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身内のことなんですが

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有り難し有り難し 15

私の母親なんですけど、私が小さい時から
5歳離れた弟を溺愛し過ぎて、私の事は口を開けば◯◯ちゃんは、ピアノ習ってる、成績優秀、美人やのに何故お前は違うんだと毎回言われてましま。その子の習い事は追いかけて同じ様にするも、レベルが違い過ぎて途中で辞めたり、高校も私学に行けると思ったらお金がないから、先生に断り、成績が悪いのに公立を単願で受けさせられ落ちました。定時制に行きながら職は転々と変えましたが、家にお金を入れて、看護婦になりやっと、お前は根性あるわと認められ、結婚したら、旦那の悪口を言うし、子供が出来たら、また人の孫と比べるし、3人居てる私の子供にも優先順位を付けて接するし、母からの電話が毎日、私の悪口で電話を取らなければ私の子供に私の悪口を言ってます。弟も同じ様に毎日、悪口を言われて円脱になりました。どうしたら、母の口から愚痴がこぼれなくてすむでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人を変えるのは難しい

残念に思うかもしれませんが、人を変えるのはとても難しく、それを願うことはあなたが苦しむことになります。

子供は、親に対しこんな親でいてほしいと願い、期待してしまう部分があります。しかし、すでにあなたの方がこころの面で大人になってしまいました。
人と比べながら子育てしては、子供がかわいそうだということは、きっとお母様には分からないでしょう。しかし、お母様が愛が無くて言っているわけではないということにも気が付いているはずです。あなたは、お母様の言葉を真に受けて、その言葉を繰り返し心の中で取り扱い、考えてしまうと思います。お母様の心ない言葉は、ただの音声であると捉え、そのままにしておくのが一番です。

そして、心配なことはジュリさまのお子さんです。そうした言葉で傷つかないように、日ごろからたくさんよいところを褒めて、認め伸ばしてあげてください。少々おばあちゃんに言われてもへっちゃらなぐらい自信をつけさせてあげてください。

きっとジュリさまは、お母さんみたいにならないように、と気をつけていると思います。そうした負の連鎖を断ち切ることも大切です。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

母親の劣等感

大変でしたね(^<^)
冷静にこう考えてください。
そして親の不完全を赦してあげてください。
子供の愛し方は学校では誰も教えてくれないものです。
おそらくお母さんも親御さんからそういう風にぴーぴー言われて育ったのかもしれません。
世の親というものの多くは、自分の劣等感の克服のために自分の子供に夢や期待を託し、自分自らは顧みる事もなく、子供を飼い殺しにするような親が多い、ということを知ってください。「ブラック・スワン」という映画にもそのあたりが描かれていましたが、これは本当に実際に多いものです。愛の与え方を知らないのです。
親が愛に満たされていないが為に子供の与えられるべき愛までを奪ってしまうものなのです。
以前、子育ての番組を観ていたら親御さんが「ソフトバンクの孫社長のように育てたい」と言っていました。彼らは孫社長程の力も財力も何も無しにも関わらず、子供に高い理想を要求していました。愚かしい親だなあと思って観ていました。
親御さんを治すには、あなた方が親を誉める、感謝するだけで良くなります。
弟さんと二人で嘘でもいいので感謝をしたり、気遣ってあげてください。
渇いたバケツを満たしてあげるという事を目的に、親御さんを気遣ってあげてください。
戦争中の過酷な環境の中そだった親御さんたちの苦労が今、何らかの形で不平不満としてでているのだと思ってください。たとえそうでなくても、そうだと思ってください。
今私たちは、恵まれた時代に生まれました。
それでも足りない人は足りないのです。
物質では満たされないのです。
だからこそ、感謝や愛情、気遣い、関心を寄せてください。
必ずお母さんの態度や性格は変わります。
そうするとキチンとお話ができるようになります。
その時に、伝えてあげてください。
「はいはい、そうやって悪口ばっかり言ってると、ご先祖様が守ってくれなくなるよ」などと。(^<^)

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

子供は親を選べないです。自分の子供に同じ嫌な思いをさせないように
頑張ります。

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