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現代にお釈迦さまのような存在は現れないのか?

回答数回答 5
有り難し有り難し 94

お忙しいところ閲覧してくださり、ありがとうございます。

常日頃から不思議に思うことがあります。
現代でも崇められている、お釈迦さま、空海さま、キリストさま…
のような存在は、現代では新規に現れることはないのでしょうか?

例えば空海さまは、1000年以上も21日に「お大師さまの日」として
民間でも催しが行われたりしますよね。
平成生まれの方だと馴染みが薄れてきているのかも知れませんが、
30代後半の私の祖父母や親の年代の方を見ていると、
まだまだ大衆的に馴染みがあるのかな、と思います。
そのように、一般的にも認知度が高く偉大な存在が、
明治、大正、昭和、平成の世に現れていない?ような気がします。
(無知なだけでしたら申し訳ありません。)

・現代では一般人の信仰心や目に見えないものを
信じる心?が失われてしまったため、現れなくなったのか?
・決め打ち(摂理や何某かの力により)なのでもう現れることはない?
・たまたまここ数百年現れていないだけ?
などと考えを巡らせています。

長文失礼いたしました。
また、もし失礼にあたる質問でしたら申し訳ありません。。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

難しいでしょうね

悟りを開いた人というより、宗教的英雄としてということですね。その意味では現れにくい時代でしょう。
サッカーのJリーグと同じです。幼少からサッカーに親しみ、大人になっても最先端のトレーニングをできるようなった今の選手の方が、Jリーグ発足当時の選手とは比べものにならないくらい技量が高いそうです。でも発足当時の方がスター選手はたくさんいました。
なぜか?プロサッカーが個人戦の時代から集団戦法の時代になったからだそうです。

お坊さんの世界も同じです。お釈迦さまや空海さまのような個人的な英雄が活躍し、その弟子たちが組織化し、分業化・専門化し、やがて日本仏教35万の僧侶で1つの仏という時代になりました。
最澄さまが空海さまに「貸して欲しい」「いえ、貸しません」でトラブルになった経典は、般若経の理趣分(りしゅぶん)という巻です。当時は日本国内で空海さま1人しか持っておらず、たいへん貴重で最高の経典でした。しかし、今ではネットでタダで読める時代です。これは物凄いことです。

私が東南アジアで上座部仏教の修行をした時、現地のお坊さんに「日本にはお釈迦さまの『五と七十五の教え』が伝来しているか?」と問われました。私は「え?五位七十五法のこと?伝来するも何もWikipediaで読める次元なんですが…どゆこと???」と質問の真意をはかりかね、答えに詰まりました。

案外に現代日本仏教は歴史を縦に見ても横に見ても最高の環境が整えられています。しかしそれが『誰かの功績』ではなく、名も無き無数の仏教徒による日本仏教全体の結果であるがゆえに、宗教的英雄は生まれないのです。

一般の方々の感覚は三段階に分けた時に第二段階になるでしょう。
まず人々に教育が行き届いていないうちは、「何だか知らんがお坊さまがおっしゃったから信じる」「仏様が見ているから悪いことはしない」となります。
次の中程度の教育が行き届くと今度は「俺と坊主、どっちが偉い!?」「仏が見てる?馬鹿じゃねーの?」となります。
そして第三にインテリレベルになると「もっともっと素晴らしいお坊さまに出会いたい」「暗喩の裏読みをすると見えている仏教が一変した!となります。

今はネットによる布教の技術革新によって第二段階から第三段階に移行できるかどうかという時期と私は見ていますが、戦争が起きて後退しないことを切に願います。

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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間違えなく、今もいます

お釈迦様と同じ体験をされているお坊さんやお坊さんでない方もいます。お釈迦様の時代から2500年以上間違えなくその法は伝わっているのだと思います。
悟りを得た正師との出会いがあれば、それをきっかけに修行することができます。

正直、今そうした方はとても少ないと思います。しかし間違えなくいらっしゃる。
悟りとはお釈迦様の気づいたものそのものですから、世界各地にそうした真理を見つけた方はいるはずです。

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おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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「自灯明・法灯明」

