小鳥を亡くならせてしまいました。
夜分遅くに失礼します。
先日飼い猫が庭から小鳥を捕まえてきてしまい、まだ巣から出たばかりのうまく飛べない小鳥だったため、一旦保護をしておりました。
ワームやすり餌を与えて、少し元気になったのでそろそろ自然に返そうと思っていました。
そんな矢先、すり餌の与え方が悪かったのか、1口飲み込んだらバタバタと暴れてすぐうごかなくなってしまいました。
ほんの一瞬の出来事だったのでどうして良いかわからず、喉のつまりをとる、心臓マッサージなどの処理をするも時すでに遅し。
どんどん体が冷たくなって、息絶えてしまいました。
生まれてまもない小鳥の命を一瞬で奪ってしまった自分に怒りが湧きますし、心の底からの後悔を感じています。
本当に酷いことをしてしまいました。謝っても謝りきれません。
あの時もう少し少量にすれば、ワームの方を先に与えていれば、時間をずらしていれば、など無駄なタラレバばかり考えてしまい、時間が過ぎていきます。
私を許してほしいとは言いません。この小鳥のためにどう償っていったら良いか、今後どのようなことを気にかけて行けば良いかなどあればぜひ教えていただきたいです。
また、私が命を奪ってしまった小鳥の冥福をお祈りしていただけますでしょうか。ぜひよろしくお願い致します。
乱文長文失礼いたしました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
その小鳥の命だけを「わたくし」しているのは誰か
命は命が主役出逢って命そのものが生き死にをする。
あなたが何を尽くしても死するべき時が来れば、しんでしまう。
あなたの命だって「わたくし」できない。
その小鳥の命だって誰も「わたくし」できないものです。
いくら名医でも治せない命がある。
それは命が人間の意志とは無関係な働きとして生きているからなのです。
こうしている時にあなたの呼吸は自然になされている。
誰かから命令されて呼吸をしているのではない。
留まりのないものがとどまりなく動いている。
それをとどめようとしたり、死んでしまったものを生きていてほしかったと願ったり、変えられないことを変えようとすることは「真実のありさま」を変えようとする人間の独自の思い出しかないのです。
あなたは「わたしが命を縮めてしまった」と思っておられますが、あなたが直接手を下したわけではないのです。
猫が加えてきた時点ですでに猫の歯が小鳥に刺さっていたのでしょう。
その時点で猫によってさんざんなぶり殺しにされてきてしまったのでしょう。
猫というものは人間から見れば実に残酷なものです。
また一方でその姿が愛らしいということでカワイイらしい、何をやっても許されるような所があります。
「本当に可哀想なのは誰でしょう」
猫は習性とはいえ、食べもしないものを、動くからということでとらえてしまうのです。
何故猫が悪いと思わないのでしょう。
ワームは可哀想ではないのでしょうか。
人間はなぜ小鳥は可愛らしいですが、蚊、虫は殺虫剤で殺すのでしょう。
なぜクジラ、イルカを殺すと反発する人がいるのでしょう。
そういう人たちは何故他の魚や肉や植物なら可哀想だと思わないのでしょう
これをテーマによくよく生命、生物と人間とのかかわりを考えてみてください。
すべての生命の尊厳をそこに感じ人間の人間だけの人間ルールによる可愛がりの心を離れてみてください。
これを機縁として、仏教を学ぶことをお勧めいたします。
仏教を学ぶのは坊さんの仕事ではありません。
あなたはあなたの人生であると思いませんか。
あなた自身が今後の苦しみ、迷いなき人生の為にも仏道を求め、やすらいを得ることです。
仏道とはあなたがあなたの中で始まらなければ永遠に人任せになりましょう。
真心込めて
拝読させて頂きました。大切な生命が亡くなり、あなたは深い後悔と悲しみにあるのですね。本当に辛いでしょうし、残念なことかと思います。あなたのお気持ちを心よりお察し申し上げます。
その小鳥さんのためにどうか心を込めてご供養なさってください。
私も心を込めてご供養させて頂きます。
その小鳥さんが仏様のお導きを速やかに受けて仏様のもとに生まれていかれ、心から安らかになられますようにと仏様に願います。
南無阿弥陀仏
必ずその子は仏様が導いてくださいます。そして仏様のもとで心から安心なさいます。そしてご成仏なさってくださいます。
悲しみと後悔の念は尽きないでしょうが、どうかその子の為に真心込めてご供養なさってくださいね。
あなたのその思いは必ずや仏様やその子に届いて参ります。
そしてこれからその子はいつもあなたを見守ってくださいます。
あなたがいつの日にかその生命を全うなさる時が参ります。その時にはあなたは沢山の親しい方々と再会なさるでしょう。その中に必ずその子がいらっしゃいます。そして今迄のご縁を感じ再会を喜び分かち合うことでしょう。
それまではどうかお見守りくださいねと、ご供養なさってくださいね。
あなたのこれからの毎日がいつもその子とあり、心から優しく豊かに生きていかれますようにとお祈りさせて頂きます。