釈迦は死後の世界を説いたのですか?回答受付中
いつもお世話になっています。以前、本や聞いた事があるのですがお釈迦様は弟子に死後の世界を説かなかったと聞きましたが本当でしょうか?死後の世界かあるのかという弟子の質問に対して、矢か刺さればまず抜く事だ!だから死後の事など考えず、今ある生を精一杯生きなさいと言ったような気がします。本当にお釈迦様は死後の世界は説かなかったのでしょうか?ある人の本によると仏教は哲学に近く、また無神論に近く、中世ヨーロッパでは無を広める宗教だと恐れられたそうですがその事についてはどう思いますでしょうか?お考えを聞かせてください。
お坊さんからの回答 2件
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「十無記」などと呼称される。
基本、釈迦は死後のことは説きません。
「今、切に生きる」ことが生きる人の肝要だからです。
経典などでは"来世"と訳されることは無数にありますが、一般の方はこの来世を「死後」と捉える方々が多いように見受けます。
来世というのは、1時間後も明日も来世です。
仏教では「三世」である①過去、②現在(今)、③未来の三つを分かりやすく配置しました。
釈迦は「過去は追うな。未来を願うな。只、只、今を切に生きよ。」と説きます。
今の連続が一年、一年の積み重ねが一生。
仏教では時間の概念というものを重視せず、いうならば「1秒の75分の1」の数を"刹那"とします。
瞬間の連続が一生へと成り、瞬間の連続の因果より物ごとすべて形成・変貌へと化していきます。
なぜ死後という来世を説かないのか?
これも単純です。普遍には死後には浄土に往くと思う方々が多いと思います。しかし、死後の来世が浄土という安楽な寂静な世界ならば、今を生きることに疲弊したら「この世で生きるより、死後の来世でゆっくりしようと選択肢します。」これは日本の鎌倉時代の日本独自の新仏教の浄土門です。聖道門とは異なります。
人は他生物と異なり、煩悩が邪魔(喜怒哀楽)です。煩悩が自分と思う「我」とする人が多いですが、自分なんてものは無いと説くのが仏教です。また昨今では量子論や素粒子物理学でも同様に、私たちの体は無数の素粒子から形成されているだけの存在に過ぎず、全人類・全生物・全物質もすべて宇宙から到来してきた宇宙人なのです。
執着こそが人を不安に落とし入れる「魔」なのであり、過去を追う習性を持つのが人間です。未来も同じです。
私たちは「過去・現在・未来」の"今の連続(因果律)"なのに、現在の今に過去や未来を取り入れ、感情がもがいています。
過去は過ぎ去ったから捨てよ。未来はまだやって来ていないから考えるな。ということなんですが、それが下手くそなのが人間です。
釈迦の真髄は「只、今を切に生きる」ことから、玄関に入る時、「ただいま」となります。玄=玄奥、関=関門の奥深い人知を超越した関門をくぐることから、玄関を入ることを"ただいま"と称します。
心は無なので過去から蓄積される業より阿頼耶識という蔵へ過去が貯金され煩悶を萌芽させます。
釈迦は「過去の原因を知りたければ、今の結果を見よ。未来の結果を知りたければ現在の原因を見よ」と説きます。
飽くまで「如来(ブッダ)」は・・・という前提です。
貴兄のおっしゃるように、お釈迦様は「形而上学的な質問」には、無記答(無回答)でした。有名な❝四無記❞というものです。
但し、その中で「死後の世界(あの世)があるかないか」についてですが・・・本来は「❝如来❞は死後、存するか存しないか」について、無記答だったのです。つまり、悟りを開いた如来・仏は「生死に捉われない=生死を超えた」存在ですから、答える必要・意味が無かったのでしょう。
言い換えれば、衆生(凡夫・普通の人)には、あの世があるのは当然だとお考えだったのではないでしょうか。いわゆる、釈尊以前のバラモン教の「輪廻転生」という考え方を受け入れておられたのだと思います。
なお、ご参考までに『スッタニパータ』には、
140 ヴェーダ読誦者の家に生まれ、ヴェーダの文句に親しむバラモンたちも、
しばしば「悪い行為」を行なっているのがみられる。
141 そうすれば、現世においては非難せられ、来世においては❝悪いところ❞に生まれる。(身分の高い)生れも、かれらが❝悪いところ❞に生まれ、また非難されるのを防ぐことはできない。
142 生れによって賤しい人となるのではない。生れによってバラモンとなるのでもない。行為によって賤しい人ともなる。行為によってバラモンともなる。
とあります。従って、凡夫・普通の人には「あの世・死後の世界」はあるとおっしゃって、❝悪いところ❞へ堕ちるような「悪い事(五戒を破る事)」をするな、と戒めておられたのでしょう。この❝悪いところ❞が、「方便」としての《地獄⦆ではないでしょうか
ちなみに、有名な『偈文』です。よくお味わい下さい。
《七仏通戒偈》
諸悪莫作(悪いことするな)
衆善奉行(善いことせよ)
自浄其意(自分の心を浄めよ)
是諸仏教(これが仏教である)
要するに、地獄に堕ちるような「悪い事」するな!。清く正しい生き方をせよ!、という事ではないでしょうか。合掌 南旡阿弥陀仏