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何故、人は人と仲良くできないのですか?

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有り難し有り難し 94

お釈迦様の時代から今に至るまで、戦争!争い!喧嘩!争い事!は無くなりません。

親子、兄弟、夫婦、同姓同士で恨み!憎しみ合い!罵り合い!イビリ!悪口!ばかり、誰が上だ下だ!勝った!負けた!などそればかりでお互いに羨みちっとも関係がよくならず、人間の最大の悩みは人間関係だと思うのですが、進めば殺人にまで進んでしまいます。

どんなに文明が進んでも、文化が発展してもこれだけは良くなる事はないと思います。残念ですけど…。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

問題はあなた

他人がケンカや戦争をしている事をどうこう言っているうちは自分に目が向きませんから、ペケでごんす。('◇')ゞ
「あなたがどうか?」
これが仏教でしょう?
人が仲良くしようとしない、人が争ってばかりで許せない、ならばあなたはどうするか。
あなたが嫌っている人たちと、積極的な友好関係をまず!自分で!人はともかく!あなた自身が!作ることです。(^▽^)
それをすれば、答えはすぐに出ます。
論は役に立ちません。
行が大事です。
何故?何故?を問うより、自分でそれを好き嫌いを除いて実践するのです。
それ以外に答えはないはずです。
たとえば、私がこうしてあなたにとって、好ましくない痛いところをついてくる回答を提供します。
そこでおそらくあなたは反発心や、受け入れたくない、という気持ちが出てくると思います。
仏教ではそれをドーサといいます。
物事をその通りに受け入れられない反発心です。
それが世界中の怒りの原因なのです。
そこに向き合い、自らその心を「あなたが」求めようという気持ちが起こった時、はじめてあなたはあなたの中の幸せ活動がはじまるのです。
外を変えるのではなく、自分自身の心のありようを変えることで、どんなに嫌な人間がいても幸せになれる幸せ活動が。
まずは、誰の回答でも、そのままスッと受け入れるようにしてみてください。
反発心や好き嫌いを起こせば、あなたが質問した問をあなた自身が自ら壊すことになる。
だから仏教は、他人ごとではなく、自分自身の問題なのです。
御精進いただけますよう御祈念申し上げます。
「相手を問題にする自らの心を問題にする。それが仏道の始まりである。」

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

荒れていますね

こんにちは。「そういえば」と、ふと思いました。あなたの文章は「!」が矢鱈(やたら)と多いですね。普段からそうなのかしら。
 余計なお世話ですが、少なくとも旦那さんには、「!」をむやみにつけずに喋ってあげてくださいね。話す側は特段気にしなくても、聞いている側は「大声だなぁ」と感じると、話の内容よりも「どうして、そんなに大声で話すの?普通の声で大丈夫なのに」と、話の内容から興味をずらされてしまいます。つまり、肝心な「話の内容」が伝わりにくくなりますよ。
 「何故?」という疑問詞をお使いですが、言いたいところは「理由を知りたいのです」「イヤなのです」、大きく分けてこの2つがあり得ると思いますが、いかがでしょうか。
◎「理由を知りたいのです」…世の中基本的に「思い通りにならない」からです。なぜか?「ああしたい、こうしたい」という欲があるからです。なぜか?生きているからです。
◎「イヤなのです」…そうですね、でもあなたの周りの火種に、油を注いでいるのはご自身ではないかしら?「油を注ぎたがっている・大声で言いたくなっている、ビックリマークをつけたがっている」のは何故なのか、「それをすることで、何を回避しているのか」に思いを巡らしてみてはいかがでしょうか。
 「残念ですけど…。」で終わるところ、見事です。その通りです。その中でせめて、あなたが成し遂げられることはありますか?天台宗で言う「一隅を照らす」ところが。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

質問者からのお礼

毎日のようにNEWSでみる殺人事件
、テロを見ると心を痛めます。
本当に何故起きて殺し合わなければならないのか!
悲しくなります。

ありがとうございました。
本当はどんな人ともなかよくできれば最高なんですけど、なかなかそうはいきません。本当にざんねんです。

価値観、考え方、今まで経験してきたことが違うから仕方がないのでしょうね。互いに互いの価値観を認め合えば多少よくなるのかな?と思います。

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