みゃーもり様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

お釈迦様と同様に悟りを開かれておられる仏陀・如来は、お釈迦様のご入滅後、確かに現世では不在となってしまっております。

次に、お釈迦様と同様に、悟りを開かれました仏陀・如来がこの世に現れられるのは、56億7000万年後に弥勒菩薩様が兜率天から下生なさられるとされています。但し、実際はもう少し早くて、5億7600万年後、更にはもっと早いという説もございます。

もちろん、その間、仏陀・如来は不在であっても、お釈迦様の教えが仏典としてございますので、仏典を頼りに、私たちは悟り・涅槃へと向けて衆生済度の聖業に精進して取り組むことができます。

ですから、この間においても、しっかりと衆生済度の聖業に努めておられる菩薩のような有り難く尊い方がいらっしゃるのは、もちろんあり得ることでございます。

また、仏道修行がある程度進んでいけば、実際に如来様や菩薩様とあいまみえることができ、直接に教えを頂けることもあり得ます。

いずれにせよ、お釈迦様は、「自灯明・法灯明」(自己を拠りどころとし、法を拠りどころとするように)と最期にご遺言なさられておられます。

仏法を拠りどころとして、しっかりと自ら自身が偉大なる存在となりて、衆生済度(全ての者たちを救えるように)の聖業に取り組めるように努めて参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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少し違ってきていますので、全く同じ方はおられません

 現代にお釈迦さまのような存在はおられますが、釈尊(お釈迦さま)が説法された頃よりも人々の生活が変化していますし、人間の心も全く違った形になっています。葬儀について日本での場合は昔からお葬式は本当に近所等多くの方々でお参りされてましたが、今は本当に家族葬や直葬を行っている状況です。これはお釈迦様の四苦八苦の苦しみの死についての捉え方ですが、インドやタイ等ではお釈迦様の様なお坊さんは、お釈迦様の教えを守られています。私の宗派は浄土真宗ですが社会生活を通して修行しているのですが、社会を通じて苦しんでいる方を助けるのですが、お釈迦さまとは違った形で教えを伝えていきます。 
 付け加えさせて頂きますが、比叡山や高野山等の寺院の高僧でさえもお釈迦さまの四苦八苦の苦しみを避けられないのが現実ですが、よく安産や交通安全等で参拝されておられるケースがありますが、私たちの浄土真宗ではこの教えと全く反対で苦しみの中においていかに私たちが生活させて頂けるのかという事です。宗教とは私たちの行き処だと思います。
有難しを頂きありがとうございます。
 浄土真宗の門徒さまだったのですか。今私たちの御本尊である阿弥陀如来さまや宗祖親鸞聖人さまや蓮如上人さまと七高僧だと思います。お会いするというのは直接やネットでなく、布教や御文書等で御聴聞させて頂く事だと思います。また、気軽に自分の思いを住職さん等に話されると良いかと思います。浄土真宗は他宗さんと違い私たちの生活において修行させて頂く事でございます。お寺に聴聞させて頂き、お聴聞させて頂く事が大切です。   合掌

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有り難し
おきもち

山寺の住職です。他の仕事と兼務してます。
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質問者からのお礼

ご返信が遅くなり申し訳ございません。
ご回答いただき、誠にありがとうございました!

質問にしても、以外の返信についても、文章が分かりづらく…大変恐縮です。。(鍛錬します

◼️円通寺 / 邦元 さま
> 悟りとはお釈迦様の気づいたものそのものですから、
> 世界各地にそうした真理を見つけた方はいるはずです。

この二行に感激いたしました。非常にありがたいことですね…!
ですが、そう言った方が表向きに出てこられたり、思想などの認知が高まることはないのかな、と考えると少しだけ残念な気もします。
(表向きに露出しないことが正しいのかもしれませんが。)

ご回答いただき、ありがとうございました。

◼️大慈さま

> 宗教的英雄としてということですね。
> その意味では現れにくい時代でしょう。

そうです!!!!!!!!
悟り以外の何か別のものでも良いのですが、今後数千年は崇められるような「宗教的英雄」!コレです〜!
サッカーのお話も、五位七十五法のお話も、大変興味深く拝読させていただきました。
非常に納得できたと思います。
また、まさか日本が宗教に於いてそんな高レベルだとは思いもしませんでした…
しかも、中東アジアとはそこまでレベルに開きがあるのですね…。

