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お釈迦様の教え

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お坊さんたちはお釈迦様の教えが
全て正しいものだと思いますか?

あまり詳しいわけではないのですが
仏教はかなり女性蔑視的な
宗教のように思えます。

世尊、長老に告げて曰く、女人に九つの悪法あり。云何が九つと為すや。一に女人は臭穢にして不浄なり。二に女人は悪口す。三に女人は反復なし。四に女人は嫉妬す。五に女人は慳嫉なり。六に女人は多く遊行を喜ぶ。七に女人は瞋恚多し。八に女人は妄語多し。九に女人は言うところ軽挙なり。

この一節を知った時
私は女性ですし、
お釈迦様がこんなことを言うのかと
かなりショックでした。

変成男子なんて言葉もありますよね。
仏教の専門家とも言える
お坊さんたちはどう考えているのか
気になります。


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

真実とは?

大乗非仏説と言われるように、実はお釈迦様が言われたことがそのまま伝わっているのではない。そのことが明治時代にインドがイギリスの植民地になり分かってきました。

当時は、文字も今はとは異なり、ほとんどが口伝でしたが、お釈迦様の滅後、お弟子の方々がお釈迦様の説法を纏めようとなり集まりました。これを結集(けつじゅう)と言います。何度も行われ300年経ってから現在のお経の原本のような形になった。と伝えられています。(私も本で読んだだけですが)

ゆえに、当時の時代背景や、風習、習慣、様々な環境がお経の中に影響されていることは間違いありません。
しかも、梵語から漢字に訳す時にも、多くの訳者(三蔵法師)がおられたので、例えば法華経でも、六訳三存と言われるように、6種類の訳があり(6人の訳者)、その中で3つが残り、さらに名訳として、鳩摩羅什(くまらじゅう)が訳した「妙法蓮華経」が今でいうベストセラーとなったのです。
しかし、その経典の内容を訳していくと、後から付け加えられたお経や、前半後半で時空を超えた世界での展開になっていたりと、当時の仏教宗教者の並々ならぬ努力と叡智があったのだと思います。

mowさんのご質問も、そうですが、お経の中にはかなりの差別用語もでてきます。
すべてが、そのような時代背景の影響であったと思います。
言われるように変成男子と言う内容もあり、八歳の龍女が成仏するということや、提婆達多(だいばだった)のような悪人でも成仏するということも説かれています。

時代と共に真理は変わりませんが、お経の訳し方は変わっていくと思います。又、変わっていかねば、科学が進み、文化が発展し、多くの謎が解明されていく時代では矛盾が生じます。それは当然のことと思います。
近年になり、やっとローマ法王が、ガリレオの地動説を認めたようなものです。

今、世界が求める宗教は、何か、本当の救いは何かです。
お経の中に真理は説かれているのでしょうけど、このような時世ゆえに文底にある大切なことに気づかさせる時代なのかもしれません。と思います。

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日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
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釈尊のお経と後の人びとの創作「お経」

ここに示しておられるお経が何なのか私は知らないのですが、「阿弥陀経」や「法華経」、「般若経」などのいわゆる「大乗」経典は、釈尊の教えではなく後代の人びとの創作なので、釈尊の教えも入っていますが、他の思考も入っています。真偽を選び取る嗅覚が必要になります。
 釈尊の教えそのものに近い「阿含経」も、原語から中国語に訳されたとき、中国の思想がどうしても入っています。しかも、「阿含経」もどうやら釈尊の教えそのものではなく、後の大乗の萌芽のようなものが混ざっています。
 釈尊の教えそのものと言われるパーリ語の聖典には、現代日本語訳がかなりたくさん出ていますが、女性差別を語るところはおよそありません。
 仏教以外のおそらくすべての宗教と、一般世間のおそらくすべての領域に、女性差別はあると思います。それらが仏教にも入り込む余地はありますが、本来の仏教(パーリ聖典)にだけ、女性差別がない可能性が高いです。
 悟りの立場からは差別はなく、悟っていない立場は差別だらけ、ともいえるでしょう。

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おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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仏教は対機説法だから、万人普遍ではない。

