怒りとそのあとにくる悲しみをどうしたら良いかわかりません。
主人に対しての怒り。いろいろ手伝ってくれるのに、やってくれていないことに対して、怒ってしまいます。例えば、洗濯物を干してくれてもシワがあると怒る。私のどうしても譲れないルールに沿ってないと腹が立ちます。
こうして欲しいよと伝えてあります。
まめだと思います。手伝ってくれます。私への気遣いの言葉はないけど、気遣ってくれているから、手伝ってくれてると思うのに腹がたちます。
体調が悪い時など大丈夫?という言葉がないのも腹がたちます。
腹がたつと、私のことなんてどうでも良いよね。と悲しみがきます。
会社の二人の後輩に対して心の中で怒ってます。遅刻ギリギリの出社、片づけない、スカートをまくりあげて下着がみえての作業。裸足で会社の床を歩き回り、休憩の部屋の絨毯を歩き回る。朝の分担の掃除をちゃんとしないでタバコは長い。始業の鐘がなっても席につかない。雑用はほぼしない。
何度か注意しましたが、ダメです。彼女たちがやらないことは結局、私がやります。それを知っていて何も言わない周りの人にも腹がたちます。
率先して私がやれば、きっと・・・と思いましたがやりすぎて疲れました。
そして後輩ふたりはお互いを手伝ったり、手伝いが終わると過剰なくらいお礼を言い合います。
でも私には、ほぼありません。腹がたちます。どんだけなめられているのかと・・・
そして、私なんてそんな扱いだよね。どうせ。と悲しみがきます。
子供への怒り。まだ四歳。できないことがあって当たり前なのは分かっているのに、必要以上に怒ってしまうときが、あります。
怒りすぎて、ごめんね。と悲しくなります。
短気ではなかったと思います。イライラして寝れない日もあります。
もっと優しくなりたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
阿修羅にならないように
正義の味方といえば、誰を思い浮かべるでしょうか?
仮面ライダー?ウルトラマン?
現代だとプリキュア…?
仏教で正義を主張する存在は「阿修羅」です。
ですが、ご存じかもしれませんが、阿修羅は人より下の扱いです。
神さまなのに、魔物扱いなんです。
そんな阿修羅は怖い顔をしています。
正しいことしか言わない阿修羅は、その正しさを押しつけるのです。
それが叶わないので、怖い顔になります。
ちょこさんの怒りも、この「阿修羅の正義」です。
正義にこだわっているあまり、魔物状態になっているわけです。
怒りは、さらなる怒りを生みます。優しさを失わせます。
怒りの成分を抽出すると、ものスゴイ毒薬になるそうです。
怒りは仏教では「三毒」の1つで、自分には与えるものは損ばかりです。
悲しみは、きっとちょこさんなりに怒りを処理しようとしているんでしょうね。
とても真面目な方なのは伝わります。
でももし、みんなが阿修羅だったら、そこはギスギスした争いの社会でしょう。
仏さまから見たら誰しもが凡人です。
それぞれができること、できないことがあります。
ちょこさんはきっと色々「できる」方なんでしょう。
なのできっと「できない方を許すこと」も、できるようになるはずです。
穏やかに過ごせることを願ってますよ(^^)