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生まれ変わりについて

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有り難し有り難し 38

生まれ変わりはあるのでしょうか?
私はあると信じています。

死後の魂は、修行を積みながら、そのうち生まれ変わるものと理解していますが、本人が希望するなら、希望の特定の人間に生まれ変わることはできるのでしょうか?それとも生まれ変わり先は選べないのでしょうか?

生まれ変わるまでの期間は、人間界でいうと何年ほどなのでしょうか?

教えていただけますと嬉しいです。
何度もすみませんがよろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今でしょ

1人の人間には2つの存在があります。1つは六根(ろっこん)。もう1つは六境(ろっきょう)。平たくいうと前者は見る自分、後者は見られる自分です。

これが死ぬとどうなるか?

見る自分の六根はバラバラに四散します。6つだから六散と書きたいけど、ムサンと言うなら霧散と書くべきですね。。。ごめんなさい、ただのオヤジギャグです。余計なこと書きました。四散してどこに行くか?ンなこた知りません。1ヶ月前の風呂の水が今どこで何になっているかくらい知ったこっちゃありません。でもどっかで水素原子と酸素原子をよろしくやっていることでしょう。

見られる自分の六境は、長いこと現世で影響を及ぼします。過去のご質問を拝見しましたが、亡くなったお子さんの『見られる自分』は、今もあなたの中で息づいています。
あなたが優しい思いでお子さんを思い出したなら、優しいなりの生まれ変わりです。あなたがお子さんの分まで前向きに生きようと思えたなら、生きる活力としての生まれ変わりです。仏様が遠い世界ではなく、私たちのそばで見守ってくださっているのと同じように、お子さんも案外にすぐそばで生まれ変わっているのですよね。

第二子さんは第二子さん。でも、第二子さんや旦那さん、家族やたくさんの人に優しく接することで、あなたの中の第一子さんの善い生まれ変わりに繋がります。
供養とは供え養うこと。何をお供えするか?あなたの生き方です。あなたが日常生活を丁寧に生きることがそのまま、あなたの中のお子さんを養い、善く生まれ変わらせることになります。お子さんは今も1秒1秒、生まれ変わっているのですよ。

1年は喪明けの時期です。さぁ、hiro411さまご自身の幸せを考えましょう。楽しいことや嬉しいことをして、その喜びをお子さんにおすそ分けしてあげましょう。お子さんの生まれ変わりは、母であるあなたの生き方にかかっているのです。

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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こんばんは。

 亡くなった方が次の生に生まれ変わるのは、49日後とされています。次の生まれ変わりは、閻魔大王が決めるので、本人には決定権はありません。
 ただ、遺族の方がどのような供養をしているかが閻魔大王の判断に影響するそうです。
 遺族は、1周忌3回忌とご供養しますが、生まれ変わった後の幸せを願っている事になります。
 私が、誰かの生まれ変わりだとしたら、前世の遺族から私の幸せを願っていただいているという事になりますね。

 仏教と輪廻思想はよくセットで語られますが、それは仏教発生以前からインドには輪廻の思想があり、お釈迦さまがそれに乗ってお話をしていただけで、実はお釈迦さまは死後の世界については修行に関係ない事として何も語っていません。

 じゃあ最初に書いたのは何なのかというと、昔の日本人が想像した死後の世界観のひとつです。

 死んだ世界から帰ってきた人はいないですし、私たちには前世の記憶はありません。ですので、本当の所はわかりません。もしかしたら、次の生はあなたのおっしゃる通り本人が決められるのかもしれません。前回のお坊さまの回答のように、お浄土に行くのかもしれません。

 「生まれ変わったらこうなりたい」と望んでも、生まれ変わったら前世の記憶はありません。望み通りだったのかどうかもわかりません。
 ですから「生まれ変わるなら生きているうち」なのです。記憶があるうちに、今生まれ変わったと思って今の生を生きていくと良いと思います。

 亡くなったお子さまは、誰かに生まれ変わったかもしれない。それは今のお子様かもしれないし、違うかもしれない。でもね、生まれ変わりでもそうでなくても、育て方を変える事はないでしょう?今大切な事は、生まれ変わりかどうかという答えの出ない答えを考える事ではなく、亡くなったお子さまの事を忘れない事と、今のお子さまを大切に育て上げる事だと思いますよ。

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有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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「死について」問答一覧

