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父の死についての罪悪感を拭いたいです

回答数回答 3
有り難し有り難し 38

先月、父が73回目の誕生日に他界しました。
その死について強烈な罪悪感がぬぐえません。

四十数年間、様々な経験をしてきたのでこうやって冷静に質問させて頂いてますが、若い頃の頃の私なら自殺をも考えたであろうほどの罪悪感です。

とうのも父は6年前に末期の胆管がんを患い、お医者様からもその年を越すのも難しいと言われてました。私なりに父の病気を調べてみても2年生存率は0%でした。

悲しむ母や妹を励ましながら、私は助かる方法を調べ、実行し、詳細は述べませんが、奇跡的に父の症状は回復し半年もせずに退院するにまで至りました。私は家族に感謝されました。

退院後も父は抗がん剤治療を通院しながら続けていましたが、父を救うべく素人ながらに必死に医療を勉強した私は、退院して2年ほど経過した時の父の血液検査の結果から、抗がん剤を止めれるのではないかと思い、抗がん剤治療に疲れていた父も賛同、主治医に相談した結果、止めることになりました。

父の体調も更に良くなり、度々一緒に旅行に行ったりもしました。とここまでは良かったのですが、抗がん剤を止めたとはいえ定期的に病院に通って検査していましたが、確か去年の春くらいの検査時に、少し悪い傾向が見えたので、先生から抗がん剤を再開しようかと言われたのですが、私なりの根拠でまだ大丈夫と父を説得して再開しませんでした。その後も検査の都度、2度ほど再開を先生に勧められましたが、私の一存で再開しませんでした。

しかし、今年4月の検査結果を見た私は、次の結果でも悪い傾向が続くなら抗がん剤治療を再開しようと父と話し合い、10月に予定してた検査時から再開する予定だった矢先に、父が静脈瘤の破裂による出血多量で自宅で倒れ、救急車で搬送され一時回復するも約10日後の父の誕生日に永眠しました。

死亡診断書には胆管がんからの静脈瘤破裂により、最後は急性肝不全と書かれてました。

母と妹は、あなたのおかげで6年も生きることができたと言ってくれましたが、私自身は私の治療再開の判断が間違っていたと後悔・自己嫌悪と押し寄せる罪悪感が絶えません。

一時は私が救ったという驕り、自信過剰な性格、謙虚さの欠如、他様々な要因で判断を誤ったという思いです。

これも寿命とお坊様から言われましたがまだ消化できません。
このままでは一生背負うであろう罪悪感をどうしたら拭えるでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

後悔の念は尽きねども

拝読させて頂きました。お父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます
お父様の病の治療や介護は大変な経緯だったのですね。その中で様々な変遷や判断があったことを読ませて頂きました。今あなたはその思いの中で深い後悔の念に苛まれていらしゃることかと存じます。

おっしゃるとおりあなた自身の驕り、自信過剰、謙虚さの欠如、他様々な要因で判断を誤ったことそれもあるでしょうし、それ以外の要因によって結果死に至ったのです。

とはいえ人の生命はそれはめぐり合わせです。自分の判断によってそのように至ることは一因でしかありません。
それこそ全て自分のせいで生命が短くなったというのは大いなる驕りではないかとも思います。ある意味人の死を軽んじてお考えなさっているのではないでしょうか。私達で人の死を全てどうにかできるものではないとも思います。

あなたがご自分のことを反省なさることは大切な事でしょう、そして自分に向き合うことは大切なことです。

そうして何よりこれからはお父様にしっかりとお向き合いなさって手を合わせて心を込めてご供養なさってください。
お父様は仏様のもとにてこれからもあなたやご家族の皆さんをお見守りなさって下さいます。

ご供養なさる日々を過ごす中でいずれあなた自身のお気持ちも恐らくは変わって参ります。
そのお気持ちを大事にしてこれからも毎日を皆さんと共に心豊かに仲良くお過ごし下さいね。

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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怒りの煩悩

