生きることの意味
はじめまして
最近よく思うのですが、生きる意味がわかりません。
僕の一つの考えとして、生命は偶然出来た産物であり、生きること自体に意味はないというものを持っています。
ではなぜ人は死ぬことを恐れるようにできているのでしょうか?
そしてなぜ生命は種を残そうとするのでしょうか?
いくら種を繁栄させようと、生物はいずれ滅びる運命からは逃れられないのに、すべての生物が子孫を残そうと必死になっていることが理解できません。
なぜDNAという緻密な情報組織が存在しているのでしょうか?
生命が偶然誕生したとしても不自然すぎるくらい緻密にできているのが不思議です。
僕はこれらの疑問から、神というものは存在しているのだと思うようになったのですが、もし神が存在しているとするなら、なぜこの世というものを存在させるという決断に至ったのでしょうか?
また、なぜ神は自身を存在させようと決断に至ったのでしょうか?
自分でも何を言っているのかよく分からないのですが、とりあえず生きる意味がわかりません。
そして生きるのも死ぬのもとても怖いです。
毎日不安で辛いです。
何か生きるためのアドバイスをくれたら幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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因縁果の理
タロウ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
生きる意味や価値や理由というものは、言ってしまえば、それぞれいかようにも恣意的に決めてしまえるようなもので、正直、「これだ」と決定的に万人が納得するような答えは出ないようなものとなります。
捉えるそれぞれによって、まさに十人十色ということになるでしょうか。
そして、確かに、絶対的、実体的にあり得ているわけではないのですが、かといって、何もないという絶無・虚無と言うものでもありません。
では、どのようなありようであるのかと言えば、色々な因縁(原因と条件)によって成り立っているものであると、一応、言えるものとなります。
その因縁など、他に依って成り立っていることを仏教では「縁起」と申します。そして、縁起により成り立っているということは、そのもの自体がそのもの自体の側において、他に依存せずに独立自存的、実体的には成り立っていないということで、そのことを仏教では「空」と申します。
存在、思考、概念も含めて、「全ては縁起し空である」というものとなります。
そして、仏教では、創造神や絶対神は否定されるものとなります。
それよりも、モノコトのありようについての因縁果の理を理解することにより、善き因縁によりて、善き結果へと向かって参りたいものとなります。
その善き因縁の調え方について説かれておりますのが、仏教というものとなります。
当然に、善き因縁を調える中で、生きる意味や価値、理由も善いものが見いだせていけるものとなります。
是非、仏教にもより興味を持って学ばれて頂けましたら有り難くに存じます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
回答して頂き有難うございます。
是非参考にさせて頂きます。