hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

何故人生は嫌なことばかりなのですか?

回答数回答 5
有り難し有り難し 469

人生嫌なことがありすぎて、少しの幸福も不幸で塗り潰されてしまいます。

嫌なことがありすぎて、少しでも嫌な気分にならないように、最近はめっきり感情が薄くなってしまいました。
ほとんどのことに何も感じず、あるのは悲しみとか怒りくらいです。

人生、何で嫌なことばかり起こるのでしょうか?
神様からの試練?こんなに心が死にかけながら乗り越えるものってなんですか?
なんだか、ベランダから飛び降りたくなってきました。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人生には元々「嫌なこと」がない

外の側には幸福や不幸はありません。
あなたの家で使っているテレビが壊れたとします。
あなたにとっては不幸でしょうか。
電化製品のお店にとっては、新しいのを買ってくれたり修理の仕事が入ります。
ひょっとしたら素敵な発見や出会いもあるかもしれません。
「不幸だ、不幸だ」と、このhasunohaサイトにたどり着きました。
今までの人生の一面的な考え方がこういうことをきっかけとして大きく変わるかもしれません。
だとすれば、すべてはわが師。
自分を成長させるエネルギー。

ものには善し悪しはありません。
雨は良いものですか?
晴れは良いものですか?
雨続き、晴れ続きでは困る人もいるのです。
「自分にとって」という小さな望遠鏡で除いた世界を捨ててしまいましょう。
そこにあるものは、みんな人間の考え方やあなたの考え方を離れたありかたをしていることに気づけるはずです。
あなたが嫌なことがそこにある時、それが学びになって新しい気づきを与えてくれて、あなた自身を向上させ、最終的に悩みや苦しみの無い生き方を発見することになったとしたらそれは、そのおかげなのではないでしょうか。
「イヤなこと」が無くなる方法は、実相を学ぶことです。
自分が今、全身の知覚・感覚で感じていることのすべてが、自分のヨイワルイを離れたありかたとして存在している事を見極めるのです。
今、起こっていることが人間の決めるところの良い悪いや、好き嫌いを超えている。
乗り越えるのではありません。
そこに安住する。
抗いや反発無しに、その通りの事をそのまま見つめる。
そしてそこに気持ちを注ぎ過ぎてわたくししないこと。
あなたにとっての良いことは誰かにとっての悪いことであったりします。
仏法はそういう誰かにとってのヨイワルイというものは後付けのリクツに過ぎないことを知り、人間の評価以前のダイレクトの事実を生きることです。
これを機会に、自分の心のありかたを見つめなおして、このhasunoha内の他者の問答を通して自分の一面的な考え方を離れ、柔軟な生き方を見出してください。

{{count}}
有り難し
おきもち

全てはただの事実

けい様

初めまして、釋 慧心と申します。
拝見させて頂きました。

嫌なことが10あったら、楽しいことは、1か、0.5くらいですよね。

何とでも言えますが、世間では、嫌なことがあるから良いことにがあるとか言いますね。

私を中心に見ていけば、それも外れてないと思います。

例えば、何が嫌ですか?
環境や年代、性別によっても嫌なことは違うかなと思います。

私は今、休みがほとんど無いのが嫌です。
しかし、休みたいなら一生休んどけと言われたら、それも嫌です。
不和もそれなりに抱えております。
白黒つけず、ベストではなくなるべくベターを重ねてのんべんだらりとやり過ごしております。

私事をすみません。
それてしまいました。

例えば、仏教でいう嫌は、苦と表したりします。

代表的な、嫌(苦)は、生 老 病 死と決まっております。

少し話を戻しまして、
私は今、休みがないことが嫌なことと言いました。
これは、けい様にとっては如何でしょうか。
私が休みがないこと。

嫌ですか?
正直、知らんがな。ではないですか?

