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生より死が近く感じてしまう

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有り難し有り難し 35

生きてしまいました。

まずは、私の質問や悩みがどれだけ愚かであっても常に優しい言葉を掛けて下さること、心より感謝申し上げます。一件一件に御礼を書き込むだけの精神的余裕が得られる見込みがないため、この場にてお許し下さい。誠に申し訳ありません。

自業自得により、生よりも死の方がリアルに感じられる状況にあります。心の弱さや人間不信を理由に、しかるべき時に就職活動を行わなかったことで、自らの将来を閉ざしてしまいました。

元々の社会に対する悲観的な意識や積み重なった上手くいかない経験により、「生きる」「幸せになる」「人並みでいられる」「やるべきことができる」自分の姿よりも、「死ぬ」「失敗する」「落ちこぼれる」「救おうとするふりをして救ってくれない社会きら見離される」自分の方がリアルに見えてしまいます。
私はちょっとしたことで傷付く性質で、家族からもよく「そんなんじゃ生きていけない」と言われて来ました。

今更になって就職活動のようなものを始めてみましたが、しかるべき時にに始めていた方々でも苦労するのに、私のような人間が上手くいくとは思えません。筆記試験、業界研究、面接対策。「就活」「いつかは、なるべく早いうちに正社員に」と思うだけで呼吸が乱れます。
新卒で正社員になれなければ、その後のハードルは大きく上がります。正社員でなければ、という焦りは尽きることがありません。

私は、今の社会や世界では、全員を生かすことは出来ないと考えています。どうしても物質がなければ生きていけない以上、生きられる命には限りがあります。そして今は、その限られた以上の命を抱えてしまったのだと思います。
そして、満たされていた過去を知っていた人々は、今までのように満たされようと他から奪い、奪われた人々がまた他から奪うループであると感じています。

私はいつか、こうして私に優しくして下さった方々のように、苦しみを抱えた方々にに向き合うことをしたいと考えております。しかしそれにはまず私が生きて、しっかり労働生活をしなければなりません。自業自得により、常識のレールから外れた私が、もう一度戻れるでしょうか。そして、この世界に絶えられるでしょうか。社会が受け入れてくれるとは考え難く、自分で自分を追い込んでしまいます。

生きることがこんなに辛く難しいものだとは思っていませんでした。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

選択肢は無限

こんにちは、就活大変ですね。

真面目に頑張りすぎて、自分を追い詰めて、心の行き場を見失ってしまいそうな時が、私にもありました。
つまらない想いがグルグルと脳内をル-プして、周囲の人たちに迷惑をかけたことも。
それで友人や居場所も失った経験もあります。

赤土さんは、何が何でも正社員という考えにとらわれておいでのようですが、冷静になって考えれば、必ずしも正社員でなくともよいのでは?と思える瞬間もあるのでは?

日本は自由の国です、職業選択の自由は憲法によって保障されています。
だれもが、自分に合った生き方を選択してよいのです。
いよいよなれそうな職業が見つからなければ、僧侶になったっていいんですよ。
もちろん、「志」(こころざし)は必要ですけどね。

赤土さんも、一度心を落ち着けて、静かに自分自身を見つめる時間が必要なのではと思います。
オススメは坐禅ですが、無理に足を組む必要もありません、1日5分か10分くらいでいいので、静かに坐って、肩の力を抜いて、呼吸を数えながら、心をリラックスさせる事に集中してみて。

焦ることはない、人はその気になれば、どのようにでも生きてゆける。

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様々なつらい別れや痛みを、私も経験しながら今日を生きています。 あなたの...
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1日ずついのちを刻んでいって

赤土さん

生きていてくれたのですね。これほどまでに生きるのが辛いのに、がんばって生きているのでのですね。それだけで十分です。人生の目的は「生きること」です。

しかるべきときに就職活動を行うことではありませんよ。ただ生きることです。しかるべきときに就職することより、人並みでいられることより、人生には大切なことがあります。失敗しても落ちこぼれても生き続けることです。そのほうが成功者になるよりもずっと大切なことです。

もしそのことを信じて、あなたが生き続けてくれたなら、あなたのいのちのほんとうの望みである「苦しみを抱えた方々に向き合うことをしたい」ということができるようになります。
苦しみ抱えた人に向き合うということは、学校で学ぶことでもないし、人並みに生きたからできるようになることでもないのです。生きることに苦しまない人間にそんなことができると思いますか?

もちろん、あなたには乗り越えていかなくてはならないことが、この先たくさんあるでしょう。苦しみは続くでしょう。「生きることは苦である」ということを感じる感性をもった者は、そのことから逃れることはできないのです。それなら、そんな傷つきやすいガラスのココロを自分の個性であり「才能」であると受けいれて、生きていきましょう。

そんなガラスの心を持った人はたくさんいます。社会が受け入れてくれないなら、自分で場所を作ればいいのです。上手く生きられなくても、下手でも生きられる方法はいくらでもあります。

あなたの将来は閉ざされていませんよ。可能性に満ちています。生きることの苦しみを見つめながら、1日ずついのちを刻んでいってください。苦しみを抱えた人を「支えることのできるあなた」になるためにです。応援しています。仙如

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