動は非常に過酷な現実です。

ジサツをしても救われないのは
解っているので、ジサツもできない…
尼僧さんを目指す勇気もない…

弱音を吐いて、ごめんなさい。
もう、どうしていいか判りません。

『 私は平和が大好きです。』

どうして頂いたご神仏縁(-人-)❀
容赦なく潰し合わなければ
いけないのでしょうか?

大手企業の職場をいくつか経験させて
頂きましたが、同調圧力で強要されます。

お釈迦様の教えは
平和を大切になさるものかと存じますが
仏弟子の皆様は、弱肉強食の現実と
どのように調和しておられるのですか?

今の私に有効的な経験談があれば
是非、実体験をシェアして頂けませんか?

貴重なお時間をさいて
ご一読いただきまして
ありがとうございましたm(_ _)m


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

弱肉強食の中で生きていくには。

感謝丸さん、こんにちは。

 自然界では弱肉強食は真理の一つです。自然界はその中でバランスを取りながら進化してきました。
 ただし人間だけは、慈悲、愛というものが、より幸せに生きられることを知り、弱者も一緒に生きていこうという社会を、何千年もかけて作り上げ現在があります。またこれからも進化し続けると思います。

 だから感謝丸さんが指摘するような、人間社会はすべて弱肉強食で生きているわけではありません。少なくとも日本では日本の弱者が生きるのには世界に比べれば弱者に優しい社会といえます。

 さて、そのような社会であっても、やはり生きることは厳しいので、自分で生きていく方法を見つけなくてはいけません。

まずは感謝丸さんの能力や環境を判断して、感謝丸さんに相應しい生き方、仕事を設定する必要があります。そして、それに相応しい仕事を見つけられるかどうか、見つけられなければ更にハードルを下げて探す。それでも見つけられなければ更にハードルをさげて・・・・お金を稼ぐというのは、弱者は当然ですが強者も大変なのです。自分ができる仕事を探すしかありません。

その過程で、弱者を支援している団体などがありますので相談して探す仕事エリアを広げてみるといいでしょう。

私の文作の先生は、五体肢体障害で、右腕しか動きませんでした。でもその右腕を生かして文章作りの仕事を見つけ、立派に人生を生きた人でした。その方の口癖は、私は生まれた時は私ほど不幸の人間はいないと思っていたが、障害のおかげでこの右手一本の価値を見つけ文章作りの道へ導いてくれた。もし健康な体だったらこの仕事と出会えなかっただろう。人は生まれたからにはかならず「生き役」がある。人はそれを探す旅なのだ、と教えてくださっていました。

感謝丸さんも必ずあなたに相応しい道があるはずです。それを見つけるために心を奮って努力してください。弱音は吐いてもいいのです。合っていない証拠ですから。その相談を周りで信用できる人に相談してみてください。もちろんいなければハスノハに相談してもいいでしょうが、ネットでは正確なアドバイスをするのが難しいのも事実です。役場や社会福祉協議会には相談員もいますから、相談すれば良いでしょう。まずは自己の立場を第三者から見てもらうことです。

がんばってください。合掌

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平和の実現方法の為のホコ先が自身に向けられている

外の平和ではなく、内なる自心の平和実現によって自ずから外も平和になるのです。
心の静けさを自身の思いを鎮める=思いの発生が無我なることを見極めることによって、心が静かになるのです。
心の静けさを求めるのに静寂な山の中に入っていったとしても、動物に襲われるのではないだろうか?生きて行けるだろうか?食料はどうしよう?
心静かではありません。
心の静けさはしずかな空間や外に求めるものではなく、内なる自己に求められるように平和を求める有り方が、まず自分自身なのです。
そもそもなぜ坐禅や瞑想をすると思われますでしょうか。
自身の心の静けさの実現には自分自身の心の有りように目を向けるより他にないのではないでしょうか。 
感謝丸さんが船だとします。
生老病死という荒波が押し寄せてきます。
その波の受け止め方が大切なのです。
避けようがありません。
船は波の上に浮かばなければ沈みます。
波を嫌ってもそこがそもそもが海です。
生老病死という波を厭う心をこそ問題にするのです。
そもそも波が良いものでもなく悪いものでもなく、人間の善し悪し、好き嫌い、見解を超えた波の活動をしています。
波よしずまれしずまれといっても波の活動はひと時として止んだことがありません。
騒がしいのは外の荒波ではなく自身の心の波なのです。
明鏡止水。
自分の心の波を平らかにして初めて実相をありのままに映す鏡が現われるのです。
坐禅とはその為の最短距離です。
その坐禅の実現の最短距離が、自分の思いが自分が作りだしているものではないと見極め、思いを触らずに過ごすことなのです。

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極楽浄土に往生すれば、昨日の敵も皆仲間

浄土宗では、誰でも念仏をとなえていれば、来世は極楽浄土に生まれることができると言われています。

極楽浄土では、阿弥陀仏の教えを聞きながら皆仲良く生活できるのです。
それどころか、極楽浄土の住人には、自分と他人を区別する感覚さえもないのだそうです。
また、極楽浄土の住人は、過去の生まれかわりの記憶、全ての前世の記憶を思い出せる神通力があるのです。過去世のビッグデータとアクセスできるのですね。
極楽では、過去の争いをすべてわかった上で、そんな過去はお構い無しに仲直りできるのです。

つまり、この世で仮に敵と味方のように争ったりしていたとしても、
極楽浄土に往生したら、恨みっこなしで仲直りできるのです。
この世の弱肉強食争いは、この世かぎり、最後のゲームです。
法律の範囲内で、そしてできれば仏教の五戒を守れる範囲で守りながら、恨みっこなしのゲームを堂々と闘ってはどうでしょうか。
ラストサムライというハリウッド映画がありましたが、そこに出てくる日本の武士は、戦で倒した敵の遺体に向かって敬意を表してお辞儀していました。
敵同士として相間見えたとしても、人間同士、武士同士としての敬意は忘れていないのです。
これは、日本的な文化なのかもしれませんが、仏教の影響もあるんじゃないかと私は思います。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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人を蹴落としたのではない

どんな社会にいても人と比べると、誰かの収入が多かったり、出世したり、楽をしていたり、リストラにあったり、様々です。

会社や学校に入るときも、試験があり合格不合格がある。
みーんな受かったら大変なことになります。争いは嫌ですが、そうした現実も受け入れつつ、しかし問題にしない自分でなければ生きていけません。
受験で不合格になるのは辛いですが、そこでまた新たな道を見つけるのです。またもう一年勉強するか、他の学校に入るか。どんな決断でも、問題にしない人は爽やかです。

人の出世も喜べます^ ^
法に触れるようなことはしたくはないですから、そうしたことはしないとして、蹴落とすというのは嫌ですよね。でも受験で自分が合格すると、表現によっては一人蹴落としたことにもなります。
実際は蹴落としたのではなく、認められただけの話。
そうした事実をただ事実のままに受け入れられる心が幸せへの道だと言えます。

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禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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質問者からのお礼

染川 様
この度も貴重なお応えを有難うございます。
「生き役」を探す旅ですね。
ちょうどガイドボランティア登録している
社会福祉協議会がございますので
お問い合わせしてみようと思います。
素晴らしいご提言を有難うございました。

お答え頂きましたお坊様へ

貴重なお時間をさいてのご回答を
ありがとうございました (-人-)

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