お釈迦さまの教えは
説教する相手によって
内容が変わります。
様々な宗旨宗派があるのも
そのためです。

女性蔑視的な御経も
より女性蔑視的な相手だったから
その相手に通用するように
その相手に合わせた内容になっているのだと思います。
ー10の相手を0に戻すために
先ずー8の位置まで連れてくるような作業ですね。

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おきもち

和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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「了義未了義善説心髄」

mowさま

お釈迦様は、如来、一切知者であり、真理を悟られておられるお立場であり、そのお教えは全て正しいものとなります。

そして、衆生に対して仏法をお説きになられるスタイルは、対機説法、善巧方便と申しまして、その者の悩みや苦しみ、受け取る能力、理解できる能力に応じてお示しされるものでありました。応病与薬とも申しまして、医者が患者の様々な症状に応じて処置、薬を処方するように、その教えをお示しされました。

そのため、一つの教えであっても、別の者にとっては有効でない、効果のない場合もあるため、混乱を避ける意味においても、言葉・文字で教えを残さないようにと諭されておいででありました。

もちろん、一概に全てが残せないという内容ではなく、真理として誰に対しても正しく当てはまる教えは教えとして共通的に示されたものもあります。特に代表的には、諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静の四法印は有名なものであります。

後代に弟子たちが、徐々に教えの記憶が曖昧になる前に、尊い教えをやはり残すためにと、まとめる際において、真理の教えと方便の教えを混ぜ合わしてしまった点、弟子たちの解釈を加えてしまった点、鈴木さんもおっしゃられていますように、当時の時代背景や、風習、習慣、様々な環境によって歪曲されてしまった点が、その後において様々な矛盾や間違いに繋がるものになってしまっているのではないだろうかと思われます。

もし、経典の教えの何が真理の教えであり、何が方便の教えであるのかということにつきまして、更に興味がございましたら、ツォンカパ大師「了義未了義善説心髄」から学ばれますのも。

ちなみに、10月2日からの3日間、「了義未了義善説心髄」に関してのご法話がダライ・ラマ法王猊下様よりございまして、ネット中継(日本語即時通訳あり)される予定です。

http://www.dalailamajapanese.com/live

是非、宜しければご視聴なさって頂きましてご参考下さいましたら。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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mowさま、こんにちは。

>全て正しいものだと思いますか?

と、信じて研鑽を積んだ方が、実りが多いとは思います。お釈迦様の計り知れない器を、自分の判断で切り取るのは、勿体ないかなっと。まあ、これは私の信仰です。
(ただ、その正しさを他の人に喧伝することは、正しいとは言えないですけどね!)

その一節、どの経典のものかは存じませんが、おそらく、男性に対して説かれたものでしょう。

どうしてそんなことを説いたのか。それはね、私含め、男は、女性のことを大好き!だからですよ!女の子のことで頭がいっぱいで修行できないんですよ!とにかくセックスしたいんですよ!男に生まれればわかりますよ!!!

…ふぅ、さて。
変成男子は、私自身が「正しい」と言えるほどの修行レベルではありませんが、信じてはいますね~。

ええと、例えになりますが、格闘技で(男女混合で)人類最強を目指す場合、どちらに性に産まれますか、というのと、同じ問題である気がしますね。あるいは、子どもを出産するのであれば、どちらの性に産まれるか、でもいいですね。

引用いただいた経にもあるように、「悟り」を目的にした場合、女性ですと、男性よりは乗り越えるべきものがいくらか多い、と、仏教では、説かれているのかと思います。

これが真実なのかどうかは、修行していく中で、自ら確かめていくしかないですね。だから、「正しい」とは、今の私からは、説くことができません。

余談ですが、私が最も尊敬している仏教学者、いや、最も尊敬している人間、主婦菩薩こと石飛道子先生は女性の方なので、男であるかどうかが致命的になるか、といえば、ほとんどの人にとっては、そういう高い次元にまで至らないと思いますね…。

ちなみに、石飛先生は、「経典に書いてあることはすべて正しい」という前提で解釈されているので、変成男子も肯定されると思いますね。もし興味がありましたら、書籍もおもしろいのでどうぞ。

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おきもち

菩薩になりたいです。 仏教は、ほんとうにすばらしい教えだと思います。...
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質問者からのお礼

