子供の自主性を信じる?お尻を叩く?
小2の娘の勉強、習い事のお稽古について宜しくお願いします。
「やりなさい!」と言わずにやれる子になってくれたらよいのですが、言わないと
全くやらないので、付きっきりでやる事もあります。でも、やりたくない子をやらせる訳ですから、おだてたり、褒めたり、叱ったり、ケンカになったりと本当に大変です。娘はうまくいかないと、癇癪を起こし、テーブルを蹴り飛ばしたり鉛筆を投げ飛ばしたり、弟に八つ当たりしたりとなかなか激しいので、私もいつも穏やかに接する事ができないです。
それでも無理矢理でもなんとかやらせれば、次の日のテストは良い点をとり、娘も得意げに帰ってきます。もちろん、たくさん褒めてやります。
しかし、毎日の勉強となればそれがモチベーションにはなりません。宿題も、お稽古の練習も毎日の話ですから、娘と私も毎日、格闘します。
毎日毎日ガミガミ母さんでは、子供にとって悪影響だと思います。かと言って、やりたくないなら、やめていいよと言ってもよいのでしょうか。勉強なんてできなくても健康でいてくれたらそれでいい!のでしょうか。
1度、間違えだらけの宿題を娘が直そうとしなかったので、それなら、それで先生に出しておいでといったことがありました。
それで、少し困ったり焦ったりすれば、次はちゃんと自分からやるだろうと。
・・・そんなうまくはいきませんね。
本人、授業についていけなくても、先生から✖をたくさんつけられても、ケロっとしていました。娘からしてみれば、宿題を、適当にしても何1つ困ったり焦ったり、叱られる事もなかったのです。
そもそも娘の事でここに相談し、なんとか娘をコントロールしようとしている事自体、なんだか自分が理不尽なような気がします。
親子とはいえ、別の人格をもった人同士、親の権力でどうこうさせるのも違う気がします。
小2の娘の意思に任せて親は口を出さない方がよいのでしょうか。
主人に話すと小2の子供なんて、みんなそんなもんだよ~と言います。私もそう思います。
しかし、そんなもんだから、どうしたらよいのでしょうか。色々な意見があると思いますが、仏教を、学ばれた方の違う視点でのご意見を頂きたく相談させて頂きました。宜しくお願いします。
自分のこだわりを子供にも押し付けてしまう。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
昔の思い出
私が小学校に入った時、ウチの母は英才教育ママになりかけました。突然、国語の教科書の書写をしなさいと言い始めたのです。
私は困惑しました。「なんで?なんでこんなことをしないといけないの?こんなことして何になるの?」そう言葉に出来なかった私は泣き叫びました。母が「大切なことだ!意味のあることだ!」と声を荒げましたが、私は泣いて泣いて泣き続けました。そして母は「もういいわよ!!!」と大声をあげて部屋を出て行きました。
小学1年生の時のことですが、いまだにハッキリ覚えています。教科書の内容まで覚えています。寒い日にカンガルーの子供がポッケの中でお母さんの温かみを感じつつも、自分の足で歩くことを促される文章でした。ところがその時の私には母の恐怖政治に立ち向かい、自由を勝ちとったトラウマ的文章として胸に焼きつきました。
子供だって納得が必要なんです。
もう1つ胸に焼き付いている出来事があります。もっと大きくなってからのことですが、ある日、父が疲れた眼差しで本棚に並ぶ本を見ながらボソッと言いました。「今まで小説を読むのに費やしてきた時間を全部お坊さんの勉強に使っていれば、お父さんは今ごろ偉いお坊さんになってたのかな…」
なんか、子供心にグサッと刺さりました。
それから父の本棚は徐々に仏教本の割合が増えていきました。私も父にアドバイスを求め、お寺にあった手塚治虫さんの漫画ブッダと、ひろさちやさんの漫画仏教108冊セットに手を伸ばし全巻読破しました。
今や私も子の親になりました。子に勉強を勧める際には、まず自分が勉強しようと思っています。りんしょう様もご一緒にいかがですか?
