hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

因果応報

回答数回答 3
有り難し有り難し 59

前回の質問に関連した質問をさせて頂きます。よろしくお願いいたします。

自分が人にやったことはしっかり返ってきました。最近、因果応報の存在を身に染みて思います。

そして、もしかしたらまだ返ってきていない因果応報があるのかと不安になります。

反省もして自分の行動を意識したら人から性格、顔つきが変わったと言われるようになりました。

それでも、変わったのはその時点からで悪行をなしたのはそれよりも過去のことなので関係無く因果応報は返ってくるのでしょうか?

情けない話、いつ返ってくるのか来ないのかわからない因果応報に震えております。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

なるようになる なるようにしかならん

そんなに心配せんでも大丈夫です。
因果応報という言葉にビビってしまってるだけです。
ちゃんと言葉の意味、真意を理解してください。
あなたが何か働きかけをしたことが、原因となって、結果に作用するという事です。
今現在は永遠に新しい。
そこだけ生きればいい。
今現在の中で、他人に喜ばれるように働きかけることを心がけてください。
必ずそれが良い結果をもたらすでしょう。
やればやった通りの事がおこなわれて、結果に作用します。
やらなかったら、やらなかったという事が結果に作用します。
時計は一度見ればその後は見つづける必要はありません。
因果の法則も、思うべき時に思ったら、後は現実を生きる、行動するよりほかありません。
ずっと握っておくことは要りません。
なるべくようにしかなりません。
自分のしたことは、自分が頂けばよいのです。
それを受け止める気持ちがあれば何も怖れることはありません。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

薔薇の木に

薔薇の花咲く 何事の不思議なけれど これ、北原白秋の言葉です。さっき検索したら、イマドキ小説のタイトルとして上位に表示されましたが…。
因果応報、と言われているのは、セットになった言葉の一部、短歌の上の句だけ、みたいなものです。そこで是非、全部を見る事をお勧めします。ググればすぐ出てきます。
因果応報は、「原因があって結果が出る」ということで、もしかすると何かオドロオドロしい感じを持っておられるようですが、それ自体は何の悪さもしません。しかし昔から戒めとして使われてきたので、何となく怯えているのだと思います。「いつ返ってくるか分からない」と仰っていますが、その状態で既に返ってきているのです。そして、「返ってきている」ことに気づいたこと自体、良かったですねというのが仏教だと思いますよ。
因果応報は、「善因善果」ということも含まれます。そこまで読み取って、これからの生きる助けにされては如何でしょうか。

{{count}}
有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

いっしょに懺悔いたしましょう

私もつねに酷いことをし罪を犯して生きています。いっしょに懺悔(さんげ)しませんか。以下のサイトをご参照ください。

曹洞宗西光寺さんのサイト
http://www.saikoji.net/kakekomi/kakekomi07.html

法楽寺住職さん?のブログ
http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-2171.html

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な者ではありません。むしろその逆で、しょっちゅう周りの方々にお尋ねして、教えてもらって生きています。質問について考え、答えようと悩むことで私自身が学び、僧侶として少しでも成長していけたら、と思っています。 youtube法話を始めました。私の名前ですぐ見つけていただきます。
本堂までWi-Fiの電波が届かないので、お内仏(家のお仏壇)のお部屋でお話します。

質問者からのお礼

素敵な回答ありがとうございました。
お礼するのが遅くなってしまい申し訳ありませんでした。

藤岡俊彦様
因果応報に怯えている私に行動の指針を示して頂きありがとうございました。これから毎日懺悔文唱えていきたいと思います。

丹下覚元様
因果応報の言葉の意味を理解せずにただ震えていた私に激励のお言葉ありがとうございました。少しでも善行を重ねていきたいです。

佐藤良文様
因果応報の言葉の意味を理解せずにただ震えていた私に激励のお言葉ありがとうございました。少しでも善行を重ねていきたいです。

煩悩スッキリコラムまとめ