私には嫌でも、私の身の上のことは、けい様にとっては関係ありませんよね。

痛くも痒くもない。

これが、嫌(苦)の正体です。

老いることも、病気になることも、死ぬことも。

毎日誰かがどこかで死んでいますが、気にも止めないですね。

何故でしょうか。

自分に関係ない、我が身の上におこることではないときには、四大苦と言われる、根本的な苦しみでさえ、ただの事実でしかないからです。

生にも老にも病にも死にも、なんの罪もありません。
そこにあるだけだったり、他人の身の上の出来事でしたら、ただの事実です。

ところが、私の身の上にそれがおこると、ただの事実がたちまち嫌(苦)に変わってしまいます。

何故でしょうか。

私の都合に合わないからです。

世の中が、全て嫌(苦)に思えるのは、皆が私の都合で物事や人を見ているからと言えます。

私中心の見方は、目や鼻のように元々私に備わっているものだから、それから生まれる、嫌を完全に消し去ることは困難でしょう。
しかし、優しいことばと笑顔を心掛けたり、あまりベストを求めすぎず、ちょっとでもマシなら良しとすることで、少しずつ、嫌から自由になれたり、慶びになったり、和らげたりは出来ます。
少しずつ歩みましょう(^_^)

{{count}}
有り難し
おきもち

浄土真宗本願寺派です。 有髪に非僧非俗、 肉食妻帯(現在は独身ですが)...
このお坊さんを応援する

今の不幸は未来の幸せの第一歩

けいさんこんばんは初めまして

日々嫌な事、辛い事たくさんありますよね

少しの幸福も大きい不幸の前では風の前の灯火の様にすぐに消えてしまいます。

人間の記憶は喜怒哀楽に結びつきが強い程記憶に残りやすいと言われております。
昨日の食事が思い出せなくても、何かのイベントは鮮明に思い出せるのはこれの為です。

感情が薄くなってとありますが、悲しみと怒りの感情つまり哀と怒の感情は残っています。

辛いことや悲しいことそういった事は大変目に付きやすく記憶にも残りやすいです。しかし、喜と楽も小さいけれどちゃんとあります。今は心中が大変でそこに目を向けられないのではないでしょうか?

辛い、悲しいは避けようとしても必ずあなたのもとを訪れます。
避けれないのに避けようとするから却って痛みを覚えてしまうのですね。

あなたの今の苦しみはあなただけのものです。
しかし、あなたのこれからの未来を幸せに彩るには今の経験が無くてはありえません。

今現在大変辛く嫌で抜け出したいのであればどうやったら不幸から脱却できるのか、荒唐無稽であっても構いません。あなたが経験したからこそその逆は浮かび上がるはずです。そこを考えてみて下さい。
あなたが踏む出すのはベランダでは無く、思い描く理想の第一歩であるはずです。

{{count}}
有り難し
おきもち

日蓮宗の僧侶をしております 祖山での修行、荒行を終え現時点での精一杯でお...
このお坊さんを応援する

「嫌だ」は怒りの煩悩

人生嫌なことばかりだと感じているのですね。
それは、あなたが人生の色んなできごとを「嫌だ」という怒りの煩悩の眼鏡で見ているからです。
何かを期待して、期待通りにいかないと「嫌だ」と怒りが出て来るのです。
現実世界のあらゆる現象は変化します。(無常)
しかしあなたは、自分の期待する形以外に変化されると怒りの煩悩が働いてしまうのです。
「ま、いっか!」と期待への執着を手放しましょう。
柔軟で身軽な心を目指しましょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
このお坊さんを応援する

あなたの未来を信じて

拝読させて頂きました。あなたのおっしゃるとおり人生嫌なことばかり沢山ありますよね。本当に次から次へと続くのでウンザリしてしまいます。あなたのお気持ちを心からお察し申し上げます。
そうですね、長いトンネルを通っているようになかなか明るいことが出てきませんよね。本当に生きるって何なんだろうかと考えてしまいます。
それでも生きていかねばならないこの辛さをどうあがなっていけばいいのだろうかと思ってしまいます。
あなたにとって良いことや幸せになれることとはどんなことでしょう。
人はその状態や心のありようによってもものごとの受け取り方がだいぶ変わるものです。
食べ物も水もないような生きるか死ぬかの状態であればわずかな水やほんの一握りの食べ物であっても大変有難く感じるでしょう。逆に何でも満たされている中であったら些細なことでは幸運や幸福を感じることはないでしょう。
よくよく考えてみるとあなたは今どのような状態の中で生きていらっしゃるでしょうか?

