回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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人間もAタイプ~Zタイプまでさまざま。
あなたがたまたま出会った人が好きになれない人だったのでしょうね。
そういう人との出会いが連続すると本当に人間ってなんなんだろうって思うことがあります。
人間不信。
ですが、それでも大丈夫です。
それは私が裁判長になって相手を裁いちゃってる心理状態です。
裁判長は本当は公平でなければいけません。
私的な裁きは裁判になりません。
好き嫌いで裁判長やってたら「お前、嫌いだから死刑!」みたく無罪の人も死刑になっちゃいます。
地上10000m位の高さから世界を見てみましょう。
70億人の人間がいます。
面白い人もいれば、優しい人もいます。きれいな人もいれば丹下のようにブチャイクな坊さんもいます。あなたが嫌ったようなイヤな人間もいます。
では、早送りしてみてみましょう。
さっきまで悪人だった人がいい行いをしています。
さっきまで善人ヅラしていた人が逮捕されています。
人間というのはどうやら、その時その時の行い、態度、言動のあり方でこちら側の評価も変わってくるということですネ。
さっきまで曇り模様だったあなたの心も、少しずつ雲から太陽がちらりと光を差し込むように光が見えてきましたよ。
人間というのは出会う相手によって態度もキャラもテンションも変わります。
たまたま相性の悪い人との出会いであると、相手のことを悪く言ったりしてしまうこともあるでしょう。
それはそれで学びにしましょう。
この世のすべてが前の様子をとどめていません。
何かやらかしてしまった芸能人でさえも何事もなかったように活動されています。
世間の評価も変わっているということです。
あなたの世間に対する評価もまた変わっていくものです。
さぁ、さっきまでのあなたはもういません。
今を新たに生きてください。
目の前の人を『人間』と決め付けない
人の失敗を笑う人もいれば無関心な人もいるし、哀れむ人もいます。
同じ人でも笑う時もあれば笑わない時もある。
同じ笑いであっても侮辱の笑いもあれば、笑い話にしてしまった方がみんなが得をする笑いもあります。
そんなモンでしょう。
諸行無常です。固定観念は少ない方が楽に生きられますよ。
決めつけられない生き物
というのが本音です
生まれも育ちも人種も信仰も生活環境も見た目もぜーんぶバラバラなのが人間なんですもん。
褒められたり認められればうれしいし、怒られれば悔しいし、馬鹿にされればムカつくし、本当に厄介ですね我々は。
一つだけ言えることは、その結論を今決めるのは勿体ない!ということです。
去年の自分と今が違うように、これから良い人悪い人狡い人凄い人に沢山出会って、その都度出てきた答えは変わっていきます。
それでいいのです。
おんなじ人も自分と同じ人生歩む人もいないんですから