気持ちの整理
私は幼少期母に「おまえは橋の下から拾ってきた」と日常的に繰り返し言われてきました。 弟はそんなことを言われませんでした。真偽のほどは定かでありませんが、今も私の心の中で腑に落ちない出来事の一つです。
弟と比べられたり、私だけ親戚の前で辱しめを受けたのも、どうしてもこのことと
関連付けて考えてしまいました。
私の幼少期のとても大きな出来事であり、今日の悩みの根の様な話です。
もちろん、イマサラ聞く勇気もないですし、冗談だよと言われそうですが・・
ご相談から見えてきた結論だと、話は冗談で私の思い込みとなりそうですが、気持ちの持っていきようをどうしたら良いか相談させてください。よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
答えを知る必要があるのでしょうか
その答えをわざわざ聞いて知ることで、今のあなたが変わるのでしょうか。基本的には聞く必要はないと思います。しかし、気になって先に進めないほどであれば、聞いてみるのが一番でしょ。
真実は今の自分のありようであることを、しっかりと理解し、ぶれない心を持つことができれば、勇気を出して聞いてもいいのではないでしょうか。
迷いを、迷い化させない方がいい。
あなたは問題を振り返る癖があります。
問題視しなくてよいのです。
問題化させなくていいのです。
反芻しなくていいのです。
Replayしなくていいのです。
いちいちかこの事をふりかえって、あれこれ善し悪しのジャッジをしている自分があるでしょう。
そして、それがあなたを一番気づ付けている事にそろそろ目覚めてください。
そうでないとあなたはずっと負の沼にハマり続けることになりますよ。(^<^)
それを考えて、元気になれないような事はいちいち考えなくてもいいのです。
親としては、冗談半分であったり、あなたが言う事を聞かない時に言う事を着返せようと思って言ったのかもしれませんし、お母さん自身が病んでいたとも言えるのかもしれません。
ただ単に、お母さん、小さい頃から橋の下で拾われてたと言われていたけど、お母さんにとってはどういうつもりだったのか分からないけど、僕はそれでとても傷ついたよ、という事を伝えて、真意を訪ねて観ればよいでしょう。
質問者からのお礼
円通寺邦元師アドバイスありがとうございます。自分の中でずっと引っ掛かっていた事案でしたので。