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お坊さんとしてのやりがい

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有り難し有り難し 42

お坊さんとして仕事をしていくなかで、やりがいを感じることはどんなことですか?
また、もう辞めたいと思ったことはありますか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたのお役に立てることです

こんな自分でも誰かのお役に立てることがやりがいです。
私も困った時がありまして、ちょっとした一声、一言で救われたことがありました。
人間はそうやってお互いに助け合って、埋めあって、補い合って生きていくことが、人間としての使命なのかもしれません。
お互いの不完全を肯定し合って、お互いのも強いもの良い所を提供し合って、お互いの持つ悪い所を埋めあって、補い合って、互いに幸せを分かちあうのです。
そうすることは、仕事でも何でもありませんから苦痛がありません。
あなたの幸せを祈っています。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

僧侶としての生き方は、救われる生き方

お坊さんとして生活することは、生き様だと思います。しかし、実際にはお金がないと生活できないわけです。そのため、勤めに出ております。

勤め先の仕事が忙しい時に、葬儀などが突然あると、休まなければならなくなり、正直辛い時があります。

しかし、僧侶としての生き方は魅力があります。まずは、自分自身が救われるために修行します。そして、周りのかたにも、そうした修行の中で学んだことをお伝えできることが何よりの生きがいなのでしょう。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

自分の信仰をそのまま話せること

僧侶として一番嬉しいのは、好きな宗教を信仰し、そのままその信仰をオススメすることができるところです。

仮に私が企業に勤めるサラリーマンだったとして同僚に『仏教はいいよ!一緒に手を合わせよう!』なんて言えば、危ないやつだと言われて毛嫌いされるかもしれません笑
でも僧侶なので『お坊さんだからな...』で、許されます。

お寺の住職として、自分の信仰する浄土真宗をオススメし、布教伝道だけして死んでいけるんだから、こんな幸せなことはありません。

浄土真宗という宗教が好きですから、好きな宗教を信仰して布教して生活ができるって凄くいい仕事だと思っています。

ラーメン好きな人がラーメン食べながら旨いよと言ってれば生活が出来ているようなもんです。
僧侶はいいですよ(^^)

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おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学の身でありますが、多くの方のお支えの中で日々精進しております。 仏教には、「私が知らないことを仏様から聞かせて頂く」という大切な側面があります。 聞かせて頂くのは、仏様の智慧であります。 今まで仏様のご縁が遠いと感じておられた方が、少しでも仏法に触れるご縁になれば幸いです。

沢山あり過ぎて答えられないですが・・

あゆみ様
続けのご質問ありがとうございます。お坊さんとしてのやりがい沢山あり過ぎて答えにくいですが・・・

お葬式という人生の大行事に、お坊さんとして関わる事が出来る。

自身の工夫次第で世の中に対して布教が出来る。

守るべきお寺がある

などですね。やめたいと思った事は本山での大変な修行の時ですね。今思うとやめなくて本当によかったと思っています。

お坊さんは、自身の工夫次第で世の中の人の為に出来る事が沢山ある事が一番の魅力だと思います!

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おきもち

大本山總持寺安居ののち、松岩寺副住職となる。テレビ朝日系お坊さんバラエティー番組ぶっちゃけ寺出演経験。著書:最高のお葬式・最高のご供養(ベストブック社)地元紙・業界誌に執筆・投稿・取材等。ファイナンシャルプランナー・終活カウンセラー上級・お墓ディレクター2級などを保有。「どんな供養の悩みも解決出来る僧侶」を目指し気仙沼を中心に活動中 松岩寺公式ページ https://bk3027o.wixsite.com/kesennuma

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