暴力を許すことは良いことですか?
先日、相手の説明の不備を私がわかりやすくしてくれというと、相手が「お前はバカか」「考えれないのか」という感じでヒートアップし、5分ほど暴言を吐かれました。
さすがに頭にきて立ち上がったところ、相手に掴まれ投げ飛ばされ打撲と骨折(全治数週間)をしました。
知人の弁護士によると相手は立派な傷害事件を起こしており、今被害届を出したら前科がつくだろうとのこと。
社内のほとんどの人がその場にいて目撃してるのですが会社の社長は穏便に済ませたいらしく被害届を出さない方向になり、
私自身悔しいですが、被害届を出しませんでした。
でも出した方が、彼をもう二度と暴力行為をしない抑止力にもなったのではないかとも思います。
私は被害届を出さなかった弱虫なのか、それとも許すというチャレンジをしたのかよくわかりません。
もし、自分の子供がそんな事になったら自分だったらどうするかなぁとも思います。
出したら彼は前科者としてこれからの人生生きにくくなるだろうから自分のやってることは良いことだと言い聞かせてますが、本当に私のやったことは良かったでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「怨みに報ゆるに徳を以てす」
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「怨みに報ゆるに徳を以てす」
やられたらやり返すでは、悪い行いとなり、悪い結果を招くことになりかねません。
「怨みは怨みによっては鎮まらない」というのが釈尊のお言葉であります。
怨みに思わないことを以って怨みを鎮めることが、良しとなります。
そして、最良は、それだけではなく、更に相手に慈悲を以って、徳を成すこと。
この度の、許した上に、相手の不幸を退けられたことは、まさに徳行であるのではないだろうかと存じます。
また、他山の石として、我をも律して参りたいものでございます。
川口英俊 合掌
法律は道具。使う使わないはあなた次第。
国の法律は、人間が作った道具です。
その道具(今回の場合は告訴)を使うか使わないかは、仏教的にはどちらでも良いのです。
仏教的に重要なのは、悩み苦しみの原因である煩悩とどう向き合うか、です。
煩悩とは、欲・怒り・怠け・プライドなどの感情や、
諸行無常・諸法無我・一切皆苦を理解していない心のことです。
それら煩悩を制御したり消したりできれば、悩み苦しみを制御したり消したりできるのです。
怒らない方が自分のストレスは減るということですね。
仮に訴える場合でも、怒らないでただ訴えるだけにする方が良いのです。
質問者からのお礼
一時期自分も出家しようと思ったことがあり、「徳」という事を聞きとても救われました。ありがとうございました。