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本当の愛とは

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有り難し有り難し 16

愛が本当に、極限なまでに極まった時、人の心は、いかなる状態になりますか?

抽象的な問いかけで、申し訳ありません。

どうして、愛している人を思う時、哀しくなるのだろう。どうして、好きな人を思う時、切なくなるのだろう。
どうして、何億万人いる人の中で、たった一人の人だけを、こんなにも愛してしまうのだろう。

友人と愛について議論していたら、止まらなくなりました。

抽象的なご回答で構いません。それぞれのご意見、お考えを、お聞かせ願いたく、質問した次第です。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

私の愛する、オレの愛する… にならない

「私が」が前提・条件付けであると 愛の高まりとは言えないのかもしれませんね。
ICBMが飛んでくる時、それぞれの答えがあるでしょう。
私どもは、そうならないように一人一人の自己愛、個人愛にとどまらず、それが止む為に愛を勧めるばかりです。
そして、その私の愛とやらは、人の自己愛や自分・エゴめいた「私」というマボロシを奪うことです。
だって、そこに執着させたらその人は苦しみ続けるから。✨

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

全人類を愛する女神なら悲しんでるヒマがない

一般的に言う愛は、執着心です。
悩み苦しみの原因になる「こだわり」です。
ある特定の人だけを愛した場合、その人がいなくなったり亡くなったりしたら悲しいでしょう。
その人が自分以外の人を好きになったら嫉妬するでしょう。
一方で、もしもあなたが全人類を平等に愛する女神様だったらどうでしょうか?
毎日、毎秒、地球上のどこかで愛する人間が亡くなって逝きます。
毎日、愛する人間が誰かを好きになります。
女神様は、いちいち悲しんだり、嫉妬したりするでしょうか?すべきでしょうか?
もし女神様がいちいち悲しんだり嫉妬したりしていたら、女神様は鬱病になっちゃうでしょう。
それは女神様にとって幸せではありません。
したがって、全人類を愛する女神様は、毎日誰かが亡くなったり、自分以外と恋愛しても、悲しまずに明るく暮らすべきなのです。
誰かを自分の思いどおりにコントロールしたいとかも思わないのです。
女神様は、ただ、人類の幸せを願い、悩み苦しみがなくなればよいなと願う、慈悲、抜苦与楽の気持ちだけになるでしょう。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

お二方ご回答ありがとうございます。

丹下 覚元様
個人の域を越えたものというわけですね。
願誉浄史様
人の苦悩を和らぎを願う慈悲が愛の究極の姿というわけですね。

私にはまだまだ迷路のようは世界ですが、それでも、深い気持ちで人を思うことが出来た感慨は忘れられません。あの一瞬がお二方のいう愛の形の一つだったかも知れないです

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