お釈迦さまの存在回答受付中
こんにちは。
とても前に自死を考えるほど悩み苦しんでいたときhasunohaを知り本当に救われ、またそれから仏教的な考え方が好きになり浅はかではありますが自分なりに勉強しております。
お坊さまなど皆、お釈迦さまのように悟りを得るために日々考え、生き、修行なされてると思いますが、それで、自分が考えれば考えるほど思うには、この世で悟りを得たのは釈尊のみで(仏陀の一人とも書かれているので他にもいらっしゃるのでしょうか…)人間がいくら考え修行しても悟りの境地になど到達できるはずもなく、それではなんのために修行し生きると言うことになるので、太古に実際に悟りを得た人が一人だけいるという憧れや目標のために仏教者がつくりだした偶像なのではないかと思ってしまいます。ゴータマ・シッタールダという人物はいらっしゃったかも知れませんが。お釈迦さまが言われたとされる言葉なとば大変好きなのですが、全て弟子から弟子へと言い継がれて文献になったのは亡くなって何百年も後だとお聞きしますし。
お坊さまにこんな事をきくのはいけない事だとは思いますがどう思われますか?
嫌な気分になることは全て煩悩だと思います。
お坊さんからの回答 1件
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仏さまの智慧と慈悲 悟りの結果を頂いて生きている私たち
再びハスノハに大切な問いをお寄せいただき、有り難うございます。お釈迦さまの「悟り」について、深く考えておられるのですね。「人間がいくら考え修行しても悟りに到達できるはずがないのでは」という問いは、ひっぴーさんだけではなく、私自身多くの方からお尋ねを受けてきました。私自身、浄土真宗の僧侶であり煩悩を抱えた凡夫ですから、悟りの境地からは遥か彼方に位置していると実感しています。でも、悟れないから意味がないとは思っていません。私の場合は、「悟りを得るために日々考え、生き」という立場ではなく、「悟りの世界から届けられている智慧や慈悲に導かれて生きている」とお伝えした方がしっくりします。だから、私の人生においてお釈迦さまの生涯だけでなく、その言葉に支えられて生きた仏弟子方の存在は、大いなる支えとなっています。
ひっぴーさんは、「人間がいくら考え修行しても悟りの境地になど到達できるはずもなく」と、先に結果をイメージしてしまっているようにお見受けしました。本来、憧れや目標とは、生きる方向性を提示してくれるものです。少々の困難を乗り越える力になります。例えば、野球の好きな少年が大谷翔平にあこがれて毎日練習を重ねている姿を思い浮かべてください。当然、その少年が大谷翔平と同じになることは出来ませんね。でも、その少年は毎日のトレーニングで、心身共に大きく成長することが出来るでしょう。プロの厳しさも知るでしょう。だからなおさら、各方面からの研究をして見聞を深め、更なる成長が出来ますね。その全てのプロセスに、私は意味があると考える一人です。
hasunohaをとおして、ひっぴーさんに言葉を届け関わってくださったお坊さまは「悟っておられた」方ですか?でも、ひっぴーさんのことを我がことのように受けとめ、言葉を尽くしてくださったはずです。そのお坊さまにも、お釈迦さまの智慧と慈悲が届けられているのです。だから、ひっぴーさんは仏教にも興味がわいたのでしたね。お釈迦さま亡き現代であっても、お釈迦さまの言葉を通して、その智慧や慈悲の働きはあらゆる方法で一人ひとりに届けられているのです。(hasunoha誕生秘話も是非お読みください)どうか、「私が悟りに到達するかしないか」という点だけで仏教を受け止めるのではなく、「悟りの結果である智慧や慈悲に包まれて今の私がある」という視点を大切になさってください。
質問者からのお礼
げんさん様、
沢山の御質問がある中で私などが、ふと思ってしまった事に早々にお応え頂けて驚き、また感謝致しております。
悩みや苦しみが完全に無くなるなどという事はあり得ないと知りつつも人は皆それに向かって考えたり努力したり工夫して生きているいるのだと思います。
大谷選手のくだりはまさにその通りで、ああいう人がいらっしゃるのだから、自分もそこへ向かいたいというモチベーションが湧くと思うので、自分の努力がいつか報われるかも知れないという希望のために「仏陀」という存在がいつしかつくられたのではと、ふと思ったのでした。
しかし今となってはお釈迦さまが実際はどのような人物だったかは知る由もなく、またどうでもいい事で、おっしゃる通り、お釈迦さまやそのお弟子様たちの言葉や教えは自分をはじめ多く人の生きるささえとなっていると思います。
大変ご丁寧な回答を頂きありがとうございました。