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何の正当性もない人間はどうすればいいのか

回答数回答 2
有り難し有り難し 18

生きることには痛みが伴います。しかし、その痛みを受け入れられないでいます。正論を自分の糧に出来ずに傷ついてしまいます。そんな精神虚弱者を受け入れる余裕は現代社会には無いので、悪いのは傷つく私です。
私の家族は私以外まともです。私を正論で傷付けて「甘えるな」と言います。生きているのが辛いのは、私がまともでないからです。自業自得なのに助けを求めています。
心を殺して生きていくことが求められる世界です。傷ついてはいけないのに傷ついてしまいます。正しさの前に弱者は簡単に押し流されてしまいます。
傷ついてもいいと自分を許そうとしました。しかし結局、他人が傷付かないことで傷付く、まともでない人間であるという事実は変わらず、それは死刑宣告のようでした。
新卒に失敗すると人生終了なのだそうです。全てを生かす余裕は現代には無いので、失敗したまともでない人間は、まともな人間を生かすための道具にされます。
人の言葉を聞き入れず、自分の言葉に従って生きることももう無理です。石を投げられることに耐えられません。

一切の生命活動をやめたいです。もう存在していたくありません。生まれて来たことが間違いでした。なのに許して欲しいと願ってしまいます。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

正しいとは

拝読させて頂きました。
大変辛い思いをなさって心も身体も打ちのめされていらしゃるように感じます。
この中の正論に打たれあなたは大変傷ついておられることと存じます。

まともとは何でしょうか、正さとはなんでしょうか…。
確かに現代社会は正論によってものごとをより分けています。
その正論の内実は経済至上主義であったり、実力主義のように言われますが本当の所それらが正しいかはわかりません。
正しいという言葉にはその正当性を誇示して他者を制圧するという意味も含まれています。
また正義という名のもとに多くの犯罪や残虐行為も歴史的に行われて参りました。
本当に正しいことはそういうことでしょうか、世の中にとって正論が本当に正しいことでしょうか。

あなたの文面を読ませて頂きまして思うのは、あなたはそうおっしゃる程間違ってはいないのではないかと思います。もしかしてというか世の中や周りが間違っていることも実は多いと思いますよ。

新卒でなければダメ・失敗・人生終わり…そうではないと私は思います。
それは意図的に敗者を作り出す選民思想のようなものです。
そのような排他的な考えが正しいでしょうか?

偉大な方々を安易に比較することはちょっと違うかもしれませんが、
アインシュタインは落第生ですし、ノーベルやエジソンも失敗だらけです。
ましてお釈迦様は国家や社会からドロップアウトした方(社会から出てしまった)です。

目先の事や世間の常識は私達の本来の目を曇らせます。生きる事自体を迷わせます。

せっかくですから私達は何のために生きているのかをよくよくお考えなさってみてはいかがでしょうか?

あわてる必要はありません。

あなたが正しいと思うことを、善なる道をしっかりと見つけ出してくださいね。

あなたを心から応援していますね。本当に正しい道をしっかりと歩んでいってください。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

あなたを「傷つける」正論とは?

こんにちは。読ませていただいて、あなたが「どんな正論に傷つけられたのか」がよく分からないのです、ごめんなさい。どんな「正論」であるかを提示していただければ、「そりゃそうだ」なのか「それは思い違いでしょう」も言ってあげられるような気がするのですが。
「生きて行く事には苦痛を伴う」。それ自体があなたを傷つけ…ているようで、そうでもないと思います。これは二次的なものですから。そして、「生きていく間には苦しみがある。それを何とかしたい」は正しいと思いますが、それはまさに仏教の端緒というか、お釈迦様の中心課題でした。
「甘えるな」…これは、それだけでは正論か否か、判断できない言葉です。「持ちつ持たれつ」というのは正論だと思いますが、これは「甘えたり、甘えられたりの相互関係」ですから良いことと思います(何故なら生きていくうちには苦痛があるのだから)。 只、「トータルできることは自分でしている」人たち同士の間に成り立つことだとは思いますけれど。
「心を殺して生きていく事が求められる世界です」。これも、「世の中には、そういう場所もありますね」という、限定的な正論だと思います。世の中、あるいは現代の全てがそうと思うのは間違えだと思います。
「傷ついてはいけない」は、正論ではないと考えます。傷つくことを恐れて行動しないより、一旦傷ついてもリカバーすればいい。手が汚れたら洗えば良いのです。
「新卒に失敗したら人生終了」これは全くの誤りです。それを真に受けた?あなたこそ心配です。
「人の言葉を受け入れずに生きるのは無理」そりゃそうです。そもそもココに問いを起こす意味がない。
「石を投げられることに耐えられません」って、あなたはサンドバックではありませんよ。避けたり場を離れたり、打ち返してもいいのですよ。あなたがスルーしても反論しても、相手は傷つきませんよ。

あなたは大学院で、何かを学んできたのでしょう?「真理とは何か」を、今までの人間がどう捉えてきたのか、それをあなたも考えてきたのでしょう?「正論」がどれだけ(時代的・地域的)に変化しても、「人間って何だろう、真理とは何だろう」を追求してきたのでしょう?

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

質問者からのお礼

優しいお言葉、ありがとうございます。
しかし現実問題として「正論」に従わなければ生きていけないということは変わりません。
経済的に有用な存在となれない精神虚弱者に椅子は用意されていないのです。

大学院という、自分の苦しみと思う存分向き合える場所はとても安心できるものでした。
しかし、その期間ももう終わります。
恐らくは私の生存権もあと少しで尽きるのでしょう。

やはり生きていけそうにないです、ごめんなさい。

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