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嫉妬と恨み

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こんばんは。
いつもお世話になります。

以前、従姉妹が羨ましいことで相談させて頂きましたが未だにその気持ちが消えません。
私は転職をし、ほぼ毎日のように残業をさせられ、深夜になった時もありました。ゴールデンウィークも休みはありませんでした。
従姉妹はゴールデンウィークは連休もあり楽しい休暇を過ごしてたみたいです。
私はまだ入社して一ヶ月半くらいですが色々と詰め込んで教えられ、プレッシャーもあります。
従姉妹は誰かが助けてくれるし、そこまでの責任を求めらないし羨ましいです。
それなのに、従姉妹の方がきっと給料もいいです。
以前の質問にもあるように彼女はいい想いばかりしているのです。
一方、私は苦労ばかりしています。
人を比較しても仕方ないのは分かっていますが悔しくてたまりません。
私ばかりが損をしているように思えるのです。
努力をしようがしまいが恵まれた人はいいですよね。
とにかく幸せな人を見るのが辛いです。
どうしたら嫉妬や恨みが消え、もっと穏やかに過ごせるでしょうか?
親のことも恨んでるし、どうしたらいいでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

苦しんで自覚するよりほかはないのではないでしょうか。

苦しいと思います。
そういうことをやっていると苦しいという事がよく分かってきます。
これ以上こんなことをやっていても苦しいだけであると自覚するまで悩んでバカバカしくなるまで考えてみることです。解決がつかないはずです。
いくら考えても絶対に楽にはならない。
つまり解決方法が間違っているのです。
さらには、心が楽になるための手段が間違っているのです。
間違っているから苦しいのです。
間違っていない人は苦しみがないのです。
間違っているとは思えないかもしれませんが、聖人君子や自分自身の達人は苦しみません。
苦しむという事はやはり、この状態はおかしい、やめるべきだ、と自分自身に疑問を持つことです。
自分の脳内が工場だとします。
どう考えても正常に運転していない。黒い煙がモクモク出ている。
というより、自分自身の身体が苦しい。
これに勝る真実の答えはありません。
「ああ、私は苦しい。」
これを自覚したならば、それをやめればよいだけです。
人間はそれが正しいと思ってやり続けるが、やり続けた結果自分が苦しみから抜け出せないのであれば、そのやっている方法、やり方を問うべきなのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

遅くなって申し訳ございません。
回答ありがとうございました。

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