罪悪感や後悔は、「嫌だ」という怒りの煩悩(現実を受け入れたくない、拒絶の感情)に関連しています。
今、あなたを苦しめているのは、あなた自身の怒りの煩悩、後悔の煩悩なのです。
お父さんの病気の件がなかったとしても、煩悩があるかぎり、あなたはあなた自身を苦しめていたはずです。

過ぎ去ったことはどうしようもないのです。
他人が昨日までやっていたロールプレイングゲームを、今日からあなたが引き継いでプレイすると思ってください。
昨日までのプレイヤーが下手だったことは、仕方ないのです。
あなたは今日から、今できることをできる範囲でするしかないのです。
人間の細胞は日々代謝しています。
昨日の自分と今日の自分は、別の物体。記憶は引き継いでいるが、別の新しい自分なのです。
今の現実の自分を幸せにしてあげてください。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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最善を尽くされたのではないでしょうか

よしおさま、はじめまして。質問を拝読いたしました。

よしおさまのお父さまは73回目の誕生日に亡くなられたのですね。寂しくなられたことと思います。お悔やみ申し上げます。

よしおさまは、ご自身の判断でお父さまの治療計画を考え実行されました。結果として、お父さまは亡くなられました。でも、医療においてベストな正解はないと私は思うのです。

医師の診断は、今よりも病状が進行しないためのベターな選択をしています。ベストではないのです。医療技術が進んだとはいえ、予期せぬことはいくらでもあります。その中で医師はベターな診断をして患者本人が治療計画を選択していくのです。

よしおさんは、お父さまのことを一心に考えベターであると思われる治療計画を提案しました。お父さまも同意し、選択しました。医師の診断を取るのか、よしおさんの判断を取るのか、選ぶのはお父さま本人だったはずです。

お父さまは、よしおさんの判断を採用しました。結果として、お父さまは少しの期間ではあっても家族と過ごすことができました。

お父さまに対してよしおさんが一心に考えたことは、お父さまに対して最善を尽くされたのではないでしょうか。

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徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の...
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質問者からのお礼

【kousyo Kuuyo Azuma様】
ご回答有難うございます。
「人の死を軽んじてお考えなさっている」のお言葉は、厳しいですがその通りかもしれません。
6年前の末期がんを宣告されたときと、今回、救急搬送されてからは、父と一緒に一所懸命、死を軽んずることなく病気と闘っていましたが、病状が回復したことで、その間の、通院治療中は、検査結果に対して、何かゲーム感覚で父の治療方法を考えていたのかもしれません。

死が生と隣り合わせに存在していることを常に心に留め置きながら父の病気と向き合うべきだったと反省しております。

これからは、ご教示頂いたように、心豊かになれるよう毎日供養しながら日々過ごしてまいります。

【中村太釈 様】
ご回答有難うございます。
私は小さい頃に、今でいう医療ミスを経験した経緯から、ご回答頂いた通り、常にお医者様はベターな選択、つまり、その担当のお医者様の技術、その病院の設備、更に、西洋医学という枠の中で、ベターな治療をされているという認識から、お医者様が余命を宣告(=そのお医者様の技術での限界)されても、他の選択があるとの思いで、父の病気と闘ってきましたし、その考えに父も賛同してくれていました。

私なりに最善を尽くしたという思いに、あまり疑念を抱かずにこれからの日々を過ごしていきたいとおもいます。

【願誉浄史 様】
ご回答有難うございます。
1000字では書ききれませんでしたが、罪悪感のもととなったのは、一連の父の闘病生活から最後に亡くなるまで、他にもたくさんありました。特に最後は、亡くなる前の数日は、母が昼から夕方にかけて病院で看病し、夕方から夜にかけては私が仕事帰りに駆けつけて看病するというパターンだったのですが、なぜか亡くなる前日に母と私が看病を入れ替わる際に母が、「今夜は朝までずっと看ていたい」と言ったのですが、私が「お袋が倒れたらもっと大変になるから帰ってゆっくり休んで」と言って無理矢理帰しました。

その次の日の明け方、病院から母に電話がかかってきて駆けつけた時には亡くなっていました。
母な何かを悟ってずっと看ていたいといたんだと思うと、その母を無理矢理帰したことが最後の後悔です。

