何故人生は選べないのでしょうか?
こんにちは。
お世話になります。
何故、人生は選べずに平等ではないのでしょうか?
恵まれてる人はとことんいい思いをし、苦労してる人もいますよね?
私だって苦労ばかりです。
どんなに幸せを願っても幸せにはなれませんでした。
一方、わたしの親戚にいい思いばかしてる人がいます。彼女は苦労とは無縁の人生を送っています。
私ももっと優秀な人間に生まれたかったです。
自分と人を比べないと言われても比べてしまいます。
できることなら苦労のない人生を送りたかったです。
最近では脅迫観念にとらわれ、私は幸せになる権利はないのでしょうか?
毎日不安なんです。
頭の中で色々なことが浮かんできます。
私はどうしたらいいですか?
助けてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
選べるものと選べないもの
大変お辛い心情をお聞かせいただきました。過去の質問を拝読させていただくと一年近くこのようにお悩みの様ですね。いや、最初にご相談いただいた時より以前からお悩みかもしれませんね…。
ここに来てお悩みを解決される方もいれば、ず~っと悩み苦しみ人もいます。一体何が違うのでしょうか。私たちの回答が間違っているのでしょうか?…もちろんそれもあるかもしれませんが、私が思うに、厳しい事を言うと「誰も救ってくれませんよ」ということです。誰かが助けてくれるのではありません。「誰かの言葉を通して自分の足で立ち上がる」のです。自分の意志で行動を起こすのです。
これは仏様でも同じです。仏様は誰かの目の前にあらわれてスペシャルパワーでお悩みを解決してくれるのではありません。仏様の教えがあなたに悩み苦しみの原因を「自覚」させるのです。
つまり、あなたを離れて仏様はいないんですね。仏様はあなたに目覚めて欲しいと願っているのです。
さて、「何故、人生は選べずに平等ではないのでしょうか? 」とのことですが、理由がわかったところで選べないという事実は変わりません。
どうやら解決のヒントは「なぜ?」という思考ではなく「選べない」という事実を受け入れるとことにありそうです。
そしてその事実を受け入れるならば私たちには「選べない人生の出来事に対してどういう態度をとるかは選べる」というさらなる事実に気がつきます。
天災や事故など人生には不幸と言わざるを得ないような出来事もあります。それにあった人は選んでそうなったわけではありません。でもその出来事のあとで「もうだめだ」とウジウジあきらめるか、「なにくそ!」と立ち上がるかで「それから先」は変わってくるでしょう。
幸せとは事実を受け入れ、事実に対する態度を自分で選び歩む中で見出されてくるものではないでしょうか。
どんな出来事が起こるかは選べなくとも、そこからどうするか選べるというのは皆に平等です。
頭の中の世界から、具体的な態度をとるという世界へ足を踏み出してみましょう。みんなあなたを応援しています。願いをかけつづけています。
後はそれを自覚して自分の足で立つのみです。
人生は選べます
人生は選べます。しかし、生まれてくるところはどうしようもありません。大変申し訳ありませんが、あなたの文章からはただ、比較と妬みしか見えてきません。これは例えその親戚の方と入れ替わってもまた別の苦しみが生まれるのではないでしょうか?それよりさらにあなたから見て恵まれた人を観てはあっちの方が幸せだ。と思うのではないでしょうか?
それよりはあんたを今まで育ててくれた両親の恩や互いに助け合ったであろう友人達にはどのような気持ちでいますか?もし、それらの人に大切にされているならそれはそれで幸せと思います。
他人の評価や偏見に惑わされず、己の足元を先ずはみて下さい。
失敗とは転ぶことではありません。転んだあと起き上がらないことです。
質問者からのお礼
回答ありがとうごさいます。
大変遅くなり申し訳ございません。
ただ、こちらこそ申し訳ないですが嫉妬して何が悪いんですか?
両親の恩?
私はこんなに苦労ばかりの人生にさせられて、逆に恨んでます。特に父親は顔も見たくないくらいです。
世の中には色々あります。
私は人から大事にされたこともないのでどのような気持ちもないと思いますよ。