何故人生は嫌なことばかりなのですか?
人生嫌なことがありすぎて、少しの幸福も不幸で塗り潰されてしまいます。
嫌なことがありすぎて、少しでも嫌な気分にならないように、最近はめっきり感情が薄くなってしまいました。
ほとんどのことに何も感じず、あるのは悲しみとか怒りくらいです。
人生、何で嫌なことばかり起こるのでしょうか?
神様からの試練?こんなに心が死にかけながら乗り越えるものってなんですか?
なんだか、ベランダから飛び降りたくなってきました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人生には元々「嫌なこと」がない
外の側には幸福や不幸はありません。
あなたの家で使っているテレビが壊れたとします。
あなたにとっては不幸でしょうか。
電化製品のお店にとっては、新しいのを買ってくれたり修理の仕事が入ります。
ひょっとしたら素敵な発見や出会いもあるかもしれません。
「不幸だ、不幸だ」と、このhasunohaサイトにたどり着きました。
今までの人生の一面的な考え方がこういうことをきっかけとして大きく変わるかもしれません。
だとすれば、すべてはわが師。
自分を成長させるエネルギー。
ものには善し悪しはありません。
雨は良いものですか?
晴れは良いものですか?
雨続き、晴れ続きでは困る人もいるのです。
「自分にとって」という小さな望遠鏡で除いた世界を捨ててしまいましょう。
そこにあるものは、みんな人間の考え方やあなたの考え方を離れたありかたをしていることに気づけるはずです。
あなたが嫌なことがそこにある時、それが学びになって新しい気づきを与えてくれて、あなた自身を向上させ、最終的に悩みや苦しみの無い生き方を発見することになったとしたらそれは、そのおかげなのではないでしょうか。
「イヤなこと」が無くなる方法は、実相を学ぶことです。
自分が今、全身の知覚・感覚で感じていることのすべてが、自分のヨイワルイを離れたありかたとして存在している事を見極めるのです。
今、起こっていることが人間の決めるところの良い悪いや、好き嫌いを超えている。
乗り越えるのではありません。
そこに安住する。
抗いや反発無しに、その通りの事をそのまま見つめる。
そしてそこに気持ちを注ぎ過ぎてわたくししないこと。
あなたにとっての良いことは誰かにとっての悪いことであったりします。
仏法はそういう誰かにとってのヨイワルイというものは後付けのリクツに過ぎないことを知り、人間の評価以前のダイレクトの事実を生きることです。
これを機会に、自分の心のありかたを見つめなおして、このhasunoha内の他者の問答を通して自分の一面的な考え方を離れ、柔軟な生き方を見出してください。
全てはただの事実
けい様
初めまして、釋 慧心と申します。
拝見させて頂きました。
嫌なことが10あったら、楽しいことは、1か、0.5くらいですよね。
何とでも言えますが、世間では、嫌なことがあるから良いことにがあるとか言いますね。
私を中心に見ていけば、それも外れてないと思います。
例えば、何が嫌ですか?
環境や年代、性別によっても嫌なことは違うかなと思います。
私は今、休みがほとんど無いのが嫌です。
しかし、休みたいなら一生休んどけと言われたら、それも嫌です。
不和もそれなりに抱えております。
白黒つけず、ベストではなくなるべくベターを重ねてのんべんだらりとやり過ごしております。
私事をすみません。
それてしまいました。
例えば、仏教でいう嫌は、苦と表したりします。
代表的な、嫌(苦)は、生 老 病 死と決まっております。
少し話を戻しまして、
私は今、休みがないことが嫌なことと言いました。
これは、けい様にとっては如何でしょうか。
私が休みがないこと。
嫌ですか?
正直、知らんがな。ではないですか?
