将来に希望が見えず苦しいです
先日、4年間付き合ってた人と別れました。
きっかけは些細な喧嘩から始まり、収集がつかず、私も謝るタイミングを遅らせている間に相手は別れることを決意したみたいです。ひどい事も言ってしまったし、私は数日後に謝ろうと思い、連絡したのですが、相手も大事な話があると言い、いきなり別れを告げられました。何度も謝りましたが、もう戻るのは無理だと言われました。
正直、ここ数日は生きた心地がしなくて、食欲も仕事の意欲も上がらず、頭の中で死ぬ方法ばかり考えてしまいます。今日も出張で外に出てたのですが、外にいるのが辛過ぎて、ようやく家に着くやいなや、涙が止まりませんでした。
幸いと言っていいのか、明日から仕事はしばらく休みです。休み中もする仕事はあるのですが、どうにも手がつかない状況です。そして、彼女だった人は職場が同じ人です。人と会うのも怖いし、仕事に行きたくないと思ってしまいます。夏の予定も色々立てていたし、楽しかった思い出もたくさん思い出してしまい、本当に苦しいです。将来も考えていた人なので、余計に喪失感を感じてしまいます。
この先、何を希望に生きていけばいいのでしょうか。何もかもやめてしまいたいです。無責任かもしれませんが。
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明けない夜はない
愛別離苦ですね…大変お辛い思いをお聞かせいただきました。今はもう何もかも終わってしまった様なお気持ちでしょう。もう死んでしまった方が楽だとも思ってしまうものでしょう。
私事ですが、私もやはりそうでした。でも今まだ生きています。結婚を考えた人との別れも数度経験しました。食欲もなくなりました。それでも何も食べなかったわけではありません。何も飲み食いしなかったら今こうしてここにいませんからね。頭では色々考えても身体はきちんと生きようとしていたわけです。
「もうこれ以上の人には出会えない」
毎回思いました。でもまた次の出会いがありました。
希望が失われたということは、また希望は見いだされる可能性があるということ。変わらないものは何もないのです。出会いあれば別れあり。別れあれば出会いあり。
今は喪失感が大きいとのことですが、彼女は誰のものだったのでしょうか。自分のものであったのなら「失った」とも言えるでしょう。しかし自分のものであるならば自分の思い通りにできたはずです。しかし彼女は去っていった。彼女は彼女のいのちを生きています。あなたのものでも彼女のものですらもなかったのです。あなたがあなたの気持ちが思い通りにならないように、彼女もまた思い通りにならず、別れを選択せざるを得なかったのでしょう。
そんな思い通りにならない二人が共にいることは当然ではなかったのです。まさに有り難い関係だったのです。彼女との別れはあらためてそうしたことを教えてくださったのではないでしょうか。
是非とも教わった事をこれからに活かしてください。そこに希望があるのではないでしょうか。
また良き出会いがありますことを念じております。
自分の脳内ストーリーが台本通りに進まなかった
人間は思考をそなえた生物ですから、いつの間にか頭の中の思考やあらかじめの設定、期待、願いを優先させるようになるものです。
ところが私たちの体が存在して生きているのは現実の世界です。
ホントはこちらに地に足つけて生活しなければいけない。
それでも優先されている方が思考であるとどうしても、そっちが本当のことであるかのように錯覚するのです。
彼女が授けてくださったものがあります。
それが、思いの世界と現実の世界ということがいかに違うかという課題です。
あなたは、もう過去の世界、記憶、思い出、後悔という思考の世界から離れて、現実の世界を生きるべきです。
拘泥している、身動きが取れなくなっているのは思考の世界です。現実の世界は今日も新たに変化しているのです。
失ったものは現実はありません。
あなたのストーリーなのだということを見破れるまで、自分に向き合ってください。
質問者からのお礼
早速の回答、本当にありがとうございます。
付き合うってすごいことなんですね。そんなことに気づけなかった自分が情けないです。今は希望が見えませんが、待とうと思います。ありがとうございました。