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「イマドキの若者」が「今時の若者」に抱く疑問。社会性って何?

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有り難し有り難し 26

いつもお世話になっております。
まずは、足の負傷が平癒し、仕事に復帰、それから無事に初任給を頂けた事をこの場を借りて厚く御礼申し上げます。
さて質問です。社会性とは何だと思いますか?

しばしば、「今時の若者は…」との声を聞くことがあります。
私の職場でも若い先輩が、無断欠勤、遅刻やドタキャンを連発、仕事も雑と来て、ほかの先輩方の間でそのムードになっているそうです。

私は大家をしていますが、今までに入られた学生の方がたは挨拶もせず、私からお声がけしてもぶっきら棒に頷くのがせいぜいで、
大人の方のように返してくださる事はまずありません。おまけに夜11時ごろまでドッスンバッタン何をしていることやら…。
ファミレスの入れ込みで群れをなして、弱い者いじめともとれる内容で大きな声で談笑したり…。「将来の夢なに?」「生活保護w」
(´Д`)ハァ…

社会性、社会性と言いますが、私の目からはとても彼らにはそれが足りているようには見えません。(かく言う私も検査で欠如と出たのですが…逆に顔色を意識しすぎて過度に敏感になる為とか)お礼や謝罪の言えるいい子もいるのはわかっています。そういう子に会えるとすごく嬉しいので…

近所のおばちゃんとの井戸端会議レベルかもしれませんが、俗人と話すと絶対悪口のオンパレになりそうなのでここに投下します。

ご教示のほどお願い申し上げます。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

望ましい社会性 と 本人の実際の社会性

育った時代が昭和だった人は昭和な社会性になります。
育った時代が平成だった人は平静な社会性になります。
育った場所が畑だった人は畑な社会性になります。
育った場所が温室だった人は温室育ちになります。
ですが、温室育ちでも私たちにできないことや、持っていないスキルを備えているものです。
このページで回答中、らほつキャップを被った女性が手を合わせていますが、私がそれを被ったららほつキャップは売れないかもしれませんし、業界人からクレームが来るかもしれません。
ペンギンは飛べなくてもいいのです。
その代わり、水の中をガンガン泳げます。
そういう特質、社会性を持っています。
多様性を認めて、自分の価値観からすると「すさまじい」人であって、その世代その世代のありようなのですから、自分のルールだけが絶対的ではないと思って、柔軟に対応すべきことであろうと思います。
いつでもその時代ごとに「イマドキ」ですから、その時代の生きた最先端の「イマドキ様」なのです。
私どもも昭和の一桁世代からは「意味不明」な存在であったはずです。
反対に私たちが少し世代が上の人たちを見たときに「謎」な感覚があるはずです。
よって、先の世代にものちの世代にも柔軟な姿勢で、相手がだれであっても柔軟に対応できる姿勢こそが「よい社会性」「なにかと便利な社会性」であると思います。
仏心とは、あらかじめの「こちらの姿勢」がない様子でもあります。
相手に応じ、時と場所と状況の変化に応じて、臨機応変なやはらかさは持っていた方がよいでしょうね。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

分かち合うこと

拝読させて頂きました。
足の負傷が平癒し、仕事に復帰、それから無事に初任給を頂けた事、なのですね!
良かったですね!おめでとうございます!これからもがんばってくださいね。
応援したマスネーーー!(^^)/

さてご質問ですが、「社会性」なかなか難しいですね。
イマドキの若者は…というとつい悪口がでてしまう、それは今も昔も変わりません。
忘れましたが、昔の古い文献でも「今どきの若者は…」と悪口が書いてある書物があるほどですから昔からその語り口というは人間の意識はそうなのだと思います。
若者の意識や生き方をそうさせているのは私達の社会や世界そのものですからね。
意識的に或は無意識のうちにそうなっていくのだと思います。

私は今お寺の過去帳を整理しています。昭和の世代つまり父母やその前の方々です。
赤ちゃんや小さなお子さん達が沢山亡くなっています。
父母以前の世代は兄弟姉妹が普通に5~6人はいます。それでも沢山の子供たちが亡くなっているのです。普段本堂でお勤めさせて頂いていますが、そのご供養させて頂いているご先祖様には多くのお子さん達が含まれているのです。
年端もいかぬ子供達を亡くした両親はどんな気持ちでその子達を供養したのでしょうか、想像すると本当に辛い思いをなさったのではないかと思います。本当にわが身を切られる思いではなかったかと感じます。
それでも5~10人の子供達を育てていかなくてはなりません。
育っていった子供達は生まれながらに生存競争にさらされていきます。
我先にご飯を食べなければ生きてはいけません。必死でご飯を食べさせてもらっているのです。上の子供達は親が畑仕事があれば下の子供達の面倒を見なければなりません。
当然下の子供達にご飯も分け与えていくのです。
先日自坊に知合いの方が何十年ぶりで訪れたのですが、私が生れる前の事です。その方は両親と子供七人でお寺の納屋に暫く間住んでいたそうです。
当然ご飯もお寺の子供達と一緒に分かち合いながら生き延びたとおっしゃっておられました。
その当時はお寺の中だけで何十人もの子供達が生きていたのです。
そこでみんなで分かち合いながら生きていったのです。
社会性からちょっと違うかもしれませんが、本来は人が肩を寄せ合って共に助け合いながら生きていくということではないでしょうか。

有難しです!自利利他行の実践ですね!(^^)/

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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

【kousyo Kuuyo Azuma 先生】
 ご回答ありがとうございます。重ねて応援ありがとうございます!どれくらいかはわかりません
が、昔の書物にもそのような記述はあったんですね…。
 親が亡くなってうるさくて窮屈な環境から解放された私は、昔よりもかなり生き易さを感じて
います。遺産のお陰もあるかもしれませんが…。これから世に出る皆を惑わさないためにも、
私たち大人の視野拡大、知識智慧の獲得実践、利他の精神は大事なのかと思いました。
 ちなみに今日は、ニューお寺での写仏の帰り道、視覚障害を持つ女性の方を駅でご案内したんですよ!まさに自利から利他の受け渡しというものでしょうか?(笑)

【丹下 覚元 先生】
 ご回答ありがとうございます。ちなみに私だったら先生がらほつキャップ被ってお出ましに
なったら飲んでいたジュースを吹出して笑い狂うと思いますw
 おっしゃる通り、柔軟な対応って難しそうだけど身に着ければきっと便利ですよね。
 自分自身がより生き易く、そして可能な限り布施、利他を施し、功徳を積めるようになる
ために精進していきたいと思います。

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