人生を諦めることと、それの受け止め方
こんにちは、ひろゆき827ともうします。現在海外の大学院に在学中で、今後の人生の生き方について相談があるので、質問させてください。
これまでの人生ですが、中学と高校は私立に入って勉強してきました。在学中はほとんど勉強をせず、好きなこと(当時はパソコンをいじるのが好きでした)をしていました。受験のときは当然ですがうまくいかず、一浪をして物理学を学ぶ道に進みました。なぜ物理学かということですが、父親が物理学を勉強していたのと、叔父(私が中学の頃に他界)が物理学について話をしてくれていたので、興味を持ったからです。中学と高校のころは周りの人間関係がうまくいかず、大変苦しみました。そのストレスがパソコンへ向かっていたのだと思います。
大学に入ってからは物理学の魅力に取りつかれ、より上へ上へ行きたいと考えたので、編入試験を受けたり、数学系に興味を持ったので大学院は数学系へ進むことにしました。
この間、研究職という道に進むことを考えていました。単に物理学をより深く学びたい、貢献したいということもあったのだと思いますが、子供の頃からの夢である「研究職」へ向けてひたすら突き進んでいました。幸運にも親もその夢へ向けて応援してくれていました。
ここに来る際に、父親とも相談をして覚悟を決めてきたのですが、今の大学に来て、その夢が甘いことを知りました(世界レベルで賢い人間を初めてみました)。現在は26,7歳になるので、夢を追いすぎるのはリスクが伴います。その夢を打ち砕かれてしまいました。
幸い今後の進路については落ち着いて冷静に考えることができているので、見つけられそうです。(物理学とは関係ない方向です。)
(以下がお伺いしたいことなのです。)
ところが、この物理学へ向けて捧げてきたぼくの人生8年 (今の大学を卒業したら8年も大学にいることになります) をどう受け止めていいかわかりません。研究職につきたくて、自分の殻を打ち破り続けてきた中、夢を粉々に打ち砕かれることになり、家族や周りの方にどう説明すればよいかわかりません。もちろん、これまでの人生、両親・家族なしではありえませんでした。こうして海外まで来ることができて、本当に感謝しています。
自分の中でどのように受け止めるべきか、ご助言いただけると大変光栄です。以上何卒宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お釈迦さまの事例
お釈迦さまは出家してから3人の高名な師の下を転々とし、やがて独りであらゆる苦行をしました。その間、実に6年です。特に苦行は立てば前に倒れ、座れば後ろに倒れるようになるまで、文字通り命懸けでやり込みました。そして気付きました。「これまで6年間やってくたことは全て方向性が間違っていたな」と。それからお釈迦さまは苦行を止め、菩提樹という木の下でしずかに坐禅をしました。そして7日7晩たった明け方、覚りを開きました。
お釈迦さまの6年間は無駄だったのでしょうか?
まぁ、そういう見方もできるでしょう。果たしてその6年なしに、出家したばかりのお釈迦さまが7日7晩坐禅して悟れたかどうかははなはだ疑問なところではありますが、でもタラレバを言っても仕方がない。無駄だったかどうかはぶっちゃけドーデモイーんです。お釈迦さまのスゴイところはそこじゃない。
お釈迦さまの何がスゴイかというと、6年間やってきたことに全く執着せず、バッサリ方向転換できる人だったということです。そうでしょ?普通はそうはいかない。命懸けで取り組んだことならなおさら、内心無駄だったと気付いていても何とか理屈をつけて意義深いものだったことにしたがるのが人情です。そこが世間一般の我々と違うところです。
男なら思い切って腹をくくりましょう。
さて、以下は私の持論ですが、大学で勉強する意義は「専門分野に精通すること」では無いと思うんです。勉強の仕方、仮説の立て方、検証の仕方、論理の組み立て方、そういった人が試行錯誤する上でのセンスを磨くことだと思うんです。だからどこに行って何をやっても通用する。そういうのが本当の勉強ではないでしょうか?
