お釈迦様や神は助けてくれない
私は現在、仕事で上司からパワハラを受けています。毎日のようにお釈迦様や神に「助けてくれ」と願っているのに何もせず、ただ、不幸を与えてくるお釈迦様や神が憎くなってしまいます。お釈迦様や神は私に不幸を与えて何がしたいのでしょうか?ヘラヘラ笑っているように思えてきます。お釈迦様や神は万人を救う存在ではないのでしょうか?ただ、崇められていい気になっているだけな気がしてならないので答えて下さい
国民に高額な税負担を強いて日本経済を凋落させ、何の責任も取らない財務省官僚が憎い
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
内なる神仏、内なる本尊に祈り、神仏をあらわにする。
そんな都合のいいドラえもんのような神様、仏さまを願ってもそれは人間が人間の都合や我欲で思い描いた自分に都合のいい便利な神様でしかありません。
そんな便利な神様仏さまがいるのであれば、世界各国のエゴにまみれた独裁者も、日本を安売りしている自分のことしか考えていない役人もとっくに罰せられているはずでしょう。
神仏とは人間のわたくし・エゴ・自分中心な心のない様子。
外にばかり求めるものではありません。
あなたも神仏の作用を内側から引き出す必要があります。
あなたの嫌う人たちも神仏の心を引き出す必要があります。
これをご覧の方々も内なる自己の神仏の作用を見出し、引き出し、あらわして誰も傷つけることなく、エゴにまみれたこの世界をお清めしなければなりません。
そもそもお国の役人も政治家も教師も医師も僧侶も警察もどんな職業も本来は「公の利益・公のしあわせ」のために努められるべき「公務」です。
公務が私的な運用・運営をされるようになったから、世界は汚れ始めました。
だからこそ、あなたもわたしも誰もがわが内なる神仏の作用を引き出し、自己を清め世を清める気持ちでお勤めしませんと、どんどん世の中はエゴイスト、エゴイズム、いい子ちゃんぶった沈黙者たちによって放置され、何も変わらないまま絵空事の神仏を待ちわびるばかりとなりましょう。
鎌倉時代や明治維新の時代を思い出してみましょう。
偉人たちの誰が人任せ、他人任せ、絵空事の神仏任せにした人がいるでしょうか?
あなたもそういう境涯から脱却して、自分がこの職場、社会の善玉菌的作用の中枢となって、おかしなことを正し、悪を良く有らしめ、暗きを光りに向けて転ずる精神をお持ちになられてはいかがでしょう。
そういう気持ちを菩提心という。
神仏の功徳とは菩提心のある所に発動されるものです。
内なる神仏の発動。
他に求めないあなただけの神仏のアクションというものがある。
そういう力を偉人たちは内側に願われたのではないでしょうか?
だから、彼らが神仏に代わって世直しをされた。
あなたもそうなるべきではないでしょうか?
偉人にならなくてもいいのです。
今日も、明日も、今も、そこで、ここで、どこでも、なんであろうが、最高、最上のアクションを「こころがける」ということが生きた祈り、祈りをささげることによって生まれるあなた限定の神仏の救いの手であるということです。
質問者からのお礼
丹下覚元様、
ご回答、有り難うございます。
我が内にある神仏、
自分で切り開く事にします。