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離婚した方がいいのでしょうか

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主人に『女としての魅力がないから夜の生活はしたくない。今後一切したいと思わない。俺は刺激がないとダメな人間だからお前では物足りない。だから離婚しよう。再婚相手探せば。』と言われました。以前からもケンカになるといつも言われます。

子どもがいるのに余りにも無責任な発言だと思うのですが、子どもより自分優先な人なので、平気でこのようなことが言えるのだと思います。ここまで言われて一緒にいる必要ないと思うのですが。

主人は女性好きで、常に不倫相手がいます。合鍵を堂々とキーケースに入れていたので、問い詰めたら、このようなことを言われました。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

必殺の大芝居のギャラとして旦那さんから家と生活費を確保。

親子のきずなは血のつながりですから強いですが夫婦というものは元々他人様。
おそらくご主人の浮気は今後も続いていくことでしょう。
ですが、離婚すると傷つくのはお子さんです。
お子さんは夫婦間の中が悪いとすぐに気づきます。
いくら隠してもケンカしているのは分かるのです。
ご主人と話して、夫婦が仲が悪いと子供が将来、精神的にも不安定になることを冷静にお話して思い切って割り切ることをお勧めします。
結婚後に夫婦間の中が悪くなるケースもその後に復活するケースも沢山あります。
お子様を二人の間にさずかっているのですし、成長するまで育てる義務が両親にあります。
男性が浮気する原因の多くは、奧さんから自分を大事にしてもらっていないという腹いせからです。だから暴言も吐くのです。
男性でも女性でもお互い、男・女としてみてもらえないのは悲しいことです。
それは離婚の正当な理由にもなります。
よって、修復並びに関係を少しでも良好にするために次の㊙大作戦を提案いたします。
名づけて「アカデミー小悪魔女優」大作戦。ひと芝居打って家と生活費だけ頂くのです。
「あなた、本当にごめんね。…私、女としての魅力がなくて本当にごめんなさい。これ、本気で言うからちゃんと聞いてほしい。…その子と、浮気…続けていいよ。きっと可愛い子なんだろうね。わたしよりもずっと優しいんだよね。私、子供の事ばっかりで●●(旦那)さんのことを、ずっと寂しい思いをさせて来ちゃってたんだね、ごめんなさい。これから私ももっとその子に近づけるように、昔みたいに振り向いてくれるように頑張るから。だから、最後に帰ってきてくれるのは、ここの家にしてくれないかな?」と、ウソでもいいですからものすごく低姿勢で3回くらいお願いしてみてください。
男性の心理は、奥さんが超低姿勢で、自分がないがしろにされてきたことを謙虚に詫びられて反省して浮気も許してもらえると、かえって罪悪感や人間的に非道な行為を恥ずかしく思うようになる場合があります。
それで通じない相手であれば、その人は単なる悪魔です。あなたが判断してください。
人生はまだまだ長いです。
昼顔があっても、それでも関係が修復できる夫婦関係は世の中には沢山あります。あなたも前回の質問で他の男性が好きだったはずです。
人間のサガをお互いに受け入れ合って、子供のために人生最大の容赦をしてみてください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

貴重なアドバイスありがとうございます。
主人は仕事の問題も重なりまだイライラしており話が出来ていませんが、もう少し落ち着いたら話してみたいと思います。
とりあえず、仕事のことでも色々あって一人になる時間が欲しいから実家に帰ってと言われたので、少しだけ帰ろうかと思っています。

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