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「葬式仏教」批判について

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こんにちは。「葬式仏教」批判についての質問です。
時々ネット等で「お釈迦様は葬式をしたりお墓を作ることを否定した。だから日本の仏教は本来の仏教からかけ離れている。」といったコメントを見かけますが、お釈迦様は本当に葬式やお墓を作ることを否定したのでしょうか?

この話の根拠とされる涅槃経(現代和訳)を読んだのですが、お釈迦様は自身の葬式について非常に細かく指示をだしており、さらに「遺骨は塔を作ってそこに収めよ」などお墓を連想させる記述もあり、少なくとも葬式やお墓を否定しているようには思えませんでした。

以前からこういった「日本仏教は本来の仏教じゃない!」といった批判に疑問を抱いていたので、この場をお借りして質問させて頂きました。
よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

どういう立場で「批判」しているか、が大切

こんにちは。
前回もご縁ありましたね。

これは、よくある質問の一つですね。
「葬式仏教」批判とは、そもそもある大学教授が述べ始めたものです。その論拠は、釈尊が未だ悟りに達していないお弟子に対して、遺骸の処置をする時間があるのだったら、それを修行の方に振り向けなさいと説かれたことを論拠にしています。

しかし、これを根拠に葬儀を否定した、というのは理屈の飛躍です。
あなたも指摘しているように、釈尊はむしろ肯定しておられる箇所が多く見受けられます。その多くの記述を無視して一か所のみを殊更強調し、釈尊は否定していたというのは理屈の組み立てからしてどうかと思います。

先の修行者に対する言葉も、正しい目的に向かって怠らず励むことを促すためです。それは、その修行者が本来自分が歩むべき道から脇道にそれてしまっていることを見抜いたうえで、本道に戻れという意味です。葬儀を否定するためではありません。

そもそも「日本の仏教」をどういう立場で「批判」するのでしょうか。
無宗教の立場、仏教徒の立場で全く違うはずです。

お釈迦様の教えがインド、中国、日本と伝わっていく中で、それぞれの地域の思想、文化、文字に変換されて、その地域ごとの色合いと混ざりながら仏教は日本まで伝わってきました。そもそもお釈迦様の説法自体は口伝で伝わり、後に数百年後に文字化され、その土地・民族の様々な色合いと混ざりあいながら中国、日本へと伝わっていたのです。

むしろ、もしそのお釈迦様の「本来の仏教」が、異文化、異思想は全く交わらなかったら、仏教はきっと歴史のはざまに消えていたでしょう。どこかで異質なものと排除されたでしょうから。そもそも、「本来の仏教」を論ずることができるのは、仏教が本質を保ちつつも表面的な種々の融合・変化・発展を成し遂げて伝わったからこそです。

「日本仏教」は「日本」の文化、思想と交わって安定的に継承された独特の良さがあるのです。仏教徒の立場なら、それを有難いことだと思う、どう継承されていったかを有意義に学べます。もし、無宗教の立場で否定ありきで批判するとしたならば、それは一体何が目的なのでしょうか。その批判自体、我田引水に過ぎない可能性を考える必要があると思います。

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有り難し
おきもち

浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布教研究専従職員 元龍谷大学講師 元篤志面接委員(法務省管轄) 真宗学修士、心理学学士 Fmみっきい(地元ラジオ局)出演中 趣味:サックス 2019年末頃から回答しています
応談できる時間帯は、その日によって違いますのでお確かめ下さい。 月曜日〜金曜日(祝日除く)13時〜21時 土曜、日曜、祝日 18時〜21時 お盆(8月1日〜15日)、お彼岸は対応できません。

「葬式仏教」批判の根は・・

つくしさま

日本の仏教は、本流(インド)からの派生(変遷していった教え、伝わらなかった教えもある)である面がありますが、仏典を典拠とした釈尊の教えを扱わせて頂いており、仏教は仏教であります。

ただ、仏典自体が、それぞれにそもそも釈尊の直接の正しい教えであるのかどうかの問題、また、かなり後世になってからのインド、中国撰述の仏典もあるため、真に釈尊の教えが何であるのかは、色々な説論が生じ、また、教義、宗旨における違いにも繋がるところとなっています。

もちろん、共通の真理、論理に基づいているものもあり、特に四聖諦、四法印は仏教であるならば当然に大切な共通の教えとなります。

また、日本の仏教は仏教でない、(教えが形骸化していての)葬式仏教だ、という批判の大元は、正式に受戒した僧侶がいないということが一番のネックになっているものであると考えます。そもそも正式な戒壇が無いのです。(日本の僧侶は各宗派の規定したものを満たしたものに僧籍が与えられるというものとなっています。その規定もバラバラです)あと、やはり世襲制によるところもあり、本気で志があって僧侶になっているということが少ないのもあります。

僧侶の資格、葬儀の導師としての資質ももちろん、その求められる本来像と掛け離れてしまっているところがあるのは否めないため、批判が生じている、それがひいては仏教への不信等にも繋がっているものがあるのではないだろうかとは推測しております。

まあ、しかし、テーラワーダの国々であろうが、チベットであろうが、中国、韓国であろうが、どこの国の仏教においても、それなりに大なり小なり似たような問題はそれぞれで抱えています。日本だけがというわけではないのであります。

日本のお坊さんはとにかく俗事のことも含めて、色々と忙しすぎるのです。静かに精神修養、修行する環境では無いのですよね。

川口英俊 合掌

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おきもち

最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

ご質問ありがとうございます。
もしも葬式をする僧侶と葬式をしない僧侶のどちらかを選びなさいと言われたら、私は前者を選びます。
家族の死はとても悲しいことです。その時に遺族に寄り添い共に涙を流す僧侶に私はなりたいです。
ですから葬式仏教批判など私にとってはとるに足らないどうでもいいことです。
南無阿弥陀仏

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

仏教は、様々な形がある宗教です。

日本の仏教は
日本に合うように独自の変化を遂げました。
だからインドとは違う仏教になったのも
ある意味仕方が無かったことと思います。

日本では各々の宗旨宗派が
各々の経典をよりどころに発展してきました。
檀家制度が確立して以来
布教して信者を増やすのでなく
お葬式をしっかり勤めて
檀家をつなぎ留めておく方に注力してきました。

現在では
お葬式を機縁として
仏教やお寺に親しんでくださる方がほとんどでしょう。
それゆえにお葬式こそしっかり勤めようと思っています。

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有り難し
おきもち

 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

質問者からのお礼

皆様丁寧な回答をありがとうございます。
今後も仏教についてご質問することが多々あると思いますが、
その時もまたよろしくお願いいたします。 合掌

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