今生きている中で忘れていることや感じられないことや当たり前だと思っていらっしゃることはありませんでしょうか?
それを見つめなおすことや再確認することももしかしたら一つのきっかけになるのではないでしょうか。また例えば今の状況から少し離れてみることももしかしたら必要なことかもしれません。
あなたはこれから様々な方々に出会い様々な出来事に遭遇して様々な経験を積んでいかれることでしょう。確かに辛く苦しいことは沢山訪れることでしょうが、決してそれだけではありません。沢山経験する中で有難いことや素晴らしいことに巡り会い受け取ることができるでしょう。
人生一寸先は闇ですが、それでも必ず光明が見えてきます。

あなたがこれからの未来に沢山の出会いや幸運が訪れて皆さん共にお互いを尊重しながら心豊かな実り多い毎日となりますようにと心より祈っております。
そしてあなたを心から応援させて頂きます。
どうかあなたの未来を信じて前向きに受け取り歩んでくださいね!

{{count}}
有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

ご返答ありがとうございます。
なかなか体を動かす気力がなく、遅くなってしまい申し訳ありません。
私もいつか絶対幸せになると思って頑張っていた時もありました。結果は駄目でした。嘲笑うかのように不幸でした。
私も何でも寛容に受け入れる努力をしたこともありました。結果は駄目でした。疲れてしまいました。

もう、生きる気力がありません。
ごめんなさい。
沢山ご返答いただいてうれしかったです。

「人生が辛い・生きるのに疲れた」問答一覧

新卒で介護職、辞めずに続けるには

新卒で介護職に就きましたが、先の将来が見えず悩んでいます。 職業選択の際に自暴自棄になり、能力や納得感を全く無視してしまったからです。 大学生の間に胃潰瘍等を発症し、心身を蝕んでしまい生活が壊れ、就職活動時期は「こんな自分を雇ってくれる現場は無い、死ぬしかない」と絶望的な気持ちでいました。 そこで、一切の適性を考えず「人手不足なら」と介護職を選びました。 自分は真面目なので仕事ならば真摯に向き合います。しかし体力の無さ、心の弱さに早くも不安が拭いきれません。 初出勤手前で心療内科へ行き初めて抗不安薬を処方して頂いたものの自殺未遂の大騒ぎを起こしてしまいました。通院する日にちを確保するのは難しく心療内科の利用は諦めました。 現在、介護士として勉強・経験を重ねた同期に囲まれ、前のめりな意識と技術の違いに打ちひしがれています。だからこそ、未熟な自分を雇って下さった職場への感謝を蔑ろにはできません。研修も丁寧に行われ、これで仕事をやめようなどと図々しいことは決して言えません。 それでも現実問題、恥ずかしながら要介護者の方を見るのも初めてで、心中を想像してはその方の抱えているであろう圧倒的な日常、介護生活の苦痛などを感じ呑まれそうになります。 介護の厳しさをダメな自分への罰として受け入れるつもりでいました。暴言暴力は、何の価値もない自分に相応しいと考えていたのです。 実際には同期を見て介護への後ろ暗い印象そのものが大変失礼だと実感し、自分の考え方を改善しようと試みております。 介助する為の筋力がないのは仕方なく、座学に真面目に取り組んでおります。 仕事は頑張ろうと思いますが、その背景は褒められたものでないのは上記の通りです。 やめる勇気はないので精神を壊す、解雇されるまでは出来る限り努力したいと、消え入りそうな自我に喝を入れています。 自分はこのまま、不向きな仕事で踏ん張れるでしょうか。僭越ながら、どうか前向きな心構えをご教授願いたく思います。

有り難し有り難し 5
回答数回答 2

生きるのに疲れた

母親に幼少時から虐待されていました。 虐待の被害で病気を患っています。貧しく生きています。 これからの人生に希望が持てません。 父親は死んでいます。母方の祖父母は健在ですが、母親と同じく異常な人間です。 年が離れた弟もいますが、母親はこちらを可愛がって私をさらに攻撃してきました。 天涯孤独で頼れる人間がいない状態で、学歴もなく資格もない状態で生き抜ける気がしません。 友人もいません。人間が嫌いです。生き物が嫌いです。ナタリストが嫌いです。 私は反出生主義者です。安楽死ができない世の中が憎いです。 また、性差別がはびこっている現状が気持ち悪いです。エロ本がコンビニに置かれてるのマジでキモいし、売春がカジュアルになってるのもキモいですし、性欲に負けて子供を作る人間もキモいですし、死ぬとわかったら金で女を買った父親がキモいです。 アセクシャルなんで世の中の発情しまくる人間という生き物がマジで無理です。そのくせアセクシャルのほうが間違ってるとか女は男のためにあるとかいうキモい思想を持つ人間が結構な割合でいるのもだるいです。 疲れました。 自分ではどうしようもないことばかり続いてそのせいで加害者はのうのうとしているのに自分だけ取り返しのつかない傷に苦しめられているのが許せません。 世の中に蔓延る親至上主義が本当に気持ち悪いです。 これからどうすればいいのかわかりません。助けてください。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

