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お寺がただの一般家庭にしか見えません

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ものすごく残念なお話を聞いたので、質問させてください。
とある外国人観光客の方が、日本のお寺に立ち寄って軒先を借りて休んでいたら、その寺の奥さんに警察に通報されてしまったというものです。

わたしは、この話を聞いて日本の仏教って何なんだろう、と真剣に考えました。軒先で休む人を、不審者として通報する、そんなお寺に誰が救いを求めたいですか?

わたしはすべての元凶は、お寺の坊主さんが普通に結婚し、もはやお寺が宗教施設ではなく、「本堂がくっついた家に暮らす一般家庭」に成り下がっているせいと思えてなりません。
そりゃあ、普通の家の奥さんで自宅に子供もいたら、知らない人が勝手に軒先辺りに徘徊していたら怖いですよ。
だから、先のような宗教施設としては信じがたい通報のようなことも起こってしまうのだと納得ができます。

わたしは、正直日本の仏教に将来はないと思っています。
妻帯し、魚肉を平気で食らい、ブランド服や高級車に乗ることも是とする、そんな人に神聖さなど微塵も感じません。
一般家庭になってしまった寺院へは、気軽に脚を運んで苦しさを吐露しようなどと、私は絶対に思えません。

軒先で休む人を通報する、そんな寺がこの先も増えるのでしょうか。
寺が一般家庭であることを、お寺の当事者のみなさんはどう思われているのですか?
日本人の仏教離れの一員が、お坊さんの俗世化にあるとは思われませんか?


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お坊さんが撒いた種

字数制限が千字ですので書き直します。

ご丁寧なコメントをたまわりましてありがとうございます。さぞご不快な思いをさせてしまったと存じます。申し訳ございません。

何故ねこかんさまがやるせなく感じてしまうのか?

それは全てご自分の中で完結してしまっているからです。外国人観光客が通報されました。腹が立ちました。では、なぜそのお坊さんに通報した理由を聞かないのですか?まぁ、人づてにお聴きになったことですから難しいでしょう。では私のことは?

私はお寺を非公開にしています。名前も実名ではありません。このhasunohaでどれだけ回答しても、どれだけの時間を割いても一円一銭の利にもなりません。そんな人間が目の前にいるのに、お坊さんがお金を稼ぎ生きていく手段としての職業と見えている。あなたの目にかかった色眼鏡がそのように見ているのです。なぜ聞かないのですか?「どうしてそんなに煩悩を肯定して平気な顔していられるのか?」「なぜ日本全国のお坊さんの足を引っ張るような回答をするのか?」と。

私なんかまだくだらない方ですよ。東日本大震災以来、今でも四方八方を駆けまわり続け、ほとんど家庭に帰らなかったために一人娘さんに敬語を使われているお坊さんがいます。今年の春、そのお嬢さんにお寺の子供の研修会で会った時に私はたずねました。「お父さん、元気?」その子はうつむき、小さな声でこう答えました。「知らない…」

この人はあくまで一例です。本当は「世の中クソ坊主ばかり。自分だけは良いお坊さん」と吹聴する偽善者の陰で、陰徳を積んでいる本当のお坊さんが山ほどいる。あなたが全国33万人のお坊さんのどれだけを知っているのでしょうか。

タイのお坊さんがブランドのバックを持ち、プライベートジェットに乗っても尊敬されるのに、あなたがあなたのお寺さんを見下すのはなぜ?善く見るも悪く見るも全てあなたの心一つだからです。尊敬も軽蔑も表裏一体の煩悩に過ぎないからです。自分で勝手に嫌い、自分で勝手に感謝するからやるせないのです。

どんなに美味を口にし続けても本当の意味で満たされることはないように、他人に理想を求めても決して満ち足りることはありません。自分の理想ではなく、目の前に広がるこの世界を見て下さい。

最後まで態度の悪いお坊さんで申し訳ありません。でも、これが仏教です。

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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僧侶の資質が大きな問題です

>寺が一般家庭であることを、お寺の当事者のみなさんはどう思われているのですか?
>日本人の仏教離れの一員が、お坊さんの俗世化にあるとは思われませんか?

