愛犬の死
私の愛犬の話を聞いてください。
10年可愛がってきた愛犬(くう)を亡くし四十九日も迎えました。
くうは、知人の飼い主から飼えなくなったからと譲り受けました。
周りから愛犬の写真を片付けろ…
もういないのだからっと言われます。
キャリー、ハウス、洋服、玩具などは整理しました。
でも、写真だけは片付けれません。
くうにしがみついている訳じゃないですが、
まだ目を閉じると元気に走り回っている姿…
いつも私の後を追いかけてくる姿…
玄関で帰りを待ってる姿…
姿が見えないと必死に探し鳴く姿…
どこに行くにも一緒
そして亡くなる数日まで痛みに苦しみ続けた姿…
ご飯も水も食べれなくなり
歩けなくなり
下血が続き
ずっと抱っこしてたのに亡くなる寸前に一緒にいられなかった後悔(トイレに数分離れてしまった事に対して)などを思い出してしまい涙が溢れます。
くうは幸せだったのでしょうか?
写真片付けた方が良いのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今は偲ぶとき、事務的な事は後回しで構いません。
お悔やみ申し上げます。
まず、私が伝えたいのは、くうちゃんは幸せでしたよ。
自宅に迎えてから、ユミさんに最後まで寄り添ってもらい、くうちゃんは「ありがとう」と言っています。
ユミさんは悔やんでおられますが、最期は見せたくなかったのです。
わんこはとてもかしこいです。
以前の飼い主のお宅から引っ越した頃は、きっと飼い主を待ち続けた事でしょう。
しかし、お迎えは来なかった...
くうちゃんは、ひどく傷ついたと思います。
その、くうちゃんの心の傷を埋められたのがユミさん、あなたなのですよ。
くうちゃんの死の間際、徐々に弱っていく姿を見て、胸が締め付けられる思いだったでしょう。
また、共に過ごした心を通わせた思い出。
今でもその時の事が、脳裏によぎるといたたまれない気持ちになりますね。
そう考えると、大切な存在を亡くした時、人だからとか、血縁関係だとか関係ないなと実感します。
どれだけ心を通わせたかが重要なんですよ!
生あるものは必ず滅し、形あるもの必ず崩れる。
「今」は、一定ではなく、状況は常に変化します。
多忙な日常生活を送っていると、その事がうやむやになり、くうちゃんとの時間が永遠なるものと、錯覚すら覚えられたことでしょう。
くうちゃんは、死という形で、あなたに教えてくれたのです。
想いはまだ募るでしょうが、初七日、四十九日、百か日、ひとつひとつ区切りを迎えるごとに、心は変化し、冷静にくうちゃんの死を見つめる時が来ます。
なぜ写真まで片付けろとおっしゃられるのか分かりませんが.....
今は、写真を隠してでもいいので、持っておかれてもいいと私は思います。
この件はあなたご自身で決めて下さい。
そしてまた冷静にくうちゃんの死と向き合える時が来たならば、もう一度ユミさんの判断で考えられてはいかがでしょうか?
くうちゃんの、ご冥福をお祈り申し上げます。
くうは喜んでいますよ。
ユミさん、こんにちは。
大好きなワンちゃんがなくなってしまったのですね。
犬の寿命は大体15年前後。老衰や老化に伴う病気でなくなることも、お釈迦さまの諸行無常の通りです。
写真はいいと思いますよ。それが悲しみにならないのであればが前提です。人間に比べればその短い命の時間をユミさんに預けたのです。だから何で死んだんだろうという悲しみでとらえないでください。短い時間を私に預けてくれてありがとうと感謝し、楽しかった思い出を大切にしましょう。
あなたが喜ぶことが、ペットの喜びなのです。くうちゃんは天国でユミさんと出会えたことを喜び、あなたの幸せを願っていると思います。
合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。
写真は元気な頃から大きく現像し部屋中に飾ってありました。
携帯の待ち受けもくうちゃんです。
知人から見たら、私が前に進めないから片付けた方が良いみたいです。
でも、私はまだくうちゃんを忘れられません。
私の心が落ち着くまでこのままにしとこうと思います。
本当にありがとうございました
ありがとうございます。
くうちゃんの写真はこのまま飾っておきます。
思い出して泣いてしまう日もあるかもしれませんが、まだ一緒にいたいので