何故こんなに次々に困難が…
お世話になっております。
前にも相談させて戴きましたが
夫の癌の再発に怯えて暮らしております。今までは
キーパーソンをしている親たちを介護して いい感じで見送り
後は仕事を引退し 夫や友達と楽しく遊ぶ事を楽しみにしていました。
ところが夫の癌、そして最近 実母が生死をさまよう様な重病になり
医師にお別れを言うように言われて…もう何が何だか…という感じでした。
こういう状況になると 自分がどうすることもできず あとはご神仏の領域であり
祈る事しかできないと思い 母親の無事を一心に祈りました。
すると、助かったとしても 元の生活には戻れないと医師につげられたのに
母は急回復して 今は通常の生活を送ってくれています。
やっと困難が去ったと思った矢先
兄弟達が遺産の事を持ち出し 損得なしにそれに応じて
又町内の役員ゆえ資格も取りに行く予定も決まってしまっており
仕事も忙しい…こういう事を日々こなし 頑張って徳?を積み
その徳?を夫にあげたい…母親の時のように 祈りの力でご神仏のご加護を願う私は病んでますか?
又この経験から 人生観が変わり
残りの人生を自分の快楽の為だけでなく 親や周りの人、これから出会う人に助けを求められたら 人の為にも尽力しようと思う様になりました。
でも人の力になるには 私の大事な夫の健康が第一です。心に余裕がない
怯えて元気のない私より まえの元気な私の方が人の役にたてると思います。
希望を持って生きていいですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
坂本龍馬も小学生も
坂本龍馬が暗殺されたのは31歳でした。
その間にどれほどの偉業を成し遂げたでしょう。
剣術をきわめ、様々な人々との出会い、会社設立、日本で初めての新婚旅行。
大人になってからは、何の心配事もない日などなかったかも知れません。
私たちのような凡人でも、実は人生の中で平穏無事な日数は、坂本龍馬並みに少ないのかもしれません。
仏教では一切皆苦とすら言われ、毎日毎日の苦しみ(宿題)はなくならないのです。
ただ、瞬間ごとに苦しみ(やるべき宿題)の形が変わっていくだけです。
小学生の頃、授業が終われば帰宅してすぐ宿題。夜9時には眠たくなってくる。
小学生がボーっとできる時間も意外に少なく、そんな私たちが大人になったからってゆっくりできるわけでもないのです。
宿題に追われる毎日は一生続くのですが、人生はそんなものだとあきらめて、さっさと宿題と向き合う方が結果的に早く遊べたりもします。
あと、今後は少子化で、一人の人が看病介護しなくちゃいけない人数が増えます。
老老介護やヤングケアラーがどこにでもある世の中になりますし、家族全員が平穏無事な時期というのも意外に短いのかもしれません。
追記
浄土宗では、念仏していれば来世は極楽浄土だと考えます。
悩み苦しみは心を通り過ぎるお客様、心の主人公は南無阿弥陀仏。
雲(妄想雑念)は月を一時的に隠せても月(静かな心)を壊せないと思いましょう。
質問者からのお礼
願誉浄史 ご住職様 お返事有難うございます。
そうですね…人生は艱難辛苦にみちている とは思いますが
夫の事は打撃というか 私の生きる気力を奪ってしまっています。
今までも色々ありましたが 又他の方も経験されている人も多いとは思いますが
私自身、悪い方に病気がすすめば 耐えられそうにありません‥‥お返事有難うございました。
願誉浄史 ご住職様
>悩み苦しみは心を通り過ぎるお客様、心の主人公は南無阿弥陀仏。
雲(妄想雑念)は月を一時的に隠せても月(静かな心)を壊せないと思いましょう。
このお言葉が身に沁みました。静かな心であるがままを 受け入れたいと思いますが 中々難しいです。でもやはり結果はどうなるか分かりませんので
希望を持って生きていきたいと強く思います。
又元の生活に戻れたならば ご神仏を信じて 親や兄弟 その他の人々に幸せの
おすそ分けをしたい、困ってる人の力になりたいと思っています。
そうなることを祈ります。有難うございました。