本当の愛とは
愛が本当に、極限なまでに極まった時、人の心は、いかなる状態になりますか?
抽象的な問いかけで、申し訳ありません。
どうして、愛している人を思う時、哀しくなるのだろう。どうして、好きな人を思う時、切なくなるのだろう。
どうして、何億万人いる人の中で、たった一人の人だけを、こんなにも愛してしまうのだろう。
友人と愛について議論していたら、止まらなくなりました。
抽象的なご回答で構いません。それぞれのご意見、お考えを、お聞かせ願いたく、質問した次第です。
食べること、恋愛体質 対人トラウマ、人付き合い苦手 友達が出来ません 独りです
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私の愛する、オレの愛する… にならない
「私が」が前提・条件付けであると 愛の高まりとは言えないのかもしれませんね。
ICBMが飛んでくる時、それぞれの答えがあるでしょう。
私どもは、そうならないように一人一人の自己愛、個人愛にとどまらず、それが止む為に愛を勧めるばかりです。
そして、その私の愛とやらは、人の自己愛や自分・エゴめいた「私」というマボロシを奪うことです。
だって、そこに執着させたらその人は苦しみ続けるから。✨
全人類を愛する女神なら悲しんでるヒマがない
一般的に言う愛は、執着心です。
悩み苦しみの原因になる「こだわり」です。
ある特定の人だけを愛した場合、その人がいなくなったり亡くなったりしたら悲しいでしょう。
その人が自分以外の人を好きになったら嫉妬するでしょう。
一方で、もしもあなたが全人類を平等に愛する女神様だったらどうでしょうか?
毎日、毎秒、地球上のどこかで愛する人間が亡くなって逝きます。
毎日、愛する人間が誰かを好きになります。
女神様は、いちいち悲しんだり、嫉妬したりするでしょうか?すべきでしょうか?
もし女神様がいちいち悲しんだり嫉妬したりしていたら、女神様は鬱病になっちゃうでしょう。
それは女神様にとって幸せではありません。
したがって、全人類を愛する女神様は、毎日誰かが亡くなったり、自分以外と恋愛しても、悲しまずに明るく暮らすべきなのです。
誰かを自分の思いどおりにコントロールしたいとかも思わないのです。
女神様は、ただ、人類の幸せを願い、悩み苦しみがなくなればよいなと願う、慈悲、抜苦与楽の気持ちだけになるでしょう。
質問者からのお礼
お二方ご回答ありがとうございます。
丹下 覚元様
個人の域を越えたものというわけですね。
願誉浄史様
人の苦悩を和らぎを願う慈悲が愛の究極の姿というわけですね。
私にはまだまだ迷路のようは世界ですが、それでも、深い気持ちで人を思うことが出来た感慨は忘れられません。あの一瞬がお二方のいう愛の形の一つだったかも知れないです