癌になりました
はじめまして。
よろしくお願いします。
私はもうすぐ30才になります。
独身です。
昨年、婚活を始めた矢先に
子宮にステージ3の癌が見つかりました。
現在、治療はひと段落したものの
心の病をどう治したらよいかがわかりません。
周りは結婚、出産ラッシュ。
幸せそうに見えます。
素直に心から喜ぶことができません。
親友から、”悪阻が酷い”と言われても
その悪阻でさえ羨ましく思えてしまう…
私だって幸せになるはずだった。
20代の10年間は本当に辛いことばかりだったから
やっとこれからだって思ってたのに…。
神様はどうして私を、子供が産めない体にしたのでしょう。
どうしてこんなにも試練を与えるのでしょう。
何を見ても何をしても感動できなかったり
やる気もなく、ぼーっとする日々。( 仕事には行っています )
幸せがどんどん遠ざかっていく。
このままずっと孤独なんじゃないかという不安。
がんが再発するんじゃないかという恐怖。
さみしさ…
心も体も病んでいる私に、何かアドバイスをください。
よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
がんの先輩たちに学ぶ、真似ぶ生き方。
大変お辛いことですね。
悲しいですね。
どうか、少しずつ心を前に向けていってください。
進むべき方向を先に明確にされることが第一です。
ガンになられて心病んで生き続ける生き方か、
ガンになられても心を前に向けて生きるか。
子宮がんになられても強くたくましく生きておられる方がおられます。
芸能人の方でも、尼僧さんでもそういう活動をされておられる方がおられます。
そういう方々にまねび、心の進むべき方向を見失わないようになさってください。
「苦しみ」に焦点を当ててお話を致しますと、苦しみとは体の痛みや病とは別物で、心が苦しい、ということです。心が苦しい、とは、今心身が体感していることとは別の状況を願うことで、今の現実では成し得ないことが脳裏に浮かんで、なんとかしてその様になりたいと願うものの、その様にならない、かなしさ、つらさ、、、。それが苦しみです。
私も人生の中で変えられないものがあるという事を感じました。
100パーセントまでには至らないと思います。
ですが、そこに向けて近しい形を求めていくのです。
「思い切る」という言葉がありますが、私はこの言葉が苦しみにあった時、自分を力強く進ませました。断つべきを断つ力になるのです。
病にあっても心が病で居続けることは、身のみではなく、心まで苦しませることになり、ダブルの苦しみです。
アウトプットする事、人の助けになる行為はできるのです。
仏教では利行、利他行を説きます。
これは、世の為、人のためにこれをするべきであるというボランティアの行ではありません。
たとえ誰であっても、幸せに生きるためには当然にこれを修すべきであるという意味なのです。人を助けることで自分も救われるのです。
病のみであっても、老いの身であっても、いずれ私どもも死ぬ身であっても、その中で、限られた生の中で最高に生きるには、人を助ける生き方なのです。
病の中にあってどうして?と思われるかもしれませんが、是非、同じ苦しみを抱えておられる方々のためにも、あえてあなたが、人を助ける道を歩んでみてください。
心の中でも奇跡が起こります。苦しみをも癒す力が生じます。
人を助ける、癒す力になります。それの力があなたを包み、がんの苦しみをさらに軽減してくれるのです。
いつでもお便りをおよせください。
まずは、心静かに、呼吸にみをまかせてそのまま坐して下さい。
質問者からのお礼
丹下 覚元さん
どうもありがとうございます。
お返事が頂けて、とても嬉しかったです。
気づいたことがあります。
私は、自分のことしか考えていませんでした。だから辛かったのだと。
「私はこんなに辛い。誰か助けて。誰かわかって。」
と、人に求めてばかりでした。
他利行。自分以外の、誰かのために。誰かの役に立つ。助ける。癒す。
そうか、私に必要なことは、誰かのために生きることだったんだ。
と、気づくことができました。
大それたことはできないかもしれないけれど、まずは身近な人や、小さな行いから、意識していきたいと思います。
なんだか、心が楽になった気がします。
ありがとうございました。