聖天(歓喜天)様について
月に1回程度、密教系寺院を参拝しています。
境内には、様々な仏さまが祀られており、それら仏さまにお参りをしているのですが、本堂内に歓喜天様も祀られています。
歓喜天様は非常に厳しいので、「願掛けは安易にしないほうがよい」「下手に拝むより拝まんほうが身のため」、「修行を積んだ修験者でも、ちょっとでも間違った扱いをすると容赦なく祟り」、「聖天行者は短命」などいろいろな話を聞きます。
これら噂が本当かどうかわかりませんが、正直な話、怖いので、歓喜天様の前は素通りしようと思うのですが、他の仏様に手を合わせて、歓喜天様には手を合わせないのも非常に失礼なので、願い事などはせず、無心でお参りしております。
しかし、このようなことを考えながら参拝を続けるのは心苦しいので、どのように対応すればよろしいでしょうか、教えてください。
一度手を合わせたら、一生参拝を続けなければ、祟りがあるのでしょうか。(現実、それは難しいと思いますが。)
また、仮に自分が参拝を続けても、子や孫が参拝をしなかった場合、子孫にも影響が出るのでしょうか?
それとも、何も考えずに、無心で手を合わせるだけでもよいのでしょうか?
正しい参拝の仕方、無理のない参拝の仕方を教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
せっかくのご縁、ぜひ手を合わせてください。
こんにちは。
お答えさせていただきます。
確かに、聖天様はじめ、天部の尊(仏教における神様)を拝む際に注意が必要というのは事実です。
行者(僧侶)が本格的に拝む際は様々な制約、注意点、心すべきことがあると伝わっています。
(e.g.力の足りない僧侶が拝む際は聖天さまを十一面観音様として拝む)
とはいえ、聖天様や天部の尊が人間に害を与えるわけではありません、
そもそも天部の尊は仏教に帰依する前にはその持っている力に溺れ、仏様や仏の教えに背き、欲望のまま好き勝手していた神々が多く存在します。
また、人間により近いところにおられるが故に人間の願いをより早く叶えてくれるとし、古くから信仰を集めてきました。
実際に天部の尊のご利益は凄まじい面もあります。
ですがその反面、その力、ご利益故に惑わされ、仏道修行の本質を見失い、我欲に溺れ身を滅ぼす行者(僧侶)は古来より多くおりました。
それ故、注意が必要とされてきました。
ですが、普通に手を合わせる分には全く気にすることはありません。
>また、仮に自分が参拝を続けても、子や孫が参拝をしなかった場合、子孫にも影響が出るのでしょうか?
影響は全くありません。心配いりません。大丈夫です。
懺悔と感謝の気持ちを持って心静かにお参りしてください。
もちろん、願掛けなど祈願もしていただいて結構です。
おん きりく ぎゃく うん そわか
合掌(^人^)
また参考までにこちらの回答もご覧いただければ幸いです。
https://hasunoha.jp/questions/16062
そういう心から離れることが歓喜
人間の人間による人知のせめぎあい。
そういう良し悪しやものの是非を問う。
そういう人間の思考世界ではどっちかが正しければどっちかは間違っているという相対観念の世界なのです。
そういう心を離れさせるのが歓喜天であり、導かれるべき「天」でしょう。
人間のルールの定めた天というところではなく、思考の創作物を離れた実物に安住する。
そこに本当の歓喜天をみることでしょう。
こんにちは。
そのような話は聞いたことないなぁ、と思って調べたら、ウィキペディアに「俗信」として、ご質問のような話が出てました。大丈夫です。お参りをして不幸がもたらされることはありません。
(もし本当にそのような事があるとしたら、お寺に注意書きがあるはずです。また知らずにお参りした人が不幸になるはずですが、そのような事もありません。)
お参りするときは、他の仏さまと同様、身と口と心を調え、静かな気持ちでお参りしてください。
質問者からのお礼
ご返答いただき、ありがとうございました。インターネット上の書き込みに惑わされることなく、自分の目で確かめたいと思います。