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ペットの死について

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有り難し有り難し 44

他人のペットの死んだ話なんて、興味が湧かないかもしれませんが少しだけ聞いて下さると助かります。
つい最近、若うさぎが急逝しました。
麦という名前で、茶色の毛にお腹の部分は灰色で、鼻先や足先が黒くて、面白い毛色で、とても愛らしく思ったことです。抱き上げると、暫く茫然として、はっとして他の所に行きたがって蹴りつけてくるようなお転婆でしたが、家の中を走ってはずっと私や家族の周りをぐるぐる回って鼻先で足をつついて気を引くような愛らしいやつでした。まだ家に来て二年経っていませんでしたが、私と家族の日常の一部でした。
それが、つい昨日の早朝5時に死にました。
ケージを激しく引っ掻く音と、次いで悲鳴が聞こえて、離れた部屋に寝ていた私は目を覚ましました。うさぎは普段鳴きませんが、鼻を大きく鳴らして悲鳴を上げる事が稀にあります。
しかし、悲鳴は止まず、ケージを引っ掻く音がふっと消えた途端にのたうち回るような音がしました。
微かに両親が起き出した音がして、そして取り乱したような声が聞こえて、私は暗い部屋の中で急いで起きて、真っ暗な廊下に立ちました。悲鳴とばたばたという音を聞きながら、私は暗い廊下で自分の肩を抱いて薄暗いリビングを見ていました。母が溜息のような泣き声を上げ、近寄って小屋を覗き込むと、父が「死んじゃった…」と横で呟きました。麦はもう横たわって死んでいました。
まだたったの二歳でした。多分、夜中に突然内臓に何か発症して、あまりの痛みにショック死したのだと思います。うさぎは強い痛みを感じるとショック死してしまうのです。
死んでしまったものは戻ってこないのもよく知っています。もう麦が廊下を歩く私の後を追って走ってこないのも分かっています。
ですが、あの薄暗い中で、突然ケージを引っ掻いたのは、私たち家族を呼んでいたんです。痛くて助けを求めたんです。あの時そばにいればよかったとか、そういう事も思いましたが、どうする事も出来ないのは明白で、遣る瀬無い。
死んだ後はきっと楽しく過ごしていると信じていますが、あの薄暗い異様な空気の早朝と骨が折れる程暴れて悲鳴を上げる、あの愛らしいうさぎはまだ、記憶の中にいます。記憶の中で、悲鳴が聞こえます。死ぬ程の痛みの中で、家族を呼ぶ彼女を、どうか見守ってやるような救いを、祈って下さい。完全なエゴですが、どうか少しでも思いを馳せて下さると幸いです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

うちでもウサギを飼っています。
モコちゃんといいます。私はジビエちゃんと呼んでいますので二つの名前がありますが。
ウサギは首の後ろや背中をなでるとじっとしてずっとそうしてくれと言わんばかりにじっとしています。
今とても悲しい、寂しい、失われた感覚、喪失感が続いておられると思います。
お悔やみ申し上げます。
亡くなった最期の姿ばかりが思い起こされてしまうとは思うのですが、私がウサギだったら、どうせ思い出してくれるなら、最期がどうだったかよりも楽しく過ごした時間の方を思い出してくれというでしょう。きっと、しゃべれたらそう言っていると思いますよ。鳴きませんが。
これは私だけかもしれませんが、ウサギを飼っていると、時々後ろを振り返ると巨大ウサギになっているんじゃないかと思うようなことはありませんか。あ、ないですか。
今、あなたの中で麦ちゃんが思い起こされるでしょう。
それが、今の麦ちゃんなのです。
今後も思い返すごとに心の中では関わりが続いていきます。
あなたを精神的に豊かな心へ導いてくれるでしょう。
うちには昔、ドンという目の見えない犬を飼っていました。
ドンは目が見えないので、お寺の門をくぐる時、一段高くなっているので鼻をぶつけてしまうのです。雷がなると何が起こっているのか分からないようで、ガクガク震えていました。
そのドンという犬が亡くなったのは20年ほど前の事です。
そのくらい、人というのは、関わった来た相手が亡くなっても、20年経った今であっても瞬時に蘇ってくるものです。そして、その時、その時、折に触れて思い起こされては、心の中の畑を耕してくれます。
どうか、最後の亡くなった時のことより、あなたと麦ちゃんとの印象深い楽しかった思い出などをもっと思い出してあげてください。
あなたが麦ちゃんを今後の人生の中で豊かな心に導いてくれるための存在にしてあげてください。
供養というのは、お互いが豊かな心へ向かって今後も共に歩んでいくのです。
ゆえに、麦ちゃんがあなたを成長させてくれたことなどを沢山思い起こしてあげてください。
あなたの中の麦ちゃんがあなたの中で安らかになられることを祈念申し上げます。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