いずれもご回答頂いた通り、私自身の怒りの煩悩、後悔の煩悩のように思われます。

なるべく今の自分を幸せにするように生きて参ります。有難うございました。

「罪悪感を消したい・罪の意識で苦しい」問答一覧

些細なことへの罪悪感を無くしたいです。

こんにちは。 私は子供の時にもあったのですが、急に過去の事や普段していることについて悪いことだと思った時に、次からそれをしなければいいことなのに、わざわざ親にそれを告白までしないと辛くなってしまうようなことが何回かありました。 昨年の夏、結婚して5年程の夫のことを心からいい人に出会えたなと思うようになったのですが、それと同時に急にある罪悪感が押し寄せてきました。 結婚生活を始めてから実は昔好きだった同級生を何故かまた焦がれてしまい、直接的な連絡は絶対にしなかったものの、元々snsでは繋がっていて必ずいいねをくれるので、いいねを貰えると嬉しいなと思ったり、彼によく思われたいと思って写真をあげてしまったり、自分の運営しているサイトをアップしたりしていました。その時も時々罪悪感はあったのですが、義実家からのつらい当たりなどあり、半ばストレス発散も感じもあったかも知れません。 その事が急に申し訳なくなりました。心理の専門家には、直接的な行動(連絡や会うこと)をしていないのだから、罪に思わなくていい、完璧主義すぎるからそうなると言われました。 耐えれなくて夫に簡単に伝えてしまいましたが、夫はそれでも結果的に今隣にいてくれてるからいいんだよと言ってくれと救われました。 それから、同級生を思い出すことはあってもこんなに辛くなるならもう彼のいるSNSはしばらく見ないようにしようとアプリを消しました。ただ、他にもSNSには大事な友達もいるし、私も直接的な不倫までしたのでは無いので大袈裟だったなと思い、アカウントはそのままにしておきました。 そして今年に入り、またSNSには他にもたくさんお友達がいるので、気になっていた同級生に向けてではなく、みんなに近況でも伝えようかなと久々にアップしました。 ところがアップしてしばらくして、彼以外の他の友達からコメントなどがあって、やっぱり楽しいな〜と思った矢先、本当に彼のことを意識しないでアップしたのかな?(意識しないようにしすぎて自分で分からなくなってる感じ)彼からいいねまた来たらどうしようなど余計なことまで考えて、削除して、罪悪感だけが強く押し寄せて来ました。 周りには浮気などの経験があっても今を楽しく生きてる人がいるのに、過剰に気にして辛いです。 切り替えて今を前向きに過ごすにはどうしたらいいでしょうか。

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ものを捨てすぎたことに対する後悔

文章が支離滅裂でしたら申し訳ありません。 去年の夏頃に、占い師からものを捨てた方がいいと言われ、さらに自分の体調のことで思い悩んでおり、治療をしても思い通りに良くならない自分の身体が憎たらしくて、ストレスが酷く、とにかく現実が許せなくて、自殺する勇気もないので、ストレスの赴くまま、自殺の準備かのように部屋のものを半分くらい捨ててしまいました。おそらく精神的な自傷行為のようなものだったと思います。たぶん、自殺のような意味合いで、すべてを消したかったんだと思います。 それから1ヶ月ほど経った頃、だんだんと捨てたことに対する後悔が強くなり、今では捨てすぎたことに対して大きな喪失感を抱え、鬱になっています。ひどい虚無感がつねにあり、頭がストレスでおかしくなりそうです。 自分が大事に集めてきたものがなくなってしまい、アイデンティティ、大切だったものがなくなった感覚、自分自身の一部が消えてしまったような感覚があります。 お買い物を楽しもうとしても、でももうどうせ大事なものがほぼなくなったから今更買ってもどうする?と、いまさら頑張っても無駄な気持ちになって、何も楽しくありません。 ですが物がなくなり生活に困っているわけではないこと、実際に今まで物が多すぎたことは確かで、捨てたことも悪いことではなかったのだと思います。それに捨ててしまった失敗に固執しても前に進めないこともわかっています。ですが、頭でわかっていても、気持ちがついていかず、納得ができません。 ちなみに4年前にこちらで元彼と別れたことを引きずるという相談をさせていただきましたが、その時も頭で理解していることと気持ちがついていかず、思い悩みました。そしていまだに引きずっていますし、きっとこれから先誰かを好きになることもないのかなと諦めています。 ものを捨てすぎて鬱になる、なんて側から見ると小さな失敗かもしれないのですが、自分の中では大きな喪失となっており、これから立ち直れる気がしません。今まで集めたものがもう買い直しもできないようなものだからかもしれません。積み重ねたものが全部なくなってしまった気持ちです。 何をしようとしても、あの楽しかった過去の自分には戻れないんだ、と悲しい気持ちになります。 もう疲れてしまいました。長々と申し訳ありませんでした。