問題があると思っています。
仏教・お寺・僧侶を職業として捉え、自身の宗教を信仰しているとは言えない僧侶の現状は事実としてあります。
自身のことと受け止め精進していきます。

過去、私も通報したことがあります。
2月の寒い頃だったと思います。
夜中2時頃に本堂の廊下で毛布をかけて横なっている方を見つけました。
浮浪者が寝ているだろうと思いそのまま放っておきました。
朝になるといなくなっていたので少しホッとしました。
しかし、それから数日同じ時間に必ず来られるようになりました。
一週間ほど続き、妻が怖がり、色々考えていると私も怖くなり警察を呼びました。
警察の方が話しかけると、その寝ていた人はうちのお寺の門徒の女性でした。
主人を交通事故で亡くし、そのお遺骨をお堂で預かっていました。
夜になると寂しくなりお堂に会いに来ていたと。
状況が分かったので、お堂の中に入ってもらいその晩は泊まってもらいました。
しかし、それからはうちに来られることはなくなりました。
住職として恥ずかしいことをしたと思いました。
私の対応は良くなかったと思います。

うちのお寺には門はなく24時間境内や墓地は出入り自由です。
手を合わせて欲しいので、お堂は朝から夕方まで開けっ放しにしています。
だから泥棒は定期的に入ります。
金目のものを置かないようにして、防犯カメラを数台設置し1ヶ月分録画しています。
妻は怖いからやめてほしいと言っていますが…。

お寺のあるべき姿を保つことが難しくなっている現状があります。
近辺の寺院の多くは境内に鍵を締め、防犯に力を入れているようです。
それが間違っているとも言えません。

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おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...
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私はあなたみたいだったなぁ

あなた、昔のわたしみたいです。親近感がわきますね(^<^)
そうやって坊さんのあらを探して、本当の坊さんなんていないじゃないか!っていつも言っていました。仏教を信仰したく無けりゃしなくていいのですよ。(笑)
大いに結構。私だって仏教なんか信仰してません。
本物だけが大好きなだけです。
その心だけあれば、本当に近づいていく。
私は曹洞宗とかいう宗派に属していますが、本山でみてきた現実から、曹洞宗を愛せなくなりました。
あなたの様に愚痴ばっかりこぼしておりました。
また、何とかしたいと思ってこのままじゃ曹洞宗はダメになってしまう、と常に憂いていました。
( ˘ω˘ )「別に曹洞宗は無くなっていい。本物だけあればチャンと本物が残っていく」と。
(; ゚Д゚)げぇっ!
かつての私とあなたの問題点はネ、そうやって人に頼っている所ですがな。
「自分の仏教が始まってない」のです。
【他の人の為すと為さざりしを問うこと無かれ。ただ、己の為すと為さざりしをのみ問え。また、己の為すことの真偽をのみ問え。】好きな言葉です。
他人がやってない。アイツは気に食わん。外のアイツがどうしたこうしたと言っているのは、お前さんの心なのです。
「アイツが、あれが、あそこが、という此処(おのれ)」なのだということが分かりますか?
そこが問題だという事がワカランかったうちは、かつて私もあなたと同じく仏教に対して敵意や、愚痴ばっかこぼしておりました。
そんな愚痴ばっかこぼしとったら、ある坊さんから一言。
「じゃアンタがやんなさいよ」
あなたの仏教の始まりは、あなたが、やることでしょう?
あなたが人格者になり、あなたが正義の剣で人を切らず、あなたが人を問題にしている自分の心をおさめる事。
仏教者と言われる方は、人に救いや理想を求めている人ですか?
皆、人に頼っていないでしょう?
自分がやらなきゃ。(^<^)
あなたは仏教を捨て、自分が人任せ、坊主まかせでない、本当に自分の本物を生きればいい。そういう生き方をこそ本当に仏教という。
あなたは大物になれますよ。ただし自分の正義の剣で人を切るのはやめた方がいいでしょう。

