親父とそっくりなってました
僕は昔からよくわらいます。それはもはや、無意識で習慣になっており、今まで疑いもしませんでした。
しかし、最近どんな時に笑ってるんだろうと思いました。
すると、どうも相手の悪いと思ったところを見つけたり、バカにできるとこを見つけたときに笑っているようです。
こんな風になりたくないと思ってた大嫌いな親父と同じでした。自分にがっかりしました。
親父も人の失敗や不幸に爆笑します。お笑い芸人の芸で笑うみたいなのとは全く違います。
いつも人の悪いとこを探し、怒りをぶつけんと考える人間で、それができない相手は詮索をしてきてコントロールしようとしきます。
8歳のときに両親は離婚した上、親父は浮気や夜遊びで帰ってくることはあまりなかった。なんでそんな人間に似てしまったのか、ふざけんじゃねえ!って気持ちでいっぱいです。
どう決着を着ければよいか、教えて下さい
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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シンプルに
じゃあ逆を張りましょうぜ。お坊さんに似てしまいましょう。
宮崎奕保(えきほ)さんというウチの宗派で超有名なお坊さんの有名な言葉です。
>学ぶということは、
真似をするというところから出ておる。
一日真似をしたら一日の真似や、
それで済んでしまったら。
二日真似して、それであと真似をせなんだら、
それは二日の真似。
ところが一生真似しておったら、
真似がホンマもんや。
だから、真似が真似になってしまわんようにすること、
それが大事や。
そしてそれは、口で言うより実行や。
そう、お坊さんの真似しましょ。親父さんのこと嫌いでも親父さんみたいに笑ってしまうと、親父さんに似てしまう。同じように、お坊さんと同じ心になれなくとも、お坊さんと同じように笑えばお坊さんに似てしまうんです。中身が伴わなくても形だけでも良いんです。形から入りましょ。形だけでいいからお坊さんの笑いを真似するんです。
何をどう笑うか?
エレベーター乗っていたら、誰かが入ってきます。その時にチョット扉を押さえてあげる。すると入って来た人がチョットお辞儀したり、ちょっとニコッとする。「すみませーん」とか「ありがとうございます」ってチョット言ってくれるかもしれない。そしたらこちらもちょっとニコッとしてホンのチョットうなづく程度に頭を下げる。
無反応の人とか、厚かましい人も時々いるけど、それはそれで生温かくちょっとニコッとする。
そんな感じ。
お釈迦さまも何かあったら静かにニコッとするのが好きだったようです。お坊さんはその真似をしています。ben hymさんはそんなお坊さんの真似してみましょう。
決着つけるとかハードル上げるようなことは考えんでいいんです。ンなこたどーせ続かない。ちょっとしたことを続けましょう。そしたらいつかお坊さんに、仏さまに似ているのが本物になる。
あなたの未来を信じます
拝読させて頂きました。あなたの深い悲しみや怒りや苦しみを感じました。あなたのお気持ちを心よりお察し申し上げます。
そのように人を見ていかないと生きらなかったのではないでしょうか。人に対する不信感や自分を信じることができないこと、そして孤独を痛感してその深い寂しさが他人をそのようにしか見ることができなくしてしまっているのかと思います。
そうです。やはり寂しいからなのかと思います。
仮にそうであるならばそのような思いを抱えている自分を素直に受け入れていくことではないでしょうか。
どうあがいても、人を呪い蔑んだとしても、自暴自棄になったとしても人はやっぱり独りでは生きてはいけません、悲しいですがそれは真実です。
そうであるならばやはりそのことは受け入れていくべきことかと思います。
すぐには難しいかもしれませんが、少しずつじっくりと冷静に見つめ直したいきながら考えてみてくださいね。
あなたは本当は独りではありませんし、沢山の方々があなたを支えてくださっているでしょう。
あわてる必要はありません、過去現在そして未来についてよくよくじっくりと見直してみてください。
自ずと自分のことが再確認できてきて答えも見えてくるのではないでしょうか。
私はあなたがご自分を再確認なさりそしてこれから自分を信じていくことができるようになるのを信じます。そしてあなたがこれからの未来に向かって沢山の方々と共にお互いを尊重しあいながら生きていかれますようにと切に祈っております。
どうかこれからの未来を求めて頑張ってくださいね!あなたを心から応援しておりますね!