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罪悪感のない状態が怖いです

罪悪感のない状態が怖いです。 最近誰かが批判されていたり、誰かが誰かを恨んでいるというような内容のネットの書き込みを見て、 自分がその加害者になった気分になり、ひたすら1人で謝り続けるといった行為を辞められません。     過去に人の心を傷つけてしまった事や、数々の失敗してしまった事などを毎日思い出し、 また自分の粗探しがこの頃趣味になっており、 自分は生きていては迷惑であると思い知りました。   しかし、私なんかに〇ぬ権利もなく、苦しみながら逃げられずに生き続ける事がせめてもの存在してしまった事への償いなのかもしれないと迷い、 最終的に、行きながらも当然幸せを感じる事は許されない。むしろ自らどんどん不幸になり苦しまなければならないんだと結論づけました。     万引きから殺人事件まで何らかの加害者となってしまった方々が、ネットで誰かから批判され、 「〇ねばいいのに」や「許さない」「一生苦しめ」等の言葉を投げかけられているのを見て、 自分が言われているような気分になり、恐怖や希死念慮、血の気が引くような感覚を味わっています。   少しでも暇がある時や、休みの日は1日中そう言った記事や掲示板を見るだけで終わってしまう事も毎日のようにあります。    先日病院にて抑うつ状態と診断されてしまいましたが、こんな自分など診断して頂く権利はないとお医者様に申し訳なく思い、 まだまだ苦しまなければならないと焦っています。   一方で苦しみを怖がっている甘えた自分もいます。激しく怯えながら何か罰を受ける事こそが私の義務なんだといつも自分に言い聞かせています。   こんな事をしていたって私がのうのうと生きる事が許されるわけありませんが、せめて罪悪感を味わっている状態でないと不安でどうにかなりそうです。 こんな風にいつまでも自分本位な事も最低だと思います。   もうどんな生き方をすれば良いのかがわかりません。人生を終わらせたくて仕方ありません。 もし宜しければどなたか知恵を授けていただけませんか。   拙い文章で申し訳ありません、 お坊様の忙しいかもしれない時期に本当に申し訳ありません。。

有り難し有り難し 29
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昔の過ち 罪悪感で苦しいです

昔の失礼だったことや過ちを後悔して辛くなります。 そのひとつに、 7年ほど前、母を亡くしました。 その時まだ20代前半だったわたしは、葬儀は父に任せており、細かいことはわかりません。 香典は辞退します、と伝えていたのですが、私の職場の上司数名からそれぞれ個別で、御香典を頂いたようです。(職場の福利厚生でも頂いていて、忌引休暇あけのときにお礼と、職場の皆さんへお菓子をお渡ししました。) 上司の皆さんへ、その時のお返しをしなければならなかったのに、出来ていないことを今更思い出し、大変後悔しています。(父に、これをお渡ししておいて、と言われていたものを渡せていません。カタログギフトだったのかな?と思いますが、中身は分かりません。) 言い訳になりますが、このようなことが初めてで、どうしたらいいか分からなかったのと、あとから渡そう、と思って忘れてしまったのだと思います。 今になって、自分が結婚したり、他の方の葬儀に参列したりする機会もあるなかで、やっと大人の常識もわかってきて、あの時なんて失礼なことをしたんだと、本当に恥ずかしく、申し訳ない気持ちでいっぱいです。 何年か経ってから私は異動になり、退職なされた方もおられるため、皆さんと連絡は取れない状況です。そのことがあっても、異動するまでの数年間、上司の皆さんには大変よくしていただきました。 このようなこと以外にも、自分の未熟だったこと、失礼だったこと、自分の後回しの癖による過去の過ちや失礼だったことがたくさんあります。次々と思い出してしまいます。罪悪感で辛く苦しいです。