勉強になりました!
ありがとうございました

「お釈迦様・ブッダ」問答一覧

釈尊の教えについて疑問があり悩んでいます

人生がつらいので少しでも楽になりたくて仏教の勉強をしているものです。 お釈迦様の説いた教えについて質問です。 最近、初期仏教の経典スッタニパータを読みとても感動しました。 その結果お釈迦様はこの世の全てが縁起によって繋がっており結局は全てが同一の価値ある存在である事を理解すれば最終的には自己に囚われることもなくなり現世の苦しみをなくすことができると説いているのではないかと自分なりに解釈しました。 しかしそう考えるといくつかの疑問が浮かびました。 スッタニパータでは父母や我が子に対する愛執を捨てる事を悟りへの道とする一方で、父母に従うことが幸せであり老いた父母を養わない者は卑しいと書いてあります。 しかし無我の境地を目指すのであれば血縁関係に固執してはいけないのではないでしょうか?何故父母に限定して言及したのでしょうか?目の前で父母と知らない人が同じ様に病気や貧困や老いに苦しんでいてどちらかにしか手を差し伸べられない状況の時、知らない人を切り捨てて親子だからと特別扱いして父母に手を差し伸べるのは果たして正しいのでしょうか?両親が仏法を汚す人間であってもそれに従うことが幸せなのでしょうか?  私の父親は酒に溺れた非常に暴力的な人間で犬や猫に対して無益な殺生もしていました。母も暴力的な人間でしたし噓つきでした。私はこの両親に従うべきだったのでしょうか?老後の面倒も見なくてはいけないのでしょうか? また怒りや嫌悪についても疑問があります。 スッタニパータでは怒りや嫌悪を煩悩とし捨てることのできないことをなまぐさと言い汚らわしいことだと言う記述があります。 しかし世の中ではしばしば想像を絶するほど卑劣で残忍な事が起こります。  例えば女子小学生に乱暴して殺害した犯人をたまたまニュースで見て犯人に怒りや嫌悪感を覚えるのはなまぐさなのでしょうか?実際に知り合いの僧侶はその事件について犯人を殺してやりたいとまで言っていましたが彼は僧侶失格なのでしょうか? 自分の周りでより強いものによって不当に傷つけられている弱者を見ても怒らず苦しみも感じないことが美徳なのでしょうか? 他の記述が自分の人生価値観を根本から変える素晴らしいものだっただけに、私はこの二つの疑問に苦しみ悩んでいます。 悟りを目指す僧侶の方々にお話を聞きたいです。

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真言宗と浄土真宗の中のお釈迦様

はじめて質問させて頂きます。 プロフィールに記載しておりますが、家族の問題を抱える中、昨年暮れに仏教の教えに出会い、本当に心が穏やかになれた体験を得る事ができました。 それまでの私は、実家が高野山真言宗のお寺とご縁があり、結婚後も実家の仏壇を預かり、月参りや納骨堂のお参りをはじめ、いろんな関わりを持ってきて、仏教と深く関わってきたつもりでした。 しかし昨年暮れ、心身共に行き詰まり疲れ果てた時に出会った教えは浄土真宗(真宗大谷派)の教えだったのです。 その時はじめて、今までずっとお寺に関わってきたつもりだったのに、「仏教の教え」についてほとんど何も知らなかった事がわかったのでした。 それから改めて今求道中なのですが、今まで聴いてきた真言宗のお経と、浄土真宗のお経がまったく違うのにびっくりして、元は同じお釈迦様なのに、どうしてこうも違うのか。 両派ともご本尊がお釈迦様ではないとはどういう事なんだろう。 両派の中の、お釈迦様の教えと、各ご本尊様(大日如来様と阿弥陀様)の関係性って何なのだろうと、今切実に知りたく質問させて頂きました。 私にとって真言宗は小さな頃からずっとずっと触れてきた大切な宗派であり、また浄土真宗は昨年暮れ、本当に行き詰まってどうしようもなくなっていた時に、私の心を救っていただいた大切な宗派なのです。 どちらも私にとっては大切な宗派なので、どうしたらいいのかわからない状況になってしまいました。 ただその中で、元はどちらもはじめはお釈迦様だったのでは?と思い至り、タイトルにある質問をさせて頂きました。 どうぞよいお導きがあればよろしくお願いいたします。

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