会社が辛い
タイトルの通りですが、会社が辛いと思いながら4年以上働いています。
与えられた仕事は出来ないし、まともな人間関係を誰とも築けず、本当に孤独な状態で、それでも生きるために働き続けてます。
原因は自分の仕事の量や質の低さで、周りに迷惑をかけているという自覚があるので、屈辱的な罵倒や処遇も受け入れて来ました。
でもやはり辛いです。自分でも何故今ここに居られるのか不思議なほどです。
ただこの4年の間に結婚や妊娠をし、もう直ぐ産休に入ることになりました。今は明るい未来を夢見て前向きではあるのですが、そんな状況でもやはり会社での自分の状況や上司の叱責に気が滅入りそうになります。
育休が終わるタイミングで退職しようとは思ってますが、ここでの経験が再就職を不安にさせます。自分は何が出来るのか、どうやったら人の役に立てるのか考えても答えが出ず、5年後10年後の自分が不安でなりません。
何かアドバイスをいただけますでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
問う前に問われている私
えりす様は役に立つために生きているのでしょうか。働くのは役に立つ=生きるためでしょうか。
働かなくても生きられるのなら働かないでしょうか。生きるとは無関係に仕事を考えた時に、何かしたいと思うことはありますか。
質問に質問で返して申し訳ありません。でもちょっと立ち止まって考えていただきたいのです。
辛い職場で4年も耐えてこられたのはすごい事だと思います。今のご時世は我慢できない時代で割とみなさんすぐに退職してしまいますよね。
それに職場での人間関係ではなかったのかもしれませんが結婚されたというご縁は大変大きな人間関係です。素晴らしきご縁に恵まれたのではありませんか?
私は誰かの役に立ちたいという願いがあっても、役に立つために生きているわけではありません。役に立つために生きているのならいつか衰えた時に生きる意味がなくなってしまいます。
それなら私たちは何のために生きているのでしょうか?
「〇〇のために」という生き方は「〇〇」に左右される不安定な人生になってしまいます。〇〇がないと幸せじゃないし、〇〇があったらそれがいつなくなるか不安になってしまいます。
この人生の意味への問いについて発想の転換をもたらした人が精神科医のV.E.フランクルです。
フランクルは「我々が人生に意味を問う前に、人生から我々が問われている」と問いを逆転させました。問われているのは私たちの方だったのです。
人生で起こる出来事は選べません。しかし起きた出来事に対し私たちはどういう態度をとるかその意志を決定することはできます。この「態度・意志」の一点において人生から私たちが生きる意味が失われることはありません。
「さあ、どうする?どう生きる?」と我々は常に問われているのです。その問いに対し「こうしたい!」と意志を示すところに人生の意味・生きる目的は無限の可能性を見せます。
この考えは仏教にも通じます。私たちが頭で意味をこねくり回す前に、様々な条件がととのってここにこうして生かされているという事実があります。その事実に立つのが仏教です。
そう考えた時に「〇〇のため」、すなわち「〇〇ができる」ではなくただここにこうして今「ある」ことがそのまま尊いことがわかります。あとは「ある」ことを喜びながら「こうしたい」と態度を決定するのみです。
五年後、十年後…いや今、えりす様はどう生きたいでしょうか。
あなたは給料から所得税や年金や健康保険を支払っていますよね。
その税金のおかげで警察など公務員がいるのですし、年金のおかげでお年寄りの生活が成り立っているのですし、健康保険によって病気の人が安く治療を受けられるのです。
会社で働くだけで既にあなたは社会に多大な貢献をしているのです。
安心してください。
仕事の内容については、実際にあなたの仕事をしている様子を見てないので、何とも言えないですね。具体的にどんな仕事でどんなミスをして、どんな罵倒を受けたのでしょうか。
ですが、解雇されていないなら、会社にとっても役に立っているのだと思いますよ。
今のご時世、役に立たない人を雇うほど寛容な会社はあまりないと思います。
ストレスや不安は子供にも良くないですから、仕事のことは一旦横に置いて、好きな音楽でも聞いて、出産のことや育児のことに専念してくださいね。たまごクラブ、ひよこクラブとか雑誌を見るのもいいですよ。ご主人にも読ませてくださいね。
健康な子が生まれることを祈ります。
質問者からのお礼
こんなに早く、しかもお二人の僧侶から回答が貰えたことに既に感謝の気持ちで一杯です。
この4年ずっと考えていたのは、人の役に立たないと人間に価値はないのかということです。迷惑をかけ、貢献度の少ない人間はそれだけ価値が低いのかと。それが今の会社の考え方のようで、その基準の中で苦しんで来ました。
解釈に誤りはあるかもしれませんが、
お二人のお言葉に自分の価値や生きる目的は自分で決めなければならないと感じました。
出来る事や求められてる事ではなく、やりたい事をやりたいようにやってみたいと思いました。昔の自分のように。
これからは、心から尊敬出来る主人と、その子供を授かる事が出来た今の幸福にフォーカスして過ごしたいと思います。
お二人のご回答に心救われました。
本当にありがとうございます。