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「お釈迦様・ブッダ」問答(Q&A)一覧

回答は、各僧侶の個人的な意見のため公共性を帯びたものではなく、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
2019/01/12

 釈尊の言行その2

大忍貫道 様 釈尊の言行(その1)で追記 を見逃して大変失礼致しました。  回答の締め切り通知を変更通知と間違えて調べて、追記があったのを知りました。申し訳ありません。  重要な問題なので、再度質問を立てます。  我々の出来ない体験を、釈尊が代わりになさって伝えて下さったのが仏教です。  「輪廻転生について」のお礼欄で、私は 「如来(釈尊)は真実を語るものであり、如来は真理を説くもの、ありのままに語るもの、誤りなく説くものだからである。如来は虚偽りを語るものではない。」  との金剛般若経の引用をしています。  輪廻は信じる信じないのレベルではなく、真実か虚偽かの問題なのです。  そこが仏教が宗教か否かの判断になると思います。  金剛般若経の続きで「前世、現世」が出てきます。  釈尊の語りですから、これは真実なのです。  これが輪廻転生に他ならないのではないでしょうか?  因みに仏教が信でなく真実であることは、仏教の基盤である「般若心経」が科学的真実を語っているので明白です。  詳細は省略しますが、ヒントは「諸法」の「空」が「不増不減」であるのは、諸法が自然界の中で唯一「閉じられた系」であるからです。

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回答数回答 1
2018/12/10

釈尊の言行

 厚かましく、非宗教説を続けます。  釈尊の言行については、立川武蔵先生の「ブッダをたずねて」の受け売りですから、皆様先刻ご承知と思いますが、信仰について言及したいと思います。  先ず釈尊は、偶像崇拝を禁止したとのことですが、釈尊の死後、舎利を分配して、早速信仰の対象にしました。  仏像も信仰の対象として作成され、祇園精舎での説教で済むところを、巨大な寺院を建築し、仏像を納めて 荘厳さを競いました。  これは中国の仏教を模倣したのでしょう。  釈尊の言行からはまったく不要なものであるはずです。  次に釈尊の死が近づいたときに、近隣の村人たちが釈尊の葬儀の支度を始めているのを見て、弟子にあそこに参加してはならないと戒めたそうです。  元々葬儀には無関係だったようです。  確か応仁の乱で加茂川に死体が放置されていたのを、僧侶が荼毘に付したのが始まりだったようです。  釈尊の言行に従って、これらの行事を無くせば、仏教はただ説教と修行に励むことだけが残ることにはなりませんか?  仏教は信仰とは無縁だと思います。これが非宗教説です。  蛇足ですが、通常寺院の参道に仁王門がありますが、これが参道の入り口ではなく中ほどに建てられいます。  これは参道が、輪廻転生を示したと考えられます。  参道の入り口は娑婆です。参詣者は参道を通って本堂に向かいます。  本堂は娑婆から切り離された死の世界です。  本堂に居続ければ平穏ですが、娑婆に還るときは仁王門で苦しめられます。  「チベットの死者の書」によれば、丁度3週目に怒りの神々に遭遇します。  仁王門が中途にあるのはそれを模したものと考えられます。    従って輪廻転生は仏教にとってそれ程重要なものです。  現在仁王門の像は参道を向いていて外敵を防ぐと言われていますが、参道の中途にあるのも不自然だしその必然性が考えられません。  像は本堂を向くべきだと思います。  さびれたお寺の仁王門がその向きになっているとの記事も見かけました。

有り難し有り難し 49
回答数回答 4
2018/11/12

仏陀の教えではない仏教。

カクヨムなどの小説投稿サイトでムトウゲンジ名で人間の真理の考察しております。 とりあえず自分の行き着いた人間の真理が仏陀に近い事は理解しました。 仏陀もまだ甘いですがね。 そこで質問。 仏陀は死んだ後とかそんな事は教えてないよね? 人間が人間として生きる道を説いていた。 どう生きたら良いかを説いてました。 生きていくための道をですよ? なのに念仏唱えりゃアータラコータラ。 極楽だ浄土だ。 昔の高僧が栄養不足の睡眠不足でトリップした妄想を大事に残してこれが仏の教えとか仏陀をバカにしすぎてないですか?仏教全般。 仏陀が生きていたら仏教の信者に助走うつけて殴り付けるレベルまで落として仏陀の教えバカにしまくり。 本当にそれにすら気が付かないぐらい何も考えないのが修行なんですかね? 悟りの境地ぐらいあちこちの人がしてますよ。 アインシュタインから宮本武蔵、今はイチローと下手したら江頭2:50もね。 昔のシリアルキラーもしてた可能性高いのはいますね。 仏陀が半端な知識なため善人しかできないと思っただけで。 自分も到達しましたしね。 さて? 仏教なんぞしてると悟り開くのは無理なのになんで悟りだのなんだの言葉を使うか知りたい。

