これから両親とどう向き合えばいいのか
父親は若いときはマリファナ中毒、窃盗の常習犯で結婚してからはお酒と不倫にどっぷりはまってdvなど、危険な人物でした。今は祖母の在宅介護しながら、アルコールと祖母の八つ当たりで暮らしてます。祖母に八つ当たりする前は、自殺した兄と、それから僕がストレスのはけ口でした。今はそれはよくないと思い、僕は父に対する態度を変えています。
母親は若いころのことは知りませんが(というか名前ぐらいしか本人の経歴は知りません、興味もなかったですから)
育児放棄してました。それがどうして、今まで生きてこれたのかというと、母親の要求するなにかみたいなのをクリアすれば家にいて、食事にありつけるという感じです。
僕個人は虐待と見てますしひどい目にあったと思ってます。決して貧乏ではなかったんです。
離婚する前も父親は小さな会社を経営してました。
離婚したあとも、父親は養育費を払いませんでしたが、母親につれられたぼくたち一軒家を借り、普通に学校に行くこともできました。
母親は基本家にいましたので、働いてはいなかったでしょうが、母方の両親や兄弟たちに援助してもらってたのでしょう(死ぬほど両親や兄弟たちの悪口やこきおろしてましたが)
今生きてるのは確かに両親のおかげです。しかし、感謝したり、尊敬することに賛同できません。かなりマイナスな影響を与えた、有害だったと思います。
しかしもう、怨み疲れました。
僕自身の人生を生きるためにどうすればいいでしょうか。
これから、両親とどう向き合っていけばいいでしょうか
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両親のことを考える必要はない。妄想雑念を手放す。
両親のことを考えても嫌な気分にしかならないのでしたら、両親のことは考えなくて良いと思いますよ。
日常生活の中で、親のことを考える必要のある場面なんかほとんど無いと思います。
朝起きて着替えるとき、両親のことを考えなくても着替えられます。
ご飯を食べるとき、お皿を持つ、お箸を動かす、噛む、味わう、飲み込む、など一つ一つの作業に両親のことは関係ありません。
もしも、着替えるときに両親のことが頭に浮かんだら、
頭の中で「これは妄想・雑念だ、今考える必要はない」と確認して、
着替えの動作に意識を戻すか、鼻歌でも唄って気分を入れ替えましょう。
食べながら両親のことが頭に浮かんだときも、歩きながら両親のことが浮かんだときも、座っているとき、寝ているときも、全て同じです。
今考える必要のないこと、今考えても苦しいだけで何も生み出さないことは、考える必要はないのです。
心という赤ちゃんは、妄想雑念というオモチャが大好きで、そのオモチャが危険なオモチャでも、触りたがるのです。
「あなた」は、危険なオモチャを手に持っている心ちゃんから、「これは危ないから別のオモチャで遊ぼうね」と、優しくそれを取り上げましょう。