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夫との関係で悩んでいます。

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結婚して4年目になりました。
私と夫は同業者で、私が正規雇用で主人が非正規雇用です。
年1回の採用試験があるのですが、なかなか狭き門なため、縁に恵まれない主人は年々自信喪失がひどくなっています。

そんな中で、私は当時の赴任先の管理職からのパワハラ(無視や侮辱)もあって、抱えたことのない悩みと仕事のストレスが重なり、心身を崩してしまいました。夫は、自分の勉強もあるのに、私を支えてくれました。それなのに愚かな私は夫に当たる(甘える)ことが多くなっていきました。

また、不妊治療も始めていて、私はますます崩れていきました。
そんな私を、夫は必死になって愛してくれましたが、去年のお正月にとうとう耐えられなくなって、涙を流しながら「俺はお前に愛されたことがない」と言ったのです。そして、去年の春に家を出て行ってしまいました。

私も反省し、穏やかな自分でいられるよう努めていましたが、パワハラに耐えられず夏に倒れてしまいました。夫は戻ってきてくれ、こんな情けない私を元気にしたいと支えてくれました。

その後なんとか職場に復帰しましたが、今度は主人の様子がおかしくなり、お互いの転勤を機に今年の春にまた家を出て行ってしまいました。

主人は、私を「あなたが俺を支えてくれているのはわかる。一度も嫌いになったことはない、ずっとかわいいと思っている。」と言います。一方で「あなたのことが心配で、自分の気持ちがどこかに行ってしまうのが辛い。」とも言います。そして、今年の5月には突然「別れたいのにわかってもらえないのか」ともLINEで言われました。

とてもショックな言葉でしたが、彼の心に寄り添おうと決心し、現在はなるべく連絡をしないようにしています。

すると、夫の方から定期的にLINEがあったり、私がいない日中に食べ物を置いていってくれたりしてくれたのです。
わたしも、その都度感謝の言葉をLINEに送っていました。

しかし、先日の採用試験のあとから、連絡が来なくなりました。返信もありません。連絡が来ないだけでとても不安です。

私は夫を愛しています。職場環境が変わり、悪魔のようなストレスはなくなりましたが、自分をもっと見つめ直して仲睦まじい夫婦でありたいです。

しかし、こんな状態がいつまで続くのか、夫の気持ちは穏やかになるのか、先の見えない不安で心がバラバラになりそうです。苦しいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ラインよりも電話 電話よりも直接会うこと

ラインとかメールに頼っている自分をまず気持ち悪いと思うことです。
メールのやり取りで相手にしているのは自分でしかありません。
相手にこう送った。
相手からこう送られてきた。
それによって、思い起こされるのは自分の中の自分の思い。
相手に対する自分の思いかた。
相手と思っている相手はあなたの相手に対する「自分の思い」でしかないでしょう。
それが愛されていなかったとご主人が言われた言葉が意味することです。
現代人は生身の人間にきちんと出会っていないのです。
これ以上は申し上げません。
あなたの中の私に対する思いを相手にさせてしまうからです。
返信、お礼は不要です。
生身のご主人に出会って「あなたの中のご主人(セルフイメージ)」ではない実物のご主人に出会った方がいいでしょう。
ご主人との関係、夫婦愛が形成されるのはこれからではないでしょうか。
私から指摘された分も踏まえてご主人ときちんと話し合って下さい。
本当の伴侶を失ってしまう、手遅れになる前に。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

返信不要とされていましたが、追記させてください。

LINEでのやりとりは、夫が望んでいるのです。
対面や電話だとうまく自分の気持ちが言えないと。

私は会うべきだと思っておます。

しかし、いま少し、彼が自分の心と向き合わないと駄目なんだと思います。

その気持ちに寄り添いたくて、彼の意向に合わせているかたちです。

だけど…不安になるときがあるということです。

ありがとうございました。

1000文字では上手に書けませんでしま。

夫も、自分を大きく見せていたところがあって、私も私で理想の夫を勝手に作っていたところがありました。

それはご指摘のとおりです。

私のことを愛していることには変わらないし、私も彼を愛してあるので、今は、彼の気の済むまで寄り添おうと思います。

どんな夫も、まるごと受け止めます。愛していますから。

話すときがきたら、ちゃんと向き合ってお話しします。

ありがとうございました。

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