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「死」意味するもの

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こちらでは以前父の死について、大変ありがたいお言葉をいただきその節は誠にありがとうございました。
お陰様でで少しずつではありますが、日常に戻りながらいつか父に会うのを楽しみに、毎日頑張っております。

ただ、時折ふと苦しいほどの悲しみに襲われる時があります。
それは父の死だけでなく、身近な人の死や、予想もしなかった若い方の死などをここ数年で経験し、「死」というこんなに悲しくて辛いものは生き残った私達に何を残し、意味しているのだろうと、単純に考えてしまうことがあるのです。

もちろん色々な意味があるのだとは思いますが、宜しければお坊様方のご意見をお聞かせ頂ければ幸いです。

漠然とした質問で申し訳ありませんが、宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏道の始まりです

いずれ自分も死ぬという事を意味しています。
まだ死を他人ごととされてしまっておられるとしたら、そこに意味を見出すことで人生は意義深いものになりましょう。
昨今、自分の死も恐れない、他人の死もなんとも思わないで人の命をも奪う人すらいます。
命の意味を本当に考えて、自分の中での「私的な」意味を超えてお釈迦様が体得された自己の真実、自己の真相「生命としての生の意味」を明らかにすることで人生は充実します。
仏教や仏道とは坊さんだけの話ではありません。
自分の命は自分も知だからです。
自分の生老病死、四苦八苦は自分もちです。
なぜ仏道というものがあるのか。
意味、意義をみいだしましょう。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

だからこそ

拝読させて頂きました。あなたのおっしゃる通りですね。死を目の前にすると私達の今まで生きてきた感覚や価値観は全てひっくり返ってしまいます。どうしようもない悲しみが打ち寄せてくるものです。身近な方々や本当に大切な方々を亡くすことは大変つらいことです。が、しかしだからこそ真の学びがあるのではないかと思います。
だれでもわかる知っていること、人は必ず死ぬ、ということを実感することで初めて自分の生きることに向き合うことができると私は思います。
その思いをしっかりと噛み締めてあなたがこれからの人生を大切に生きて頂くことを切に願っております。

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個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

kousyo Kuuyo Azuma 様
丹下 覚元 様

この度は早速のご回答をいただき、ありがとうございました。
おっしゃる通り、「死」というものをどこかで他人事のように感じ、悲しんでいたような気もします。
これからあと何年、こちらの世界で生かしていただくのかはわかりませんが、一日一日を大切にそして先に行った大切な人達への感謝も込めて、残りの人生を実りあるものにしていきたいと思いました。

この度は有難いお言葉を誠にありがとうございました。

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