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常に穏やかで

回答数回答 2
有り難し有り難し 28

よろしくお願い致します。

気分の起伏がはげしく、今現在は少しのことで心乱れてしまいます。

怒り、嫉妬、悲しみちょっとした原因で陥ります。

心を穏やかに安定させるには、どのようなことにきをつけていればいいでしょうか?

いい人に見られたい、嫌われたくない、なので我慢したり、羨ましがったりしてイライラしてしまいます。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

儚い存在ですから

拝読させて頂きました。なるほど、穏やかに毎日を過ごしていきたいですよね。私もそう思います。
それには怒らなこと、悲しまないこと、つまり喜怒哀楽を出来るだけしないことですかね、つまりはあるがままを全て受け入れていくことでしょうね。
そう思いますが、なかなか難しいですですよね。
人間ですから些細なことでも感情的になってついアタマにきて怒ったり悲しんだりしてしまいますよね。
それを無理に抑えつけようとしてもそのストレスはどんどん溜まっていっていずれは爆発してしまいます。そしたら結果はかえって悪くなってしまいます。

ならどうするかですが、そのようなことでも私達は生きている間はいつも感情の起伏があり、喜怒哀楽があるような、そのような浅はかで愚かで儚い存在であるということを受け入れていくということではないでしょうか。
それは私もあなたも周りの人たちもそうです。
ですからそのように弱いお互いであるということ、だからこそお互いを尊重し思いやることが必要なのかと自覚することではないでしょうか。
なかなか難しいですよね。生きていれば様々な出来事や出会いや苦しみもありますし、喜びもひとしおにありますからね。

どうかゆっくりと人生を見つめなおしてみてくださいね!いつの間にか受け入れられる穏やかな自分に巡り会えることもありますからね。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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勇気を出して本当に手をつけない

自分の思いを(意)どうにかしようとすることに問題があるのです。思いは自然にでてくる。それを自分の考える心の在りよう(型)にはめ込むことで問題となります。
思わないようにする。我慢するという行為は、手をつける行為になります。
仏教は一切手をつけないこと、手放すこと、事実の後追いをしないこと、そこをとことん追求することで、本当に救われる道です。

何にもしないで救われるなんてほんと?と思うかもしれませんが、そこを信じて手放せる勇気を持ち、行動することで、目の前にその事実を知ることができるのです。

難しく考えることでもないです。思ったら思ったまま。それを肯定も否定もせずにいると消えて行くもの。空を流れる雲のように常に変化し続け、とどまることがないのが、私たちの生活しているイマココ、事実の様子です。

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おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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質問者からのお礼

コメントありがとうございます。

尊重し思いやることなのですね。

自分自分という考えがすぐ前に立ってしまっていたので、何かあった時は自分本位ではなく、反省して一つ一つ思い返して考えなおしてみようとおもいます。

気づきをいただきありがとうございます。

邦元住職、コメントありがとうございます。

おっしゃることは、頭ではなんとなくわかるのですが、怒りをそのまま受け入れその気持ちに対して肯定も否定もしないというのはかなり難易度が高いですね。

肯定も否定もしないということは、そもそも怒りさえないことになるのでしょうか?

深すぎて、難しいですが自問自答していこうと思います。

ありがとうございました。

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