母の遺志を叶えたいけれど…
4月19日に母が急性大動脈解離で突然亡くなりました。
生前、母はお墓には入りたくない、遺骨を石にしてほしいと言っていたのですが、真剣に話をすることもなく逝ってしまいました。
亡くなってから調べたところ、石にするには遺骨の全てではないこと、残りは散骨できるとのことですが、分骨することに抵抗があります。
弟は、父と一緒に納骨するのがいいと言うのですが、それでは母の遺志を無視するようで悩んでいます。
お墓には入りたくないと言っていた母の気持ちを無にして、納骨してしまったら、母は悲しむでしょうか?
もっといろいろ話をしたかった。
なぜお墓には入りたくないと言ったのか、ホントの気持ちをもう知ることはできないので、苦しいです。
しわあせになりたい。
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勝手なことを申し上げるようで恐縮ですが…
お悔やみ申し上げます。
故人の遺志…最後のお母様のご希望ですから、尊重してあげたいお気持ちはよくよく分かります。しかし、故人の遺志というものは子や孫、子々孫々を思いやってこその遺志であろうと私は思います。最愛の我が子を苦しませる言葉は遺志ではありません。ただの我が儘です。私というお坊さんはそう考えていますよ。
我が儘というのは煩悩です。でも、お母さまはりか様に送り出してもらい、そしてお葬式のご導師様に導いてもらい、成仏への道を歩まれています。成仏とは悟りです。煩悩の消滅です。我が儘心の消滅です。今ごろお母様はりか様の苦しむ姿をご覧になって、後悔なさっているのではないかなと思いますよ。
それにですね、お墓に入ったからといってお墓の密室に閉じ込められるわけではありません。仏様の世界で仏の生命を授かることになります。お墓やお骨は遺された者が拝むための指標です。いわば仏様の世界への門や窓のようなものです。
キリスト教徒の方々だったら、最後の審判の日に復活するまでお墓の中で眠っているという話もあるのですけどね。でもそれは私たち仏教徒には関係ありません。この認識のズレは中高年の方々に多いです。
きっとお母様は「あぁしまったなぁ、早とちりで変な遺言しちゃったなぁ…子供たちが気付いてくれると良いなぁ」と思われるのではないかなと、私は思います。
どうか生きているご家族の皆様が心安らかにお参りできる形をご相談なさってください。
お母様のご冥福と、りか様、ご家族様の心身のご健康をお祈り申し上げます。疲れやすい時節柄、どうぞ話を焦らずご自愛ください。
49日忌まで待ってみる
りかさん、はじめまして。質問を拝読いたしました。
りかさんのお母さまは、4月19日に急性大動脈解離で亡くなられたのですね。本当に突然のことだったと思います。りかさんは、心の準備もできないままにお母さまとの別れが来てしまい、土惑っておられることと拝察いたします。お悔やみ申し上げます。
さて、りかさんのお母さまは生前に遺骨を石にしてほしいと言っていたのですね。遺骨を石にするのは手元供養の一種のようです。ペンダント型の入れ物に遺骨を少しだけ入れて常に持ち歩いたり、遺影とともに手元に置くことを「手元供養(てもとくよう)」と言います。遺骨を石にするというのは、遺骨を石と混ぜて成型しペンダントやブレスレットに加工して、ご遺族がいつも故人と一緒に居られるようにするものです。
私の想像ですが、お母さまは亡くなった後も、りかさんや家族とずっと一緒に居たいと思い、手元供養をしてほしいと願っていたのではないでしょうか。
りかさんは分骨することに抵抗があるようですが、手元供養に使用する遺骨は数グラムです。それ以外の遺骨はお墓に納骨しても差し支えないと思います。
命日からすると、49日忌を迎えるのは6月初めになります。それまでは、お母さまの遺骨はりかさんをはじめご遺族と一緒に自宅で過ごされると思います。その間にお母さまの遺骨をどうするのかを相談されてはいかがでしょうか。結論が出なければ、百か日忌や一周忌など節目のときまでに考えていけばいいと思います。
慌てずに、まずは49日忌まで待ってみましょう。お母さまのことをふと思い出すこともあるものですから。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
どうしてお墓には入りたくないと言っていたのか、その訳さえわかれば決心もつくのですが…。
手元供養というのは、私が生きている限りそばにいてもらえるかもしれませんが、私が死んだら…、息子が死んだら…などと考えると不安です。
徳島のお坊さんなんですね。
母は生前、徳島で暮らしてみたいと言っていましたので、なにか縁を感じました。
大慈様
ご回答ありがとうございます。
母の最後のワガママをできる限り受け入れたいのが今の心境です。
なぜお墓に入りたくないと言っていたのか、その本心を知ることができないのがつらいです。
もしかしたら、私の知らない何かが一族であったのかも知れません(笑)
死んでからも一緒にいたくないほどの何かがあったのかも知れないし、お墓じゃなくていつでもそばにいたいという気持ちだったかも知れないし、お盆やお彼岸しか行かないお墓がイヤだったのかも知れません。
死人に口無しとはこういうことなんだって思います。
夢の中でもいいから、母さんと話がしたいです。