飼い犬を殺してしまいました・
40年以上前なのですが私が小学生の頃飼い犬が出産し一匹の子犬を生みました。
当時我が家では犬を一匹しか飼う余裕がなくその生まれたばかりの子犬を処分することになりました。
まだ目も見えない子犬を親犬から引き離し私がその子犬を川に捨てました。
もがき苦しみながら川底に消えてく光景を今でも覚えていて忘れることができず、なぜあんな残酷なとをしたのだろうと罪悪感があります。
その後の私は病気やケガ、事故がたえません。
あの時の親犬、子犬が怒り狂っているのだ゛などと考えています。
その後もなぜか犬を飼う機会が続き愛情をこめて飼っているつもりです。
この無惨に殺してしまった子犬を供養したいですがどのような方法がありますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
災い?を「子犬のせい」にしないで下さいませ…
子犬を供養してもあなたの行為は消えません。
従って、あなたが「病気やケガ、事故から解放されることはない」のです。
私も三重県出身の50歳代です…同じような時代を過ごしてきたのだろうと思います。
そして、私もあなたと同じようなことをしたことがあります…ある意味同じような状況でした。しかしその時の私の年齢は小学生ではなく、もっと後の「分別のある」頃でした。
私もあなたと同じ残酷なことをしているのです。まあ、その頃は未だ僧侶ではありませんでしたが…そんなことは言い訳にもなりませんね。…当時は捨て犬や捨て猫などが本当に多かったですよね。だからそのような残酷な行為に全く関わったことはありませんと胸張って言える方は、そう多くないのかも知れません…勝手な想像ですが…。
私はあなたのご相談を拝見するまで、ずっと自分の行為を忘れていました。今思い起こして、確かに残酷なことをして申し訳無いと感じています。そんな程度のいい加減な私です。
あなたはその事実をずっと受け止めていらっしゃいました。優しいお方なのだと思います。
だからこそ敢えて申し上げます。『あの時の親犬、子犬が怒り狂っているのだ』…などと思うことはおやめ下さい。
あなたは動物の命を奪っただけでなく、さらにこれまであなたの身に起きた「自分にとって不都合な出来事」をその動物のせいにしているのです。それが「動物を供養することで、私に起こる災難を無くすことが出来ないか」という思いに繋がっていくのです。
夏になると怪談の『お岩さん』を思い出します。怖い怖い小岩さんを生み出したのは、そもそもあんな怖い表情に仕立てのは、殺してしまったのは、化けて出るまでに追い詰めたのは…一体誰だったのでしょうか。幽霊なんて、生きている人間の恐ろしさからすれば比べものになりません。本当に弱き存在です。
どうか、子犬の成敗までしないで下さい…二度まで殺さないで下さい。
こんな私達、どうにもならない、すくいようのない人間のために仏様がいらっしゃいます。
私を許すのではなく、許せないからこそ、放っておけないからこそ、「あなたをすくう、いや、私がすくうより他にあなたの生きていける道は無いだろう」とおっしゃるお方です。
どうぞ普段に周囲の全てに対して、慚愧と感謝の思いからお手合わされつつ、日暮らしなさって下さいませ…。
生きとし生けるものの幸せを願う
生き物は輪廻転生をくりかえします。
そして、全ての生命はつながっています。
あなたが慈悲の心を起こせば、ありとあらゆる世界(法界)がほんのわずかでも穏やかで過ごしやすい世界になります。
ということは、あなたが慈悲の心を起こせば、法界に暮らす生きとし生けるものが少しでも救われるので、犬が生まれかわった現在の生きものも、世界のどこかで救われるかもしれません。
より具体的な例えを言いますと、あなたが明日街で出会う人間の少年が、実はあの犬の生まれかわりかもしれないのですから、目の前の少年に親切にすればよいのです。
これから出会う全ての生き物が、もしかしたら犬の生まれかわりかも知れないのです。
別の喩えをしますと、あらゆる生きものの心はアーラヤ識という深層心理でつながっているので、あなたが起こした優しい心は、アーラヤ識を通してその犬の生まれかわりに回し向けることができるかもしれないのです。
質問者からのお礼
弘教寺 小林 覚城 様 同世代、同じ県出身とのことでさっそくいただいた回答有難うございます。
ご指摘のとおり今までの悪い出来事をすべて犬のせいにして自分は今後楽になりたい。幸福な人生を送りたい。などと自己中心的な考えでした。回答読みながらはっとした自分もありました。
今後この回答の意味も考えながら暮らしていきたいと思います。
願誉浄史様
回答有難うございます。
生き物は輪廻転生をくりかえします。との言葉
なんとなく頭のすみにあったのですが深く考えたことありませんでした。
私が殺してしまった子犬もすでに何かになっているかもしれません。
そうう気持ちを忘れず今後私の周りに関係してくる生き物に接していきたいと思います。