生活に疲れました…

先日、離婚すべきかという内容を相談させていただきました。 自分の中に夫婦関係をまだやり直せる期待みたいなものがありましたが、それはなくなりつつあることを自分でも自覚してきていることがわかりました。 そのため、今すぐにでも離婚すべきだと理解しているのですが自分のなかでは経済力がないという理由で今も婚姻関係を続けております。こどもたちの目の前では喧嘩はしていませんが、明らかに仲が悪いことはわかる態度です。両親が不仲な姿をこどもたちに見せるのはどうかと日々思うのですが、経済力のない私には離婚後、こどもふたりをひとりで育てていく自信がありません…(離婚したら夫はこどもたちの面倒はみれないので引き取れないと言いきっています。) 良くも悪くも夫が激務なのと習い事をしているので休日ほとんど一緒にいることはないのですが、同じ家にいるとどうしても同じ空間にいることを避けてしまう自分がいます。 今すぐにでも離婚するために私に経済力を、と思い転職をと考えていますが40代半ばで正社員はなかなか難しいですし、シングルマザーでまだ下の子が年長とちいさいこどもをかかえながら生きていくことは到底難しいことだと理解しております。 ただ、このままいてもこの状態でいられなくなった夫から離婚を言い渡されるときが必ずきますし、その時に自分だけでも育てられるようにしていかねばという思いはあります。 現状から逃げ出したい自分がいます。離婚して、なにもかも手放したい、もう夫と関わりたくない。 だけど、こどもたちの今のこの生活、環境を守ることも親の責務だと思うと自分の思いだけで簡単に離婚することはできない。 この頃休日になるとそのことばかりが頭を巡り、考えたくなくても考えてしまい、家事育児をひとりでまわしているのでピークになるとこどもにもあたってしまい、生活そのものに疲れてしまっています…。かといって、リフレッシュをと思ってもひとりの時間も持てず、実家は遠方ですし、有休使ってこどもがいないときを満喫、とも思うのですがこどもが病気をしてくるので、病欠に使うため有休とっておかないと、と結局休むことに躊躇して使えていません。 もうなにもかもどうでもいいや、逃げ出したいと思う自分と、こどもたちのためにも将来を考えて動かねば、親としての責務を全うせねばという気持ちとで疲れ果てています……

有り難し有り難し 20
回答数回答 1

生きるのに疲れました。

こんにちは。 たまたまこちらのサイト様を見つけたので、投稿させていただきます。 20歳から介護の仕事を始めたのですが、いじめやパワハラでうつ病、統合失調症になりました。 現在も仕事ができず、でも収入がないといけないので、夜の仕事を始めましたが、罪悪感で辞めました。 そのお店からいろいろ言われ、警察に相談するまで発展しました。 ここ数年いいことがないどころか、悪い方にしか事がいかず、 去年自殺未遂をしました。 その後、てんかんを発症し、今もてんかんと統合失調症の薬を毎日飲んでいます。 病気にもなり、小さな運もなく生きている自分が情けないし、生きていることが心底辛いです。 消え去りたいです。 しかも昨日、母親に消えたいことを言ってしまい、母親を泣かせてしまいました。 母親は「いてくれるだけでいい」と言ってくれますが、親のことを考えると生きてた方がいいのでしょうが、 私のことだけ考えると、生きているだけで毎日が辛く、消えてしまいたいという思いしかありません。 今まで、親は優しいのですが、私はいつも「親2人が喜ぶように」と全て自分のためでなく、親のために生きてきました。 ですが、今回はそんな感情もなく、ただ消えたいという思うしかありません。 先述したように、ニートなうえに夜の仕事をしてしまうような私が生きてていいと思えません。 数年前どん底と思っていたら、年月が経つにつれますますどん底な人生になっています。 これ以上きつい思いはしたくないです。

