よくないかもしれませんが
僕は今まで初対面の人でも見知らぬ誰かでも言葉や態度に気を付けてきました。
年上の人にも失礼のないように色々考えて話してきました。
最近思うのがなんでこんな誰ともわからん連中や知らない人に対してこんなことしなくちゃなんないの?
ていうかルールがあるわけでもないのに、なんでこんな言葉に気を付けなきゃなんないのさってことです。
また、仕事仲間でも無条件に気を使うのも許せないです。
例え相手が誰でも気をつかったり、ましてや気遣い、「敬えよ」とか、「言葉や態度に気を付けろよ」と言われても、よっぽど自分に得なことじゃなきゃ納得いかないし、怒りを感じます。
なにが正しいんでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
はじめに尊敬あり
どんな人に対しても言葉や態度に気を付けてきたのですね。素晴らしい心がけだと思います。
「はじめに尊敬あり」とはあるお坊さんのお言葉です。人と関わる時の基本姿勢でありましょう。
尊敬のないところにあたたかな関係は開かれてきません。そんな関係いらないやっていうのなら何も気遣う必要はないと思いますがそれじゃ寂しくありませんか?
損得で言っても気遣いに得を感じられないとのことですが気を遣わないのは損しかないと思いますよ。
でもあまりの気遣いは時々疲れてしまいますね。そういう時はなんにも気を遣わないでいられる関係があると救われますね。そういう友人や同志に恵まれるためにも最初は気遣いをした方がよいのではないでしょうか?
いやしかし仏様ならどんな態度でも許してくれますけどね。
正しい正しくないより、本当は自分がどうありたいのかを考えてみてください。
「何をバカなことを言ってるんですか?」と私があなたにいきなり初対面にもかかわらず回答したとします。
何か面白くないでしょう。
だから、相手を尊重して、敬う。
それが世間のルールなのでしょう。
丁寧語とはお互いに丁寧にしあっている関係なのです。
親友の場合はタメ口きいたりする方が楽でしょう。
ところが人によっては、それはいい印象を受けない場合があるのです。
相手に合わせて、相手がライトな言葉でも通じる方にはその様に話せばよいでしょう。
あなたの味が出てきたのかもしれませんね。
親しき仲にも礼儀ありで、話が通じる相手にあなたの本音トークを出し切ってみてください。
本当に付き合うべき相手が見つかれば、それで満たされると思います。