有り難し有り難し 21
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兄への罪悪感に苦しんでしまう。

こんばんは。 今回相談させていただきたいと考えたのは、最近ふと心の中にモヤモヤする物の存在に気が付いたからです。それを自分の中で探ってみたところ、小さいころにいつも一緒にいてくれた兄に関係する事でした。 私は軽度の発達障害(ADHD)を持っています。子供の頃から親に伝えられて育ってきて、周りの子供とだいぶ違うことはかなり早くから自覚していました。母親が福祉関係の仕事についていたこともあり、両親は私のことを受け入れてくれていました。 学校の先生にも障害のことについて話し合いをしてくれていたので、問題がないわけではありませんでしたが、小中高と不登校にならずに登校させていただくことが出来ました。 でも私が障害を持っていたことによって、兄が孤独感を感じるようになっていったんじゃないかと思うのです。家庭内では発達障害を持つ私が、生活面でのサポートなどで両親の注目を引き付けていました。そのおかげで兄は大好きな母親から見てもらえる機会も少なく、家の中で一人ぼっちに近い感情を持っていたのではないかと思います。 兄が家から遠く離れた高校に入学し寮に入ってから、兄弟での会話がだんだん少なくなり、彼が大学に進学して一人暮らしを始めてからは関係が完全に途絶えました。関係が元から悪いこともあり、母とも連絡を取り合ってないようなのです。正月でも実家には帰省せず、父と辛うじて連絡を取り合っているみたいでした。 私と兄はSNSや電話を含めた一切のコミニュケーションが、現在存在していません。 私は両親との関係も良好で、特に母とは仲が良いです。それで兄は自分から母親を奪った私を憎んでいるのではないかと最近考えるようになりました。 実際に私のせいで兄と両親が疎遠になったことは事実なんです。以前にSNSでこちらから兄と連絡を取ろうとしたのですが、そこから今日まで兄からの返信が来ていません。彼に電話をかけようとも思いましたが、子供の頃のことを責められるんじゃないかと思うと動けませんでした。 兄は小さい子供の頃から面倒見がよい性格で、決して悪い人では無いんです。一人暮らしを始めて孤独を知ってから兄への罪悪感に気が付きました。 自分でもこの気持ちをどうすればいいか悩んでいます。

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罪悪感と悪い妄想

いつもお世話になっております。 私事ですが、2年程前に居眠り運転をしてしまい交通事故を起こしてしまいました。 相手の方は、80歳の男性で肋骨骨折とむち打ちという怪我を負わせてしまいました。 事故を起こした当時私は学生でした。 当時、自分に自信が無く部活や恋愛も上手くいかない状況で大変苦しい時期でした。 苦しい中でも、自分なりに考えて行動して成長する為に努力していました。 そんな中、交通事故を起こしてしまい罪悪感と悔しさと情けなさで心が苦しく2年経ちましたが中々受け止めてられません。 今振り返ると、苦しくなった理由に自分で自分の弱さを認められない事があったと思います。 出来ない自分を認めて、周りに頼って力を抜いてやっていればあれ程苦しまなくて良かったのでは無いかと思います。 そして、それが出来ていれば居眠り運転なんてしなかったのではないかと思ってしまいます。 孤独に頑張ってきたのに、なんでこんな目に遭うんだと悔しくて、悲しくて堪らないです。 本来であれば、怪我で済んだと思い次に繋げていきたいのですが、相手の予後も気になり気分が落ちてしまいます。 昔の自分、事故のことそこから前を向ける様になりたいです。 よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 6
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