> 今はネットによる布教の技術革新によって第二段階から第三段階に移行できるかどうかという時期と私は見ていますが、戦争が起きて後退しないことを切に願います。

ネットと布教の関係については、非常に気になります。今回のご質問をさせていただいた一端にもなります。
もしいずれ、第三段階に移行すれば、思考にも影響し、今よりも精神的に豊かになったりするのでしょうかね。
そこまで考えが至っておりませんでしたが、
戦争…確かにその可能性も出てきますね。
私も、そうならないように祈りたいと思います。

ご回答いただき、ありがとうございました。

◼️長寿寺 / 柳原貫道 さま

> カーストがなければ仏教は誕生しなかったかもしれませんし、カーストという不条理がお釈迦様の人格形成に大きく影響を及ぼしたのではないでしょうか。

お釈迦さまについてご教授いただきありがとうございます。初耳でした。
なるほど、そんな背景があったのですね…
今でも一部地域では女性が激しく下等に扱われていたり、戦争もありますね…不条理なことがたくさんあります。

> ただし、その方が宗教者とは限りませんし、仮に宗教者であっても名前が知られるようになるのはずっと後の事かもしれません。

これはわたしも少し考えたことがあります。
この先何千年も崇められそうな宗教者は現れてなくても、誰もが知ってる知名度の高い方はいらっしゃるので、
宗教的から別カテゴリーへの移行…分散…(何と言っていいか分かりませんが)しているのかな?と。。

ご回答いただき、ありがとうございました。

◼️慈敬寺 / 堅田正樹 さま

> 現代にお釈迦さまのような存在はおられますが、

そうですか!わたしが存じ上げないだけで、いらっしゃるのですね。
難しいと思いますが、可能ならお会いするとか、
ネット越しでよいので、お考えに触れてみたいと思ってしまいます。

> お釈迦さまとは違った形で教えを伝えていきます。 

時代とともに布教のしやすさ?も変わり、また地域性もあるのですね。

私も浄土真宗です。
法事の後に、住職さまとお話する機会がありますが、罪や罰や、何でも許してくれそうな感じのお話をしていただくことが多いです。
それだけで、少しラクに生きられそうな気もします!

ご回答いただき、ありがとうございました。

◼️岩瀧山 往生院六萬寺 / 川口 英俊 さま

> 56億7000万年後に弥勒菩薩様が兜率天から下生なさられるとされています。

今回一番驚いたかもしれません!びっくりです。
また現世にお釈迦さま的な方が現れるかも知れないと言うことですか…
だとしたらすごいです…!!
大変失礼な考えかも知れませんが、地球滅亡?だとか、何か人類の力ではどうしようもない危機が訪れた時に救っていただけないか…と思ってしまいました。。

> 仏道修行がある程度進んでいけば、実際に如来様や菩薩様とあいまみえることができ、直接に教えを頂けることもあり得ます。

同じかどうか分かりませんが、密教の修行で仰られているような修行があるとお聞きしたことがありました。
不思議なことがありますね。
今世では難しいですが、可能なら来世では修行を積みたいです。

> 仏法を拠りどころとして、しっかりと自ら自身が偉大なる存在となりて、衆生済度(全ての者たちを救えるように)の聖業に取り組めるように努めて参りたいものでございます。

お釈迦さまのお考えを継いで、個人でできることをしていくことも大切だな、と実感いたしました。
そんな崇高なことは普段から考えているわけではありませんが、真面目に生きつつ、周りの人だけでも幸せにしたいですね。

ご回答いただき、ありがとうございました。

【追記】
◼️慈敬寺 / 堅田正樹さま

ご丁寧に追記してくださり、ありがとうございました。

> また、気軽に自分の思いを住職さん等に話されると良いかと思います。

そうですね、お話しやすい方なので一度この質問についてもお尋ねしてみようかと思います!

> 浄土真宗は他宗さんと違い私たちの生活において修行させて頂く事でございます。

すでに修行中なのですね。なるほど。。なるほど。。。

質問させていただいたこと以外にもたくさんの発見がありました。
ご回答いただき、ありがとうございました!

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