死別シングルマザー

夫と死別し、半年経ちました。 死後の手続きなどでバタバタと、忙しくしていましたが、この頃PTSDの症状がでて、とうとう仕事にいくこともできなくなりました。 一ヶ月の休職ですが、休んでる間に収入の不安、子どもたちのこと…色々と考え過ぎてよけいに具合が悪くなっている気がします。 職場からは、また笑顔で戻ってくることを待ってますと温かい言葉を掛けてもらっているのですが、夫を看取った病院が職場の直ぐ側であることや、救急車が頻繁に通ることなどから、正直一ヶ月休んだところで復帰する元気があるかわかりません。何も前に進めない自分に自己嫌悪の毎日です。お金の不安と、パートナーを失くしたことから『風俗』で働いて少しでもお金を…と浅はかな考えも拭えません。時間が長く感じます。こんな姿を夫が見たらなんて思うだろう。夫じゃなくて、不器用な私が先に亡くなればよかったのにとまで考え込んでしまいます。周りには自分のように30代で配偶者を亡くした人はおらず、まるで腫れ物のように感じます。他の家庭を見ると、赤ちゃんが生まれた…家を建てる…夫婦仲良く子育てできてて自分にないものばかり目に映り、生きづらいです。

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「周りの人間の死」への向き合い方

「周りの人間の死」への向き合い方が分からず、恐らく変な方向に価値観が向かってしまい、常に一定の苦しみを抱えてしまっています。 無理やり挙げるとすれば、恐らく一番大きなきっかけは、2年前に母の母である祖母が急死されたことだと思います。大きな病気やケガもなく元気に畑で過ごしていた祖母の急死に頭が追い付かず、又様々な状況を理由にしばらく会えなかったことや、恩返しなども出来なかったと感じたことによる後悔と主に、「人は急に死ぬこともある」といった至極当然のことに恐怖を覚える様になりました。 その"急死"は脳内で"事故死"等に変換されたようで、現在は「自分が何か人に頼むことで事故死するかも」といった恐怖をもってしまっています。私が親に頼んだ買い物の道中で死ぬかも、私が選んだ待合場所のせいで、指定した時間のせいで友人が死ぬかも、と思うと、所謂"普通の価値観"で人に頼る事、あまつさえ意見や提案事の提示も難しくなってしまいました。 正直自分の死は大して怖くはありません。ただ、もしそういった状況で知人が亡くなってしまえば、仮に明らかに自分のせいではなくとも「自分がこの人を殺した」と思ってしまうに違いないと感じています。又そういった気持ちを抱えてその後の人生を全うできるとは到底思えません。 バタフライエフェクトのレベルで「人の死に関与したくない」といった気持ちが大きくなってしまい、生き苦しさを感じてしまっています。 この価値観が、俗にいう「変・ずれている・間違っている・過剰」ということは頭では理解できているつもりです。ただ、どうにも心がこういった考えを除いてくれません。 もし仏教などを用いて少しでも楽に生きることが出来るのであれば、と思い、相談させていただいている次第であります。ご意見をお伺いできますと幸いです。よろしくお願いいたします。

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病気になって死を考えるようになった

現在,一人暮らしをしている中年男性です。 先日から病気をしています。病気になって,一人暮らしなので,闘病しながら食事,洗濯の家事をしないといけません。また,食事のための買い出しも必要で,誰か助けてくれないかと,常に考えています。 知り合いに食事を作って持ってきてください,といった厚かましいお願いはできないもので,そういったお願いができる知り合いがいるわけではありません。 闘病を続けながら,食欲もなく,痩せていくし,気力も失ってきています。 また,コロナ禍で,一人亡くなっていった方もこのようなつらい状況であっただろうと想像し,そのため可能であれば入院させていただいて,看病していただけないかと,勝手な思いが巡ります。 そして,こんなに苦しい状況なのに,これを乗り越えて「生きる理由」はあるのだろうかという考えが頭をよぎっています。 ある程度の人生は送ってきました。これから先もいろいろと楽しみもあると思いますが,生老病死は,四苦なので,病気を克服するのも,その後,克服した後に生きていくのも苦しいのだろうと,勝手に解釈をしたりします。 だったら,もうここでいいや,と思ったときは,死ぬことができたらいいなぁ,眠るときにこのまま目覚めなければいいな,と考えるようになっています。 自死については,以前は否定的ではありましたが,闘病の中で,それは個人個人の自由でいいのではないかと思うようになりました。 自死していった方は,苦しい中,生きることに耐えられなかったのだろうなと,共感できる心持になっています。 病気をして,手厚く看病してくれる人がいる状況であれば,それはそれで,心配してくれる人のために生きる理由があっていいのですが,そうでない私は,一人で非常に苦しい,不安です。そんな私が,命尽きるまで闘病するかもしれないという選択をして,生きる理由はなんでしょうか。 誰も助けてくれる人もいない,ただ病気と闘って,死を待つだけかもしれない。 最後は,一人,孤独死を迎えるのかもしれないと思うと,寂しく,不安です。 そういった中で,このサイトに行き当たりました。 取り留めない文章になりました。 回答をいただければ幸いです。

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死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