障がいと中絶
2人の子育て中です。上の子に発達障害があり、毎日人間関係が上手くいかず悩んでいます。その事で私は毎日のように子供にキツく当たってしまいます。子供が1番辛いのに、最低な母親です。
夫婦共に持病があり、薬の影響で奇形が生まれてくる可能性も普通より高いです。避妊してきましたが、3人目がお腹に宿りました。
自分の体調も万全ではなく、日々の生活に疲れて自暴自棄になっていたので、現実に3人の子育てと旦那の病気のサポート、自分の病気のケアが上手くいく未来が描けません。2人でも家事に仕事に育児に病気にと手一杯になっているからです。
しかし今からでも自分のケアをしっかりしていけば、奇形や障がいのリスクは減ります。それでも他の健康な夫婦の間に生まれるよりは、はるかにリスクが高いです。
心拍を確認した時、素直に嬉しく思いました。
旦那は中絶した方が良いと言いました。
夫婦共働きですが私はパートで、世帯収入を見ても月30万円くらいです。
産休育休中は私の方が無収入になります。
今の私の現状を見て、とても3人は育てて行けないと、それはどちらにしても無責任であるという事でした。
でも内心嬉しく思っている事も話してくれました。本当は子供の顔が見たい気持ちもあると。
お互いの将来や、長子の事を考えたりすると、不安でいっぱいです。
しかし、中絶の事も沢山調べ、お腹の子を仏様の元に帰してしまった時の事、水子供養などを、今この子が生きているうちから計らっていく事すら辛く思います。
元々うつ病の経歴もある私は、堕胎した事の罪悪感に、子供を残して死ぬ事を選んでしまうかもしれません。
本当に無責任です。
早く決めなければなりません。
でもどちらを考えても不安ばかりが募り、答えが出せそうにありません。
お坊さんは命を大切に、きっと産みなさいと言うと思いますが、もし子供に障がいがあって、育児ストレスから子供たちを虐待したり、私が自殺を図っても、親の意思が弱いからだと非難されますか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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本日は、8月24日の地蔵盆
非難は決して致しません。
障害者であろうとなかろうと、どのような者であったとしても、皆が、仏教における清き善き流れへと向かえるようにと、日々、お努め申し上げて参りますことが私たちの役割となります。
それは、貴女様のお腹のお子様が水子様となられてもでございます。
本日は、8月24日の地蔵盆。午前中には、提灯飾りつけやお配りする供物の準備を調えておりました。
そして、拙生が僭越ながらにも本日の法要の回向文をお唱え致すこととなりまして、先ほどに、その内容を確認致しておりました。
「地蔵盆回向文」(平成二十九年八月二十四日)
「本日、平成二十九年八月二十四日、水子地蔵尊御前に、うやうやしく香華灯燭、茶菓珍羞を備え、功徳主(各施主名を呼ぶ)をして、謹んで現前の清衆を集め、聖経を読誦し、地蔵盆供養を執り行いしは、縁なくこの世にいずることなく亡くなりし水子たち、または、生まれし後、縁なく余命僅かにて亡くなりし水子たち、彼ら有縁無縁の水子之各霊位のためにし奉り、報地を荘厳せんことを。さらにこいねがわくは、清き供物並びに読経回向したる法味は、水子之各霊位のみならず、有縁無縁の三界の萬霊位、我ら一切の衆生へも巡りて、やがて皆が苦界を超え、涅槃、成仏へと至らしむる善利とならしめたまわんことを。十方三世一切の諸仏、諸尊菩薩、摩訶薩、摩訶般若波羅密」
この回向の内容には、貴女様も、貴女様のお子様も、また、お腹のお子様ももちろん、どうか清き善き流れへと向かえますようにとの意も含まれてございます。
邦元様もおっしゃられておられますように、ご夫婦で納得のいく決断をなさられて下さいませ。とにかく、いずれを決断なさられましても、後悔はなさられずにて。
そして、どうか忘れないで頂きたいのは、いずれを決断なさられましても、皆々が清き善き流れへと向かえますようにと、日々努めさせて頂いている私たちがおりますということでございます。そのことは心に留めおいてご安心を頂けましたら有り難くに存じます。
川口英俊 合掌
親の安心がなにより大切
今のあなたの生活環境の中で安心して出産できないなら中絶もやむを得ない決断だと思います。命は大切、だからこそが自分が安心して出産、子育てできる環境を作ることが最優先です。親が不安でいたら子供は安心できませんからね。
夫婦で納得のいく決断をするしかないです。辛いですが勇気をだして決断しましょう。
どちらを選んでも間違えではないですよ。
質問者からのお礼
邦元様
川口様
ありがとうございます。
あれからも毎日いろいろ主人と相談し、考えましたが、やはりお腹の命を諦める事は出来ませんでした。
何か大きな障がいがあり、お腹の中で育たなかったり、生きていけない状態でない限りは、諦めずに育てていきたいと思います。
想像しているよりも大変な子育てになるであろうとは思いますが、私たちにはこの子を諦める事は出来ませんでした。
私が諦められないのも、きっと自分の脳の働きではなく仏様のご縁なんだと思っています。
また苦しい時にはこちらにお世話になる事と思いますが、よろしくお願いいたします。