まだきつい
いつもありがとうございます
娘が首吊りをして一年と少し経ちます
私は自分がしんどいから娘を
見放したような形で娘を亡くしました
家族のために今生きてますが
ただ生きてるだけで
娘の事で頭がいっぱいです
早く築地の自費遺族のつどいに行きたいのですが
働いてないのでまだお金がなく行けません
娘が恋しくて会いたくて
娘が愛しくて
涙が枯れない
いつも聞いて下さりありがとうございます
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたが幸せになることでお嬢さんも浮かばれる
大変でしたね。
お辛い時はいつでもどうぞ。
ムリせず、悲しい時は泣いてあげてください。
参考になりますかどうか。
「自身の衆生を救う」という事を心がけてみると良いかもしれません。
私も昨年、弟・弟子を亡くし、何もしてやれなかったのが残念でなりません。
ですが、自分ができるこの世の善玉菌活性化活動をただひたすらするのです。
隣の人がどうであれ、自分がそれをする。
すると、どうやらそういう生き方というのは天地自然のあらゆる生命、生物にとってとても良い働きが生ずるようで、心が慈愛に満たされてくるようになります。
義務であってはいけません。
それを、お嬢さんへの報恩としてでも良いですから、お嬢さんに変わってお嬢さんがもし生きておられたらこういう活動をしてほしかったことを、あなた自身で利他行としてやってみてください。
誰かの助けになることです。
hasunohaのこの回答も、皆それぞれが自身の体験を通して、知っている事を記すだけです。
それによって救われる方がいる。助けられる方がいる。
それが仏教の利他行、利行、愛語、布施、同事行などといわれるいわゆる菩薩の修行です。
愛を表現すれば愛を表現したその本人がその愛のエネルギーによって包まれる。
あなたのお嬢さんを想われる気持ちを行いに現してみてください。
自分の持っているチカラでどんな事でもいいですからやってみてください。
それが、自分の衆生を救う行為になります。
あなたがお嬢さんにこうしてあげたかったなぁ、可哀想になぁと思われる、その心がここで申し上げる衆生なのです。自身の衆生なのです。
何とかしてあげたい。何とか助けてあげたい。
その心を自分自身で救うのです。
禅宗の六祖大鑑慧能という方は、衆生とは自心の衆生であって、外には無いものであるとお時になられています。
私があなたに回答させて頂くのも、私があなたに何とか力になってあげたいという自身の衆生済度なのです。人間はそうしてお互いに助け合って、支え合って生きていくのです。
あなたの中のお嬢様があなたの中で安らかになられますことをお祈りいたします。覚元合掌
質問者からのお礼
いつもありがとうございます
そうですね
誰かのために私に出来る事をして
娘を愛するように
私に出来る事をしてみます
泣きながらでも
衆生とゆう心を心がけます
暖かいお言葉を頂きありがとうございます
いつも助けられています