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おきもち

詳しい状況が不明なので

外国人の方に関することは詳しい状況が不明なので、なんともいえません。あなたが知らないところで危険を感じるようなことがあったのかもしれませんので。

そこで、一般論としてほかの部分について私の考えを述べますとあなたのおっしゃるとおりです。家の隣に本堂があるだけ、という住職家族は多いといえます。だから一般論としてお寺に幻滅をお感じなるのはもっともなことだと思います。

我が家も(私たちのお寺でも、というべきかもしれませんが)似たようなものです。先日、娘が得度し僧籍に入りました。朝、お年寄りがお参りになることが年に十回程度あるので、「起き手お参りせよ」と娘にいうと、嫌がります。母や嫁も「そんなことせんでいい」といいます。檀家さんのお年寄り(講衆、尼講という名称の団体です)がお参りになるのに、僧侶になった娘がご一緒しないのはおかしいと私は腹を立てます。しかし、婆さんと嫁は私には理解不能な特殊な論理を用いて娘を堕落させようとします。これが実態です。

しかし、捨てたものでもない話も多いです。家庭に問題のある娘さんをずっと預かったり、刑務所から出てこられた方と一緒に生活し会社まで同行して社長に「この人を雇ってあげてください」と頭を下げた頼んだりするご住職は数多くおられます。その方たちとお話しになれば、人生いろいろ、住職もいろいろ、と納得されると思います。ただ、パーセンテージが非常に低いのが問題ですが……。

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私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な...
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娑婆の垢

 こんにちは。ご指摘の点はごもっともだと思います。「坊さん自身が娑婆の垢にまみれてるじゃないか」と。ですが多分、「日本の坊さんやお寺には期待しないが、仏教にはすがりたい気持ちもある」というのがご心中ではないかと忖度します。
 今はお陰様で、諸外国のお坊さん方のお説教や著書に、ネットなどを通じて手軽に触れることができます。私も時々拝見するのですが、そちらで「垢の付いていない」仏教に触れられ、ご自身のお覚りへ歩んでいただければと存じます。もしくは、できるだけ原典にちかい書物に自ら迫られることをお勧めします。
と、「神聖でない私」がお答えしたところで、どう受け取られるかは分かりませんが…自分の無力さを感じます。
 ひとつご紹介できるのは「日笑」さんのブログです。タイのお説教を載せてくださっています。

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一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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質問者からのお礼

私が抱く日本仏教への不信感、危機感のようなものは、実際にお寺の中の方も感じておられるんだなということがよくわかりました。
お寺が俗世化している現状が、本当に残念です。
やはり日本で生まれた私は、昔からお墓に参ったりしてきた中で仏教への関心や、期待のようなものが捨て切れません。
厳しい意見を書きましたが、どこかでまだ、頼りたい、すがりたいと思っているのです。
だけど、私が知っているたくさんのお寺の中で、「あぁ、この方にならつらい気持ちを御話したい」って思えるようなお坊様は、いらっしゃいません。

お坊さんにどうしても知ってほしい事があります。
本当に孤独でつらい人は、幸せそうな人には何一つ頼れません。
宗教の大きな一つの定義は、「救い」のはずです。
だからこそ、俗世とは切り離されたお坊様という存在が、心のよりどころとなりえるのだと思います。
お坊さんが、本来の解脱された存在であるなら、とても気軽になれるものではありませんし、まして世襲などありえず、相当な覚悟や信念をお持ちの方しか、僧侶にはなられないはずなのです。

釈心誓様。
真摯なご回答ありがとうございます。実体験としてお伺いすると、お寺にドロボウが入るというお話、身の危険やご家族の不安は察して余りあります。ですが、お寺が「本来のお寺」であったら、泥棒が盗みに入るでしょうか?ご本尊以外に盗まれて困るものがあるでしょうか?