ぶっちゃけ、どこで何やってようが世界レベルで優秀な人はいますよ。その存在に気付くたびに挫折してるようじゃ誰も得をしません。お坊さんだって一握りの偉大なお坊さんにしか存在意義がないなら、仏教なんか無くなった方が世のため人のためです。そうじゃなくて、どんな人も等しく存在意義があるからこそ、徳なんです。そんな方向に学を活かしたいものです。
別に良いじゃん、二流三流大学の教授だって。私だって田舎の山寺の副住職です。それで何が悪いってんでしょう。あるいは全く別の進路を取ってもそれはそれで良し。ご家族にはここでご質問なさったことをありのままにご相談なされば良いんです。それが誠意というものです。
あなたの8年間は夢中になった、熱中した、有意義な8年間だったのではないでしょうか。
そのこと自体に意味があるのです。
8年間最後まで熱中してください。
最後まで走りきってください。
私たちの命は儚いものです。いつ終わってもおかしくないのです。その中で、楽しかった8年間、頑張った8年間があったなら、素晴らしいではありませんか。
生まれきた意味があったではありませんか。
そう考えてみてください。
卒業後はまた新たな人生です。
新たな人生は新たな気持ちで新たな目標に向かって頑張ればいいのです。良き8年間の思い出を胸に抱いて。
あなたの未来は開けているのです。
拝読させて頂きました。
あなたはその道を志して夢を追い求めて勉学に励まれました。
そしてあなたは今その世界の地平を見るに至ったのです。
そこまでいかなければ多くの学者や学会や研究者がいかに優秀であるかは分からなかったのではないでしょうか。
そうしてあなたは本当の意味でその学問を学んだことになるのです。
それは胸を張って言えることです。
そしてまた新たな道に胸を張って志すことができるはずです。
あなたの未来がこれからも多くの事を学び豊かに充実したものとなります様心よりお祈り申し上げております。
これからもがんばってください。
あなたの未来は開けているのです。
質問者からのお礼
皆様、
私の質問に親切に答えていただき誠にありがとうございました。
聖章様
人が生きていられることのありがたみ、その中でこのような素晴らしい経験をできたこと、それ自体への感謝を忘れていたようです。人の一生は短いですが、8年間で頑張ってきたことを自分に対して素直に認めて上げたいです。正直に言いますが、これまで物理学で研究職つけなければ、自殺する。そのように考えたこともありました。しかしながらこのような人生をくれた神様に対してそのような御恩のお返しはないですよね。これからの人生も同様に新たな熱中できるものに対して頑張っていき、別の形で社会に貢献することで、神様にもっとお返しができるように実りのあるものにしたいですね。 ////
kousyo Kuuyo Azuma様
頂いたアドバイスとは関係ないことで申し訳ないのですが、「どんなにいい大学に行っても、謙虚でいなさい」。というのは両親から言われてきたことです。今回、留学を通してもっともっと上の世界があることを知り、謙虚でいるしかありませんでした。私自身は世界の地平を見れたかどうかわかりませんが、そういう方々に出会うことができてこれほど幸せなことはないですね。「そうしてあなたは本当の意味でその学問を学んだことになるのです。 」そう言っていただけて本当に救われました。この経験を旨に留めて、でも謙虚さを忘れずに「胸を張って」生きていこうと思います。
皆様回答していただきありがとうございました。
ひろゆき827
大慈様
今回は挫折の一つとして非常にショックですし、残念ですが、今後どうするかをすっと切り替えることができているのは良かったと思います。もちろん5年後、10年後にこの挫折をしっかり受け止めていないといけないですが・・・。
学問を学ぶ中で、学問そのものの理解もそうですが、自分自身のポテンシャルのようなものに気づかせてくれました。これまで自分の取り柄のようなものはないと考えていたので、とても大きかったです。
また、このような経験をとしてもっと上の存在を知れたことで、自分の身の丈といいますか、そういうものを知ることができました。もちろん今後もそのような方々に出会うでしょうが、自分を見失わず、当たらな目標へ向けて努力を続けていこうと考えています。
叱咤激励ありがとうございました。
ひろゆき827