「子どものすること」は勉強やお稽古だけですか?
こんばんは。お子さん、そうシンプルなものではないですね。ところで…
ちょっと視野を広げて、子どものすることって何があるか、考えてみます。
先ずは身辺自立はいかがですか?脱いだパジャマを決まったところへしまうとか、ご飯の後、食器を下げるとか。お風呂で自分の体は自分で洗うとか。そういった「自分のことを自分でできる」系の育ちです。
もしくは、一歩進んで「家族の手伝い」。「あなたは勉強してお稽古事すれば、それでいいのよ」というか、そういう視点でしかお子さんを見ていない、ということはありませんか?そういったところにも、褒めるチャンスはあると思います。
この「褒める」というのは、元々試行錯誤の中で「望ましい行動を褒める」=強化する、といいます(応用行動分析学による)。お子さんが「たまたま自主的にやったことの結果」を褒める…「お母さんの言うとおりにしたら良かった」ではないのです(経過としてはありえることと思います)。
「健康ならば、それでいい」…頭ではわかっていても、実感するのは正直なかなか難しいことですね。だから本での追体験を勧めます。『リカと三つの約束』、いろいろ考えるヒントになると思います。
…あ、ごめんなさい。「仏教的視点」がとりあえず入っていませんね。追記するかもです。
本の題名を間違えていました。「3つのルール」です。確かめもせず書いてしまい、誠にすみませんでした。
質問者からのお礼
佐藤様
ご回答、ありがとうございます。
今回、お勉強やお稽古についての現状を書きましたが、もちろん!私が思うたくさんの長所や、すぐれているな!と思う事、親でさえ尊敬してしまうような所、娘にはたくさんあります。逆に言ってしまうと、他はすぐれているのに、お勉強となると・・・みたいな、アニメに、一人は出てくるわかりやすいタイプの子です( 笑 )
そうですね。彼女には褒めどころ、たくさんあります。そこを伸ばす事で、結果的にお勉強なども、「やる気」という形で伸ばしてあげられるのかもしれません。あ、私が伸ばしてあげるわけでなく、娘が伸びて行ってくれるという事ですよね。私も最近、毎日、娘とバトルで少し、お勉強、お稽古など彼女の苦手分野だけに執着していた気がします。いえ、間違えなく執着しすぎてました。
少し深呼吸して、娘の全部を見てやれる余裕をもたないといけませんね。
本のご紹介、ありがとうございます。検索して探して読んでみます。
大慈様
ご回答、ありがとうございます!
そのようなご経験がおありだったのですね。
実は、私の両親、特に父がいわゆる教育父でして、お受験合格のため幼い私に友達とは遊ぶなと、ずっと毎日、父がとなりに付きっきりで夜中まで勉強をみていました。間違えれば叩かれ怒鳴られました。毎日です。いつも寝不足で、自由も遊びもなく、とても辛かったです。父を大嫌いでした。家出したいけど、捕まって叩かれるのではと、反発もできませんでした。
そんな事もあり、娘には同じ事をしてはいけないと思う気持ちは強くあります。
しかし、父のやり方で育ってきたので、そのやり方が、心では否定しながらも、身体が身についてしまっている所もあります。
父とは今は仲良しですし、あれがあったから、いまは、色々と我慢強くなったし、やり方はどうであれ、父なりの愛情はちゃんとあったのを子供ながらに分かっていたからだと思います。
でも、それは大人になって理解できた事であり、子供の時はお父さん大嫌いしかありません。娘にはそうしないようにと誓う反面、ちゃんとやらないでいると、それをなんとかしたくなる父の気持ちが湧いてきます。
私も勉強して、成長しないといけませんね。
子供の頃、詰め込まれた勉強は大嫌いでしたが、親から離れた途端、勉強が突然したくなり、子供が生まれてから色々な本を読み漁り、資格をとりました( 笑 )不思議ですね。