有り難し有り難し 23
回答数回答 2

ベストは尽くしたと思います。

43歳男性です。 事の起こりは親の都合から治安の悪い所へ引っ越しをした事に始まります。 そのすぐ後に中学校でいじめを受け、重度の不安障害を発症し、 引きこもり生活が始まり、人間やこの世界が本当に嫌いになって13年が経ちました。    しかしながら、ただ1人の友達との繋がりが僕の心をなんとか救ってくれました。 そこからは少し活動的になりなんとか持ち直しました。    26歳ごろから、親の会社を継ぐための他社への研修や会議などに行きはじめ パワハラや村八分を受けながらも ストレスで目が開かなくなって病院に運ばれるまで必死に頑張りました。    会社に関わる事なので勝手なことは出来ず、少し休みたいと父親に相談してみましたが、子供の頃のいじめの時と同じで我関せずでした。    僕が首を吊った後も父親は笑っていました。 僕はそれをわすれる事ができません。   そのすぐ後に鬱病を発症して寝込むことが多くなりました。 そんな状況にも関わらず、いつもトラブルを起こす姉が マンションのローンの未払いから、マンションを追い出される寸前となり、 鬱で寝込んでいる僕にローンを組んでくれないかと催促。 73歳までのローンでした。   父親も「俺はローンを組めないから組んでくれ」と。 「姉が支払えなくなったらどうするの?俺の人生もある。」と訊ねると 「そんな事は親兄弟で考えるもんじゃない」と言われ・・・。   「ああ・・・コイツは俺を見てないんだな・・・」 僕の中で心の糸が再びプツンと切れました。   それからも、人生が180度変わるような大きなトラブルばかりを、父と姉に起こされ続けました。 それでも、僕は寝込んだ体と心に鞭を打ってフラフラになりながらも奔走しつづけました。   さすがにもう限界で この1年は父と姉との縁を完全に断つために必死で動き続けました。 結果的には、縁を断つことに成功はしたのですが本当に疲れ果てました。   ちょっとした知り合いに「そんな昔の事を」とも言われました。 でも、僕が心の欠片を必死に集めて直しても 父と姉が粉々に砕き続けてくる状況で。   トラブルを起こされてばかりの人生でしたが、僕なりのベストは尽くしたと思います。 でも、そろそろ限界です。 本当に本当に疲れ果てました。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

もう疲れました

はじめまして。 心が疲弊しきって、疲れました。 疲れて疲れて、もう何も考えたくありません。 私はいつ心の休息を取れるのでしょうか。 どうしたら楽に生きられるのでしょうか。 私は、高校二年生ぐらいからの1年間、心の疲労感に苦しんでいます。 例えるなら、やる気を起こそうとしてもブレーカーが落ちているように、何かをやろうとしてもできないのです。 一緒に暮らしている母親には、今までに2回ほど相談しましたが、母にとっては理解のできないことらしく、まともに話を聞いてくれません。 話しても、私が怠けている事を正当化しているだけだ、甘えるなと言われます。 父親は単身赴任中で、相談しにくいです。 友達にも相談できません。 相談をするのが怖いです。 ずっと心の疲労感が続くので、流石に我慢の限界が来てしまったように感じます。 私は、真面目すぎて人の顔色を伺いすぎてしまうため、無意識に自分の考えよりも相手を優先し、自分自身を苦しめ続けていたのだと思います。 自分の心が傷つくこと対しても、過度の恐怖感があり、いつもクタクタです。 でと、それを分かっていても何も解決しません。この1年間何度も何度も試行錯誤し、どうしたら自分が楽に生きられるのか考えてきました。 結果は大して変わりませんでした。ずっとずっと、私の心のブレーカーは落ちっぱなしです。 これから大学生になり、社会人になり、今のままで大丈夫なのだろうかと不安になり、ここで相談したいと思いました。 私はどうしたら、疲労感を取り除き、毎日を楽しく過ごすことができるのでしょうか。顔色を伺い続け、傷つかないように必死に生きてきましたが、もう限界です。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