麦が仏さまの国に行かれることを祈ります

灰色さんこんばんは、今日は老犬のことでご質問がありました、その質問の回答も読んで頂けると幸いです。昨日早朝にウサギの麦さんが急死なさったのですね、お悔やみ申し上げます。大変可愛いウサギさんだったのですね。ペットと家族同然に過ごされている方なら皆さん灰色さんのお気持ちはお判りになると思いますよ。うちの寺は病気で余命わずかな犬と猫が4匹おりますが、ペットロスと言う言葉が最近胸に刺さります。命あるものは必ずこの世を離れる(心が肉体を離れる)時を迎えるものですが、それでも特に急なることは受け容れがたきことです。でも、ウサギの麦さんはこの2年間を灰色さんとご家族と確かに一緒に生きてきました。あなたも確かに麦さんと生きて来られました。書かれているように多くの思い出をお作りになられたはずです。その思い出を大切にされることがウサギに麦さんへの何よりの供養です。私も麦さんが仏さまの国に行かれることを願い祈らせて頂きます。南無阿弥陀仏

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有り難し
おきもち

長くサラリーマンをしていて、16年前先代の跡を継ぎました。住職となって改めて仏教の勉強不足を実感しています、未熟者です。 hasunohaは私にとって修行の場です。

質問者からのお礼

たかがうさぎ一匹、それでも祈って下さって、本当にありがとうございました。
じゃれつくように走り回って、好奇心いっぱいに動き回る彼女は、今でも記憶の中に。そしてきっと彼方でもそうあるのでしょう。憲章様の仰る通りこれを供養として、私は歩いて行きます。
いつかこの記憶は風化していくことと思います。
あの、死が吹き抜けていく異様な空間と時間も思い出として処理されていきます。
物悲しいんだか、仕方がないんだか、それが人間として当然なんだか。
でもきっとまた、あの非日常な死の気配はまた私の元にやってくることでしょう。雰囲気や気分や空気の移り変わりのなんと激しいことか。
現実って本当に曖昧でいて苛烈ですよね。

とにかく、本当に、お早い回答ありがとうございました。とても、暖かい思いをしました。麦も、きっと、救われることと思います。
ありがとうございました。

丹下様へ、ありがとうございます。
ジビエちゃんなんて随分と面白いお名前で呼んでらっしゃるんですね!思わず突っ込んでしまいました。
麦もそうでした。撫でてほしくて、私の手の隣でじっとしてました。まあ、お転婆なので撫でた途端に走り出すやつでしたが。
背後で大きくなってるとか、もしくは大群で押し寄せてくるとかそういうヘンな妄想私もしたことあります。うさぎ飼いの方に限らずペット飼いの皆さんもたまーにしたりするんじゃないでしょうか?え?しません…?
心の畑と仰るのですね。自分ではそういった例えで考えたことがなけれども、『耕されている』『豊かになる』といった自覚はあるように思えます。
今でも、死の記憶だけじゃなくて、私の記憶の中で後を走ってくる姿があります。きっと、今でも楽しく走り回ってることでしょう。
丁寧なお返しの言葉と、お祈りの言葉、本当にありがとうございました。丹下様の元のモコちゃん、そして記憶の中のドンちゃん、そして心を同じくした皆さまの中の記憶が安寧で良きものになりますよう、ささやかながらお祈りいたします。
重ねて感謝申し上げます。

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