回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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あなたのお役に立てることです
こんな自分でも誰かのお役に立てることがやりがいです。
私も困った時がありまして、ちょっとした一声、一言で救われたことがありました。
人間はそうやってお互いに助け合って、埋めあって、補い合って生きていくことが、人間としての使命なのかもしれません。
お互いの不完全を肯定し合って、お互いのも強いもの良い所を提供し合って、お互いの持つ悪い所を埋めあって、補い合って、互いに幸せを分かちあうのです。
そうすることは、仕事でも何でもありませんから苦痛がありません。
あなたの幸せを祈っています。
僧侶としての生き方は、救われる生き方
お坊さんとして生活することは、生き様だと思います。しかし、実際にはお金がないと生活できないわけです。そのため、勤めに出ております。
勤め先の仕事が忙しい時に、葬儀などが突然あると、休まなければならなくなり、正直辛い時があります。
しかし、僧侶としての生き方は魅力があります。まずは、自分自身が救われるために修行します。そして、周りのかたにも、そうした修行の中で学んだことをお伝えできることが何よりの生きがいなのでしょう。
自分の信仰をそのまま話せること
僧侶として一番嬉しいのは、好きな宗教を信仰し、そのままその信仰をオススメすることができるところです。
仮に私が企業に勤めるサラリーマンだったとして同僚に『仏教はいいよ!一緒に手を合わせよう!』なんて言えば、危ないやつだと言われて毛嫌いされるかもしれません笑
でも僧侶なので『お坊さんだからな...』で、許されます。
お寺の住職として、自分の信仰する浄土真宗をオススメし、布教伝道だけして死んでいけるんだから、こんな幸せなことはありません。
浄土真宗という宗教が好きですから、好きな宗教を信仰して布教して生活ができるって凄くいい仕事だと思っています。
ラーメン好きな人がラーメン食べながら旨いよと言ってれば生活が出来ているようなもんです。
僧侶はいいですよ(^^)
沢山あり過ぎて答えられないですが・・
あゆみ様
続けのご質問ありがとうございます。お坊さんとしてのやりがい沢山あり過ぎて答えにくいですが・・・
お葬式という人生の大行事に、お坊さんとして関わる事が出来る。
自身の工夫次第で世の中に対して布教が出来る。
守るべきお寺がある
などですね。やめたいと思った事は本山での大変な修行の時ですね。今思うとやめなくて本当によかったと思っています。
お坊さんは、自身の工夫次第で世の中の人の為に出来る事が沢山ある事が一番の魅力だと思います!