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鬱で休職中です。

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私は今、鬱になり仕事を休職して2ヶ月が経ちます。

鬱の原因は、職場へのストレスです。
営業をしており、結果を出しても周りに僻まれます。
20代前半が全体の8割という職場且つ
上司も現場経験がなく他の部署から来た人がほとんど。
そのアンバランスにも疲れ、飲み大好き男女大好きなイケイケな人種が多すぎる会社です。
私は毎日アポイントを取り、一日5-10件外回りをしていました。
他の同期や後輩、上司は外にでらず社内でぺちゃくちゃおしゃべり
基本給が安いので残業代のために残業するような人ばかりです。
そんな中、唯一尊敬できる上司と不倫関係になり、それも病む原因でした。特に何かを見られた訳ではないのですが、その上司が気に入ってるのを面白く思わない先輩に噂もされました。(他の人も全員と言っていい程あれこれ悪い噂をされてますが)
家族が居る人と不倫なんて悪いことをしており後ろめたかったですし人に隠し事があるのも辛かったです。
毎日終電で帰り、休みの日も不倫相手と過ごし仕事の事をずっと考える日々でした。
仕事内容自体は好きで、クライアントと話し結果を出すのも好きでした。
そんな中ある日突然、糸が切れたように朝から涙が止まらず出社出来ず終日泣き続けるのが一週間続き、休職することになりました。
頑張ってる自分がバカみたいになり、今までの職場に対する不満が爆発したんだと思います、入社して毎日朝〜終電の日々で、身体も疲れてたんだと思います
その後実家に帰り死んだように寝てました。いまはは元気があれば基本外に出てます。
2ヶ月程経ちますが、やはり職場に戻る気になれません。働く気にもなれません、、しかし焦りもあります、親も心配しており転職転職うるさいです。
病院にも通ってますが、先生に伝えると休みが長引くとデメリットもあると言われ、確かにとも思います。
私はもう少し休んでも良いのでしょうか、会社へ辞表をもう出すべきでしょうか?
もう会社が大嫌いで、縁を切りたい
潰れてしまえとも思います、こんな不幸なこと願ってしまう自分が嫌なんです
でも辞表を出すと、お給料面や保険証が適用されなくなります
働いてないのにお金を貰うのは申し訳ないし迷惑をかけるのでいますぐにでも辞めると伝えたのですが
上司は今後の職場等決まるまで籍を置いて利用していいと言われ甘えてますが
私の精神上良くないかとでも生活面も不安です


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

顔は一つだけにする

心の病みの原因が会社にあるのですから、ことあるごとに不倫のことを思い出して自責の念でまた病むのではないでしょうか。
お勧めは「自分の顔は一つにしておくこと」です。
相手に合わせてうそをついたり、無理に迎合しないこと。
SNSでツイッター、フェイスブック、インスタ、ライン、グループあれこれ顔が沢山ある人は何もしない人に比べてやみやすい、心が疲れやすいと感じます。
阿修羅像のようになってしまうのです。
あれもこれも、という風に人間はできていません。
付き合う相手は絞った方がいいです。
付き合う相手が増えると心の中であの人用の顔、あっちの人用の顔、と顔が増えます。
嘘をついていなきゃいけない顔はつらいはずでしょう。
不倫は何の実りもありません。
早く手を引くことです。
可能であれば仕事は変えた方がいいと思います。
自分の居場所、居心地のいい場所は、仕事の内容というより「人」なんじゃないかと思います。
自分が本当に安心できる人がいるかどうか。
また、仕事も業種によっては社主の兵隊にならなければいけない企業もあります。
職場が自分を守ってくれるところでなくて何のための働き、仕事でしょうか。
蹴落としあいや競争がさかんな職場は職場ではなく、戦場です。
まずは、あなたの顔を一つだけに絞って裏表もなくすることです。
やっぱりどこまで行っても、良くないことはよくないことなのです。
あなたの涙はあなたをよい方向へ戻してくれたのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございます。
お陰で立ち直りました。
顔は一つにし、自分を愛する様にします。

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