私には嫌でも、私の身の上のことは、けい様にとっては関係ありませんよね。
痛くも痒くもない。
これが、嫌(苦)の正体です。
老いることも、病気になることも、死ぬことも。
毎日誰かがどこかで死んでいますが、気にも止めないですね。
何故でしょうか。
自分に関係ない、我が身の上におこることではないときには、四大苦と言われる、根本的な苦しみでさえ、ただの事実でしかないからです。
生にも老にも病にも死にも、なんの罪もありません。
そこにあるだけだったり、他人の身の上の出来事でしたら、ただの事実です。
ところが、私の身の上にそれがおこると、ただの事実がたちまち嫌(苦)に変わってしまいます。
何故でしょうか。
私の都合に合わないからです。
世の中が、全て嫌(苦)に思えるのは、皆が私の都合で物事や人を見ているからと言えます。
私中心の見方は、目や鼻のように元々私に備わっているものだから、それから生まれる、嫌を完全に消し去ることは困難でしょう。
しかし、優しいことばと笑顔を心掛けたり、あまりベストを求めすぎず、ちょっとでもマシなら良しとすることで、少しずつ、嫌から自由になれたり、慶びになったり、和らげたりは出来ます。
少しずつ歩みましょう(^_^)
今の不幸は未来の幸せの第一歩
けいさんこんばんは初めまして
日々嫌な事、辛い事たくさんありますよね
少しの幸福も大きい不幸の前では風の前の灯火の様にすぐに消えてしまいます。
人間の記憶は喜怒哀楽に結びつきが強い程記憶に残りやすいと言われております。
昨日の食事が思い出せなくても、何かのイベントは鮮明に思い出せるのはこれの為です。
感情が薄くなってとありますが、悲しみと怒りの感情つまり哀と怒の感情は残っています。
辛いことや悲しいことそういった事は大変目に付きやすく記憶にも残りやすいです。しかし、喜と楽も小さいけれどちゃんとあります。今は心中が大変でそこに目を向けられないのではないでしょうか?
辛い、悲しいは避けようとしても必ずあなたのもとを訪れます。
避けれないのに避けようとするから却って痛みを覚えてしまうのですね。
あなたの今の苦しみはあなただけのものです。
しかし、あなたのこれからの未来を幸せに彩るには今の経験が無くてはありえません。
今現在大変辛く嫌で抜け出したいのであればどうやったら不幸から脱却できるのか、荒唐無稽であっても構いません。あなたが経験したからこそその逆は浮かび上がるはずです。そこを考えてみて下さい。
あなたが踏む出すのはベランダでは無く、思い描く理想の第一歩であるはずです。
「嫌だ」は怒りの煩悩
人生嫌なことばかりだと感じているのですね。
それは、あなたが人生の色んなできごとを「嫌だ」という怒りの煩悩の眼鏡で見ているからです。
何かを期待して、期待通りにいかないと「嫌だ」と怒りが出て来るのです。
現実世界のあらゆる現象は変化します。(無常)
しかしあなたは、自分の期待する形以外に変化されると怒りの煩悩が働いてしまうのです。
「ま、いっか!」と期待への執着を手放しましょう。
柔軟で身軽な心を目指しましょう。
あなたの未来を信じて
拝読させて頂きました。あなたのおっしゃるとおり人生嫌なことばかり沢山ありますよね。本当に次から次へと続くのでウンザリしてしまいます。あなたのお気持ちを心からお察し申し上げます。
そうですね、長いトンネルを通っているようになかなか明るいことが出てきませんよね。本当に生きるって何なんだろうかと考えてしまいます。
それでも生きていかねばならないこの辛さをどうあがなっていけばいいのだろうかと思ってしまいます。
あなたにとって良いことや幸せになれることとはどんなことでしょう。
人はその状態や心のありようによってもものごとの受け取り方がだいぶ変わるものです。
食べ物も水もないような生きるか死ぬかの状態であればわずかな水やほんの一握りの食べ物であっても大変有難く感じるでしょう。逆に何でも満たされている中であったら些細なことでは幸運や幸福を感じることはないでしょう。
よくよく考えてみるとあなたは今どのような状態の中で生きていらっしゃるでしょうか?
今生きている中で忘れていることや感じられないことや当たり前だと思っていらっしゃることはありませんでしょうか?
それを見つめなおすことや再確認することももしかしたら一つのきっかけになるのではないでしょうか。また例えば今の状況から少し離れてみることももしかしたら必要なことかもしれません。
あなたはこれから様々な方々に出会い様々な出来事に遭遇して様々な経験を積んでいかれることでしょう。確かに辛く苦しいことは沢山訪れることでしょうが、決してそれだけではありません。沢山経験する中で有難いことや素晴らしいことに巡り会い受け取ることができるでしょう。
人生一寸先は闇ですが、それでも必ず光明が見えてきます。
あなたがこれからの未来に沢山の出会いや幸運が訪れて皆さん共にお互いを尊重しながら心豊かな実り多い毎日となりますようにと心より祈っております。
そしてあなたを心から応援させて頂きます。
どうかあなたの未来を信じて前向きに受け取り歩んでくださいね!
質問者からのお礼
ご返答ありがとうございます。
なかなか体を動かす気力がなく、遅くなってしまい申し訳ありません。
私もいつか絶対幸せになると思って頑張っていた時もありました。結果は駄目でした。嘲笑うかのように不幸でした。
私も何でも寛容に受け入れる努力をしたこともありました。結果は駄目でした。疲れてしまいました。
もう、生きる気力がありません。
ごめんなさい。
沢山ご返答いただいてうれしかったです。