藤岡様。
包み隠さずにご家族のお話をしてくださりありがとうございます。お話を伺い、現実を突きつけられたようで、正直やっぱり悲しくなりました。誰も救う気も無い人が、どうして簡単に僧侶になれてしまうのでしょう。

大慈様。
仏教について、私の認識が捻じ曲がっているとのご指摘。まったく心に響きませんでした。高級車に乗ってブランドの服を着て云々は、ただのイメージではなく我が家の墓がある寺のお坊さんのリアルな日常です。元来仏教とはこうだこうだとご説明されましても、俗世生活を謳歌したい言い訳にしか見えませんでした。ここまで煩悩を良しとするお坊さんも、いらっしゃるんですね。もう仏教なんかと関わるのは辞めようと思えててきました。

追記。
お忙しい中、貴重なお時間を割いていただいてありがとうございます。
本当は気づいています。
こうして、顔の見えない間柄であっても、このような批判的な感情にまで、まっこうから向き合ってコメントを下さるみなさまの行為そのものが、「救い」なのだと。
なのに何故か、そこに仏教、宗教というものの気配を感じないのです。
宗教としてのゆるぎない芯のようなものが、見つけられないのです。
お坊さんが、サラリーマンや教師と変わらない、ただのお金を稼ぎ生きていく手段としての職業になりつつあるように思えるのです。
それでも、感謝しているのも本当です。
同時に、やるせなく感じる思いも存在します。

佐藤様。
具体的アドバイス感謝いたします。すでに海外のお坊様の仏教本はいくつか読みました。そしてますます日本は何だかおかしいなと感じました。結局は仏教とは、陳腐な言い方かもしれませんが、悟るためのツールであり、それは他人や外に求めるものではなく、自分自身の中で気づくしかないのだろうとも思っています。ただその中で迷ったときに、その道のプロフェッショナルとしてお坊様という存在に時には頼ってみたいけれど・・・それすらも機会がほとんどありません。お寺に気軽に入れません。・・・そこには、普通の家族が暮らしていて、自分はよそ様の家にお邪魔している部外者だと感じてしまうから。
せめて、お寺にお坊さんが「出勤」なさる形で、そこが「一般家庭の延長」ではなく、「純粋な寺」であれば、少しは違うのかとも思いますけれど・・・。そういうシステムは難しいのでしょうか。
ブログ今から拝見してきますね。ありがとうございました。

丹下様。
お言葉ありがとうございました。わたしが剣を持ってここに書き込みに来たのは事実です。武器を持つのは弱い人間だからです。私が弱い一人の人間ならば、程度の差こそあれ、お坊様方も何も変わらない同じ弱い人間でいらっしゃるのだと思いました。(生意気に聞こえるでしょうが正直に書きます)

最後に。
33万人のお坊様のどれだけの割合のかたがたが、どんな功徳を積んでおられるかを統計的に私が知ることに、何の意味もありません。わたしが自分の町で見てきたお坊様方は、お葬式をとりしきる僧侶なのにお経を覚えていなくてテープで流す、離婚してすぐ再婚し盛大な披露宴を開く、お寺の仕事より副業を優先する、寺をほったらかしで檀家が決起して排斥される。これがわたしが見てきた現実です。そこに疑問を持った私はましなほうで、多くの人は「どうせそんなもんだ」という認識です。すでに期待すらされてないんです。わたしの街では、仏教、寺が、宗教として機能していません。
うちの寺のお坊さんは、先々代までは世襲ではなく妻帯もされず、寺が一般家庭ではありませんでした。
祖母に当時の話を聞くと、そのころは宗派に囚われず、たくさんの方が寺に足を運び、お話をされたり催しごとをされたりしていたそうです。檀家はこぞって尊敬するお坊様のために奉仕していました。
ところが世襲になった先代から、そのようなことはぷっつりとなくなってしまいました。
時代が変わった。と言ってしまえばそれまでなのかもしれません。それを受け入れられず、古臭い理想に囚われ、見当違いの期待を押し付けてしまってすみませんでした。
心から真実だと思える別の道を探そうと思います。
数々のお言葉ありがとうございました。

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