有り難し有り難し 179
回答数回答 6
2018/06/03

お釈迦様の話について教えてください。

①毎日荷車を引く牛は、「どうしてこうも辛いんだ」と荷車を壊したら、飼い主はさらに重い鋼鉄製の荷車に変えたという話を読みました。 それによって、お釈迦様は、「辛いからと逃げて死んでも、死んだ後はもっと辛い世界がある」といい、死ぬことを考えていた人は思いとどまって幸せな人生を歩んだと書いてありました。 でも、そこで私は、「死んだあとはもっと辛いんだから、せめて今を楽しみなさい」ということ?と思ったんです。 このお話は、未来に希望が持てないと感じてしまうのですが、どう解釈するのが正しいのでしょうか? 私は旦那からひどいことをされ、ケンカをして謝るもまた同じことをされ、期待しては裏切られ、期待しては裏切られの繰り返しです。 謝られても、今ではそこで許すこともできないものがたくさんたまり、ふとした瞬間に思い出しては苦しくなります。 許すこと、流すことができれば、楽になるんだとはわかっています。 けれど、信頼して裏切られることを繰り返し、謝るのも早く話を終わらせるためでしかないとわかり、旦那の言葉を信じられません。 信じれば苦しくなるし、信じないで警戒している方がダメージが少なくなると思います。 でも、そんな毎日は楽しくないし、だからこそ他の幸せな関係を築いている人を妬んでしまいます。 ②許すことができなくなってしまった私は、どうしたら幸せになれるのでしょうか。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1
2017/06/05

お釈迦様って実在したの?について

お釈迦様って本当にいたんですか。という問いについて、お坊さんはどうお答えしますか。 自己完結している問題なため、わざわざ投稿すると同調を求めているみたいでいやらしい……と思い控え、しかしやはりお坊さんのお考えが気になる……とうろうろしているうちにこんな時間に。 短く内容をまとめるのが苦手なため、事の発端から書かせて頂きます。 私は友人から相談をされると、自分の意見を伝えながら過去にとても納得した誰かの意見を交えて返答することがあります。 「いい考えだね」と言われたりすると、正直に「これはお釈迦様の言葉だよ」と伝えるわけです。 すると、「でもお釈迦様って本当にいた人?」と聞かれることがあります。 実在したかどうかもわからない人の言葉など信用ならないのだと。 私はその言葉にとても疑問を感じるのです。 自分がいい考えだと思ったのなら、お釈迦様がいるいないって関係なくない?と。 そんなことはいいから事実を答えろと言われても困ります。 だって大昔の人の存在をどうやって確認するんでしょう。 お釈迦様はいつでもあなたの心の中に……と哲学的な意味で考えたら、あなたも私も会ったことがあるでしょう。 キリストでは「本当に血を飲めば病気が治るの?」と言われたことがあります。 実は、私はキリストの血を飲んだことがないので、病気が治るかわかりません。 今度飲んだら教えます。 誰の言葉か、誰の作品か、それが説得力という重要な要素であることはわかります。 私もモップはダイソンのものを買います。 しかしその言葉が自分にとって解決策となるなら出所は関係ないと思うのです。 私はお釈迦様関連、哲学、聖書などの本を持っていますが、彼らの生い立ちなど知りません。 数分前までマリアの夫をヨハネという名前だと思っていました。本当の名前はヨ……忘れました。ヨハネでなかったことは確かです。 生い立ちを知らないと言いましたが、お釈迦様の映画は見たことがあります。お釈迦様が生まれた時、木々は喜び、草花は歌っていました。 私にとってマリアの夫の名前がヨ……であったか、お釈迦様が生まれた時本当に草木が歌っていたかなど何でもいいことです。 彼らの残した言葉には力があり、私を救うことには変わりありません。 お坊さんは「お釈迦様っていたの?」に、どうお答えになるのでしょうか。普通にいるよってお答えしますか?

有り難し有り難し 44
回答数回答 3
2017/06/02

お釈迦さまが自殺をとめられた話について

インターネットをみていたら、以下のような お釈迦さまが自殺をとめられた話がありました。 とても分かりやすいのですが、 これは、何というお経に出ているのか教えて頂けないでしょうか。 ある時お釈迦さまは托鉢中、 大きな橋の上で辺りをはばかりながら一人の娘が、 しきりと袂(たもと)へ石を入れているのをごらんになられました。 自殺の準備に違いない、と知られたお釈迦さまは、 早速近寄られ、優しくその事情を尋ねられると、 相手がお釈迦さまと分かった娘は、 心を開いてこう打ち明けました。 「お恥ずかしいことですが、ある人を愛しましたが、 今は捨てられてしまいました。 世間の目は冷たく、おなかの子の将来などを考えますと、 死んだほうがどんなにましだろうと苦しみます、。。 どうかこのまま死なせてくださいませ」 と娘は、よよと泣き崩れました。 その時お釈迦さまは哀れに思われ、 こう諭されています。 「愚かなそなたには、譬をもって教えよう。 ある所に、毎日、重荷を積んだ車を、 朝から晩まで引かねばならぬ牛がいたのだ。 つくづくその牛は思った。 なぜオレは毎日こんなに苦しまねばならぬのか、 自分を苦しめているものは一体何なのか、と考えた。 そうだ!この車さえなければオレは苦しまなくてもよいのだと、 牛は車を壊すことを決意した。 ある日、猛然と走って、車を大きな石に打ち当てて、 木っ端微塵に壊してしまったのだ。 ところが飼い主は、こんな乱暴な牛には、 頑丈な車でなければまた壊されると、 やがて鋼鉄製の車を造ってきた。 それは壊した車の何十倍、何百倍の重さだった。 その車で重荷を同じように毎日引かせられ、 以前の何百倍、何千倍苦しむようになった牛は、 深く後悔したが後の祭りであった。 牛がちょうど、この車さえ壊せば苦しまなくてもよいと 思ったのと同じように、 そなたは、この肉体さえ壊せば楽になれると思っているのだろう。 そなたには分からないだろうが、 死ねばもっと苦しい世界へ飛び込まねばならないのだ。 その苦しみは、この世のどんな苦しみよりも恐ろしい苦しみなのだよ」

有り難し有り難し 63
回答数回答 4

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